第16話

 七月先輩が魔導器・エソライズムエンジンを手に、短く念じた。

 すると僕の首が同調したみたいに熱を帯びた。次に、意識が一瞬揺らいだような感覚がして。本来の平衡感覚を取り戻したころには、僕は目の前の光景に明確な違和感を持っていた。


「宇佐美くんにも感じられた? わたしたち、いまイ界に転移したのよ」


「それよりも先輩……目が……」


 顔を見てびっくりした。先輩の瞳が虹彩異色症ヘテロクロミア――銀と赤のアレに戻っていたんだ。


「それってカラコンじゃなかったんだ」


「ええ。わたしの両目は、イ界固有の力場を受けて開眼する〈イデアールの魔眼〉よ。要するにシグナルみたいなものと受け止めてくれていいわ」


 あ、結局ただのファッションなんですか。

 いま僕たちが立っているのは、宇佐美家の自室のはずだ。家具やベッドもそのまま。

 ただ、さっきとは何かがってことだけが、わけもなく感じられる。


「なるほど。これ、昨日の駅で感じたのとおんなじだ……」


「普段はこのエンジンのような魔導器――要するに現実界とイ界の接点をもたらすアイテムを使って、現実界にとどまっている人間の自我を、こうやってイ界側に導いてやるの」


 それを最初に気付かせてくれたのは、耳に感じたささやかな物足りなさだった。


「スズメがいなくなってる……」


 言ってからハッとして、思わず自室を振り返った。


「子猫たちまで消えちゃった……」


 抱き枕の上で眠っていたはずの子猫たちの姿が、掻き消えたようになくなっていた。


「消えたんじゃないの、初めから存在しないだけ。望む者しか、イ界にはいざなわれない」


 そう言って、先輩はタオルケットを羽織ったまま手を高く掲げる。


「いい、宇佐美君。魔術師の使う魔術というのは、魔法という〝奇跡〟を起こす原理のことよ。そしてこのイ界は、〝呪い〟が〝奇跡〟に必ず揺り戻されるという特性を持っている。この特性を利用したのが魔術。まず覚えておいて」


「呪い……ね。なんか、五芒星に鶏の生贄とか、白装束で藁人形に釘打ってるイメージが浮かんじゃったよ……」


「それもあながち間違いではないわ。いずれにせよ、思いがけず呪われてしまったわたしの身体に、こうして奇跡が起こった。常識ではあり得ない変化が起きた」


 先輩がパチンと指を鳴らし、続けて不思議な文様を宙に刻んだ。すると先輩が魔術師のローブみたいに羽織っていたタオルケットが、無数の光の粒子になって解れていく。

 光が収まると、一糸纏わぬ姿だったはずの先輩が、例のコスプレ制服に似た中二病スタイルに変化していた。

 余裕の決めポーズはいいけど、問題の猫耳は出っ張ったまんま。


「……やっぱり、この耳や尻尾は消えないのね」


「そんなすごい魔法が使えるのに、ネコミミとかを元に戻すことはできないの?」


「無理ね。イ界でのわたしの姿は、あくまで『現実界の七月絵穹』が下地になる。ネコミミも尻尾も魔法で隠すことはできても、それはイ界に限定しての一時しのぎにしかならないわ。だからこそ現実界側でこの問題を解決する必要がある。魔術の基本よ」


「魔法が現実界で起こった理由って、やっぱり僕の力の暴走と関係あるのかな……」


 科学の法則が書き換わったって意味だとしたら、さすがに笑えない。

 ただ世界規模の異変が起こったって実感よりもまず、先輩個人への罪悪感が……。


「まあ、きみも無関係、とは言い切れないわね。きっかけは、たしかに宇佐美くんの使った空想魔術の暴走。でもね、宇佐美くんに関係なく、現実界でも魔法が発動する事例がこれまでに確認されているわ。わたしの目的のひとつが、それを調べることなの」


「兆候、みたいな? 前にも世界が滅亡とかアポカリプスがどうとか言ってたよね……」


「そもそも魔法は、人類にとって脅威よ。そんな力が本当に実在したら、大きな争いを生んだり、文明の均衡を崩すことにもなる。今までそうならなかったのは、魔法がイ界という並行世界の中でのみ起こる現象でしかなかったから。そうやって魔術師たちは一般人と、舞台の線引きをしながら共存してきたの」


