第2話
しんと静まり返る暗闇の中、リリアの羽を借りて家屋の屋根に降り立つ。
静かに息を吐いて周囲に目を向けるも、道を歩く者はいない。家屋の扉は硬く閉ざされ、窓には布が掛けられている。暗闇に飲み込まれた村はひっそりとしていて物音一つせず、家畜たちも屋根の下で静かに身を寄せ合っている。流石に麓の近くというだけはあるな。これなら、息を潜める必要もなさそうだ。
「ギルバートさま。ルナールさまがお見えになりました」
「あぁ」
俺は服の土埃を払って振り返る。薄暗闇に青白く浮かび上がる東の山脈。聳え立つ壁のようなその頂上に、ゆっくりと揺らめく巨大な影。闇よりも暗い、漆黒の巨躯。その暗闇の中、煌々と輝く白い光。眠りについた大地を静かに見下ろし、遥か地平を見据えるそれは、人々が『月』と呼ぶ彼女の眼。その輝きを遮るものは、何もない。遥か古より信仰の対象であったその輝きに、俺はしばし目を奪われる。
彼女の名は、冥夜神ルナール。闇と平穏を司る魔神にして、夜の訪れを告げる女神。
ソラール神とルナール神は双子の姉妹神であり、神々によってこの大地が作られた時、喜々として探検しているうちに二柱はお互いを見失ってしまったのだという。
二柱はやがて互いの痕跡たる光と闇を辿り、お互いの背を追いかけるようにして泳ぎ始めた。そうして二柱が交互にこの地を通り過ぎることにより、この地上の気温は生物の住みやすい温度に保たれることとなった。どちらが欠けても、この豊かな大地は成り立たない。この地に生きる全ての生き物にとって、かの二柱は母なる女神と並んで敬愛すべき神々であろう。
「……今宵は、よく晴れている。ルナール様の前で、あまり騒ぎを起こしたくはないな」
「寝るまで待ちますか?」
「いや。その必要はない。騒ぐ前に殺せばいいんだ」
俺はリリアと共にルナール神に会釈し、屋根から飛び降りる。
「奴らの武器は、大剣と杖だったな。どちらも室内じゃ取り回しの効かない武器だ。宿に入ったのなら、都合がいい。さっさと済ませちまおう。相部屋なら、どうせしばらくは眠らないだろうからな」
「眠らない、ですか?どうしてです?」
「……まあ、色々とやることあるからな。あの宿か?」
「あ、はい!そうです。あそこに入っていくのを見ました」
「よし」
村の中央に佇む立派な宿の前で、俺は改めて服を整える。この辺りの村には珍しい、二階建ての大きな宿。見たところ、部屋の明かりもいくつか灯っている。ここは無難に、子連れを装っていくとしよう。
「……おいで、リリィ。寒いだろう。父さんの上着貸してやろうか」
「ふぇぁっ!?え、ええ?ぁ…………うん……」
リリアはぎょっとして飛び上がり、顔を真っ赤にして俺を見つめるも、流石に馬鹿ではない。すぐに何かを察したような、少し恥ずかしげな表情を浮かべて少しぎこちなく身を寄せてくる。俺はそんなリリアに外套を羽織らせると、しっかりと留め具を閉めてその羽と尻尾を覆い隠し、宿の戸を開く。
「頼もう。まだ空いているかい?」
「は~い、どうぞ」
出迎えてくれたのは、愛想のいい女の子。この辺りの人間が好む染め糸の服と、柔らかな夕焼け色の髪。この宿の看板娘か。決して派手ではないが、村人からもよく可愛がられていただろうな。リリアがぎゅっと手を握った。
「お二人さまですね。えっと、ご加護はお持ちですか?」
「あるように見えるかい」
「では、そちらの階段を下りた先の赤い扉のお部屋へどうぞ。お子様も一緒でいいですか?」
「あぁ」
「はい。じゃあ、ごゆっくり」
そのまま少女は手帳に何かを書き込み、ぺこりと会釈したかと思うと、傍に置いてあった水桶とブラシを抱えて奥の部屋へと姿を消した。どうやら、彼女も忙しいようだ。
「(さて)」
どうするかな。俺はリリアを抱いて階段を下りつつ、息を吐く。
ひとまず宿屋に潜り込むことは出来たが、獲物の居場所が分からん。俺は探知は得意ではないし、リリアも壁の向こうを見通すことは出来ない。それでいて部屋の数はそれなりに多く、二階もある。探すのも面倒だ。面倒ではあるが、モタモタしている余裕はない。
二人組の勇者は、手強い。一人でも魔族の脅威たりえる勇者が手を組んでいるのだから、単純に脅威は二倍。手柄も二倍だ。力を持て余す魔王たちにとって、これほど魅力的な相手はいない。奴らの存在を嗅ぎ付けているのは、俺たちだけではないはず。もう既に、誰かが――――
「!」
ヴン、と耳元を掠める羽音。一匹の小さな羽虫が通路の小窓から外へと逃げた。
「ギルバートさま?」
「……リリア。お前はここで待て」
リリアはどこか不安げに口を結び、じっと俺を見上げる。その頭をぽんと撫でてやり、俺は案内された赤い扉に手をかける。鍵は掛かっておらず、扉はほんの少しだけ開いていた。
「……」
暗い部屋に足を踏み入れると同時に、薄い膜を突き破ったような感触が顔に触れる。それと同時に、一変する部屋の景色。押し寄せる死臭。瓦礫と化したベッドを背に横たわる、巨大な蟲の残骸。それなりに質の良さそうな絨毯が台無しだ。
「部屋を間違えたかな?」
ため息を付き、首を傾げる。光の矢が頬を掠めた。
「……危ないじゃないか。待て、待て待て。手荒な真似はよせよ。なあ、話をしようぜ」
俺は両手を上げてみるも、今度は別の方向から光の矢が飛んでくる。一つ、二つ、ええと、たくさん。数撃ちゃ当たるとでも言いたげなそれが四方八方から押し寄せ、物言わぬ殺意が無数の楔となって俺の体に突き刺さる。
「っ……ぐ。避けられるわけねーだろ。ンなもん……」
光の矢は俺の魔力を吸い上げて光り輝く鎖となり、俺の体を床に縫い付ける。巨大な光の刃が胸を貫いた。
「…………ふん。ザコばっかり」
音もなく姿を表したのは、目つきの悪い黒髪の魔女。額に汗を滲ませたそいつは深く息を吐いて長い髪を翻し、動かなくなった俺を一瞥して壁にもたれ掛かる。部屋の外から巨大な剣を背負った大柄な男がぬっと顔を出した。
「ありゃ、また入り込まれてたか。おっかしーな」
「……ちゃんと見張っててって言ったでしょ。ばか!」
「す、すまん。また無理させちまった。ただでさえ今日は、ザコの相手が多かったのに……疲れたろ?ちょっと、休めよ。もう魔力もねえだろ」
「うん……でも、掃除……」
「いいよ。掃除は俺がやっとくから。新しい部屋を用意してもらおう。ちょっと待ってろ、今、水を貰ってくる」
「……ありがと」
男は魔女の肩をぽんと叩き、部屋を後にする。
その瞬間、男の巨体が音もなく宙に浮かび上がって消えた。
ぱき。ぽき。
部屋のすぐ外から聞こえてくる、何かを砕くような音。何かを引き裂き、啜るような音。途切れることのないその音に顔を上げた魔女の顔が、引きつる。
「なあ。話をしようぜ」
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