メティス・フィステルと燃え狂いの四阿

畑々 端子

第1話 黒髪の魔法術師 メティス・フィステル

創世の頃、ヒトは全てを名で縛り、言魂によって縦横無尽にこれを操っていた。

 始まりの魔女、サンドラ・フェルラーリの記した魔術に関する魔導書、魔導創世記第Ⅰ章Ⅰ節に記されるこれこそが、現在に伝わる魔術の原型であるとされている。

 魔術の根源である魔力の形は、先天的潜在能力と自然原法の二つに大別され、魔導創世記には、全てのヒトが前者であるところの先天的潜在能力保持者であると記されているが、現在における魔術の体系で言えば、後者の自然中に漂うマナを利用した自然現法の制約下における魔術の発動が主である。

 ゆえに、魔導創世記を研究する魔術士の間では、ヒトとは所謂、{人}であり、{人間}ではない存在である。と考えられている。

 ただ、一つ確かなことは、この世界の均衡と命を繋いでいるのが、魔導創世記第Ⅲ章Ⅵ節にあるラフィティスと言う存在である。

 世界の創世と共に生まれ、魔術の根源であるマナを司る稀有な存在。彼ら、彼彼女らは精霊とも神とも表され、世界が終末に向かう時、その意識をヒトに移し、世界の浄化を行う。

 ラフィティスの意思を宿したヒトを、魔導創世記では、{ラフィティスの聖賢}

と記し、最初にして最後の聖賢として名高いのは、フォンテーナ皇国初代皇女であり、銀の射手と謳われた、イーニア・フォンテーナ。

 彼女が精霊をその身に宿し、世界の浄化を果たしてより、五百有余年。歴史書には、新たな聖賢の存在も、世界が浄化された真実は記されてはいない。


「ふぅ」


 メティスはそこまで黙読して、魔導書を閉じた。{魔導歴史学Ⅱ}と背表紙に書かれた、その書は魔導創世記を元に書かれてあるらしかった。


「ふぅ」


 頬杖をついたまま、目を閉じてから浅いため息をもう一つ。


 気にくわない。


 まず、第一にこの魔導書をまるでサンドラ・フェルラーリの記した、魔導創世記の写しであるかの如く書かれていること。

 そもそも、サンドラの記した創世記は書物ではなく、数千枚からなる石板なのだ。

 名前?言魂?自身が実際に目にした、魔導創世記にはそんな言葉などどこにも書かれていなかったし、創世記には魔術と言う言葉さえも存在しなかった。なぜなら、サンドラ自身がはじめて、己の思念を奇跡によって体現・具現化する現象について定義したのが{魔導}なのだからだ。

 魔術とは魔導の司るところの一片にしか過ぎない。

 学生向けにかみ砕いたと言い訳をしたとしても、さすがに内容が無さ過ぎる。そもそも、学園内で教本として使用するのであれば、別段、教本は教本として独立させればそれで済む話であって、わざわざ、見たことも無ければ触れたことのない、古の魔導書である創世記の名を匂わせる必要がどこにあるのだろうか?


「まったくもって、気にくわない」


 それからもう一つ、臨時教員と言う立場でありながら、どうして、教員用の制服を着用しなければならないのか。

好むところは黒であるにも関わらず、この学院の制服ときたら、白を基調としたローブなのである。ゆったりとした股下のスカートの分部は良しとしても、腰回りから急に締め付けるように、体のラインに沿った作りになっていて、窮屈この上ない。制服の色とは対色である長い黒髪がいつも以上に目だって仕方がない。

 それもこれも全部、あの、ヒステリー女のせいだ。名前は……ランカスターなんとかと言っただろうか?