 一旦言葉を区切って、僕を背にしていた先輩が振り返る。


「でも〝ある日〟を境に、それは変わり始めた」


 勘弁してよ。〝ある日〟だなんて、僕たち世代が連想しないはずがないじゃないか。


「まさか…………怪獣の日……」


 先輩は、否定も肯定もしない。


「わたしはイ界そのものの研究が専門ではないから、何が正解なのかきみに説明できない。でも、あの世界同時多発災害群を境に、わたしたちが二つの問題と対峙することになったことだけは、はっきりとした事実よ」


 彼女が指し示すように窓の外へと向けた視線を、僕も追ってしまう。


「それが現実界で起こる量子崩壊――そしてイ界のファンタズマ」


 現実引き写しの、イ界の景観。ガラス一枚隔てたその向こう側で、景色に交じってときおり蠢く光が見える。

 彼女ら魔術師がファンタズマと呼称する、人間とは相いれない未知のモンスターが、イ界となった町を跋扈していた。


「待ってよ。いまの、ファンタズマが量子崩壊と関係あるみたいに聞こえたんだけど……」


「これも証明されたわけではないから、あくまで推論にすぎない。ただ、両者に何らかの相関関係があるって疑っている人は、わたしも含め魔術師の中に少なくないわ」


 衝撃の事実だった。

 魔法だ、魔術師だというのは、僕らにとってはただのオカルトだった。なのに物心ついたころから身近にあった問題と、密接にリンクしていたなんて。


「ははっ、とんでもないオカルトファンタジーだ。でもリアルでこんな光景見せられちゃったら、信じる信じないの前に、まず思考が追い付いかないよ……」


「宇佐美くんはあまり難しく考えなくていいの。別に、きみの力で量子崩壊の真実を解き明かして、この世界を滅亡から救って、なんてお願いするつもりはないから」


「あ、あれっ。これってそういう展開じゃないんですか……」


 先輩は確か、僕がアポカリプスの救世主だのって言っていませんでしたっけ?


「わたしから宇佐美くんへのお願いは、ひとつ。今のきみに要求するのはそれだけ」


「な、なんでございましょう」


「わたしには達成しなければならない大切な計画がある。わたしが新たなる魔術体系・空想魔術を生み出したのも、全部その計画のためよ」


 計画なんて言われても、僕たちただの高校生だ。

 厭な予感しかしない、中二病的な意味で。


「そもそも空想魔術師は二つの役割に分かれるの。宇佐美くんのような〈記述者オーサー〉が空想して、〈管理者クライアント〉であるわたしがそれを本物の魔法に変換する、言わばチーム形式の魔術体系よ。そして適合率の高い青春期達ジュヴナイルズなら、たとえ魔術の素人でも大魔術師クラスの強さすら発揮できるの」


「そっか、マジで僕がその一人目だったんだ。じゃあ、中二びょ――あわわ、ごめん、ジュヴナイルズを僕以外にも見つけられれば、先輩の計画も実現に近づくってこと?」


 なんだかキッと睨まれたような気がしたので。


「実際はそこまで単純な問題じゃないの。わたしはきたる終末世界アポカリプスを阻止するために、まだ生まれたばかりの空想魔術を完成させなければならない。だからわたしはその管理者クライアントとして、記述者オーサーの適合者を見つけ、その者の空想力イマージュを見極めなければならない」


 言葉の意味をあれこれ想像して、ごくり、と生唾を飲み下す。


「だから、戻して」


「…………えっ、あ、はい。戻す、って?!」


 あれれ、話が何か見えない方向に。お願い、というには切実さに欠けたいつもの口調で。


「猫耳と尻尾を元に戻して。それがわたしからの目下のお願い。今できないなら、早めに戻せるよう空想魔術の修行をして。でないとわたし、こんな姿じゃうちにも帰れない」


「あっ、はい。やっぱそこからですよねー」


 あはは、と苦笑いが出たのを打ち消すように、ヒステリックな電子音が鳴り響いてきた。


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