 藪から棒に勘違いをして、魔導決闘を申し込んだ挙句に返り討ちにあって学生の前で全裸を晒したあの間抜け。

 まさか、あれで皇立セントローズリーフ魔導学院の教員魔導士なのだと言うから、俄かに信じられない。

だが、メティスが臨時教員として教壇に立たなければならないのだから、それは真実なのだろう。

 それにしたって、全裸を晒したくらいで引き籠るなんて、壊滅的な精神の弱さだ。見られた所で減るものでもなし……

 私の友人には、同性でありながら尻を出せと言われたら、躊躇なく出した猛者がいる。出せと言った方が狼狽していて、あれは見ものだった。

 それはそうと、どうやらこの教員用の制服には、魔導鉱石の粉末が練り込んであるらしく、袖を通しているだけで、ある程度の、潜在的な魔力を回復できる上に、自然界にあるマナを集めやすくなっているようだった。

 ただ、魔導鉱石はそれ自体がマナの結晶でもある。故に、多量の魔力に反応し、結晶が崩壊、マナが溶け出す性質がある。周知されていない事実ではあったが……

 あの教員も、この制服を着てさえいなければ、あのような恥を晒すこともなかっただろう。


「気怠いわね」


 メティスは、研究室の入り口の上にある柱時計に目をやると、今一度小さく息を吐いてから、何も持たずに部屋を出た。

出たくはなかったが、出ざる得なかった。


なぜなら、講義が始まるからである。





リスティ・G・ハインドは今日も一人で{水属性魔術基礎}と背表紙に書かれた教本に目を走らせていた。

 一学年前に、支給された教本であり、すでに無用となっていなければならないはずの知識なのだが、リスティはそれを毎日のように読み返していた。

 予言学の講師に「あなたは水属性と相性が良いでしょう」そう言われたのが切っ掛けだった。そもそも、リスティは魔術に対するマナの相性が悪くどの属性魔術に関して具現化することができないでいた。

 もちろん進級実技試験は0点。学識の成績が良かった為に、進級はできたものの、実技で0点を採った学生はセントローズリーフ魔導学院はじまって以来の珍事であったために、不名誉な意味で有名人となってしまった。

 今のクラスにおいても肩身が狭いことは言うまでもなかったが、どんなに馬鹿にされようとも、リスティにはこの学院を卒業しなければならない理由があった、その華奢な双肩には重すぎる理由が……

 故に、せめて学識だけでも、と、いつもは講堂の最前列に座するのだが、今日は、珍しく最前列が埋まっていたために、後列で自学に勤しんでいた。

 座席は基本的に自由なのだが、どうしたって今日に限っては、いつも後列にいる面々が最前列に移動しているのだろう?

 リスティは慣れていない後列からの景色の中、最前列には有名ではあるけれど、話したこともなければ、相手にされたこともない。ひときわ明るいブロンドの女生徒とその取り巻きの姿を見下ろしていた。


 やがて、始業の鐘がなり、雑談に勤しんでいた学生たちも、机の上に教本を並べ、やや緊張気味に視線を講堂唯一の扉に向ける。

 厳密にはその向こうから現れる臨時教員に向けられた興味と詮索の眼差しであった。

 エスペランサ・ランカスター。本来現れるはずである教員の名。

 皇国で薔薇の家紋を持つことが許された貴族出身の彼女は、気高く、高慢で、必ずしも家系で人を測った。それは学生に対しても平等であり、没落した家系にあり、加えて、実技試験で史上はじめて0点をとったリスティの事などは、すでに人間としてさえ認識していなかった。

 そんな彼女が、魔導決闘を行ったのが一週間前。

そして、無名の魔導士に惨敗し、学生の前で全裸を晒した。と、学院中に噂が駆け回ったのが三日前。それと時を同じくして、勝利した魔導士が臨時の教員として派遣されるのを知った。

 厳しい貴族社会の国にあって、ランカスター家に弓を引くなど、死に等しい。例えそれが公式の決闘であったとしてもだ。

 潔く負けを認めれば良し。少しでも反抗的な態度を見せれば、忽ち、社会的に抹殺されてしまう。

 それは、この国に住まう者であれば死刑宣告に等しい…


 だが、それを平然とやってのけた人間がいる。


 ランカスター家の息女に勝利しただけではない、生涯の恥辱を負わせた人間が。

 そんな人間が今まさに目の前に現れようとしているのだから、学生たちの視線に興味の色が色濃く出てしまうことは自然なことなのだろう。もちろん、リスティもその群集の一人であった。


やがて、扉が開き、現れたのは長く黒髪を一つ括りにした女性であった。


 俄かに講堂がざわめいた。


 リスティは口をあんぐりと開けたまま、声すらも出せずにした。確かに目撃した{黒髪の魔導士}詠唱も術式も用いずに、猛る炎を召喚した魔導士……

 エスペランサ女史が完膚なきまでに叩きのめされた、あの日の決闘をリスティも遠巻きに見ていた。魔導士同士の決闘とは一体、レベル的にはどれくらいの魔術を用いるのだろうか。魔導士を目指す者として、純粋な好奇心にかられた。


 そして目撃した。


 目にも止まらぬ速さで、高位魔導術式を描いてゆくエスペランサ女史。その場に居た誰もが、彼女の勝利を確信しただろう。

 だが、先に魔術を構成したのは、疲れた黒いローブを纏った女性の方だった。気怠そうに、掲げた右腕から、放たれた炎は、まるで空間をなめつくすように、一面を緋に染め上げた。

 その瞬間に、かの女講師の姿も火炎に飲まれ、ローブの女性が背を向けて歩き出した頃、あられもない姿のまま、地面に蹲っている女講師の姿が見えた。その背中にはローブ地よりも更に黒く艶やかな黒髪が揺れていたのがとても印象的だった。


「本日から臨時教員として、しばらくの間、魔導歴史学Ⅱの教鞭をとります。メティス・フィステルよ。質問があればどうぞ」


 教員用の制服を着用しているせいだろうか。印象が随分と違ったが、白を基調とした制服の対色である黒髪が余計に目立っていた。

 手ぶらで現れたメティス女史は、注がれる視線を意に介するでもなく教壇に立つや、短くそれだけを言うと、さっさと板書を初めてしまった。

 呆気にとられる学生達の作った静寂を尻目に、乾いたチョークの音が言霊する。

 

「私は、貴方の事を教員だなんて認めませんっ!」


 その静寂を切り裂いたのは、最前列に陣取っていた、ブロンドの女生徒だった。

 彼女の名はローゼンフィニア・ランカスター。ランカスター家の三女であり、エスペランサの実妹であった。 

 ローゼンフィニアは魔導学院を主席で卒業した、エスペランサのことを心から尊敬していた。

誰よりも気高く、知性と品性に秀でたその姿は、まさに薔薇の花そのもの。姉であるエスペランサこそ、ランカスター家に生まれるべくして生まれる定めにあったのだ信じて疑いもしなかった。

憧れの姉。目標の姉。敬愛する姉…


その姉に、一生の屈辱を刻んだ者が目の前にいる。ローゼンフィニアは煮えたぎる腸を抑えて、言葉を選んだ。


だが


メティス女史は、ローゼンフィニアの言葉がまるで聞こえていないかのように、板書を続けるのである。これには、ローゼンフィニアも怒りを露わとせざるを得なかった。


「ランカスター家の実子である私を無視するだなんて!そんな、」


「私語は慎みなさい」


 妙な高音の抗議を遮って、メティス女史は板書を続けながら一言だけ言った。


「なっ!」核心をついたメティス女史の注意にローゼンフィニアは机に手を打ちつけ、露骨に声なき講義をした。

ローゼンフィニアは貴族中の貴族であるランカスター家の息女である、だが、この学院に居る限り身分は学生であり、メティス女史が講師である以上その言葉には従わなければならない。加えて、静粛が基本である講義の最中に立ち上がって、声を張り上げているローゼンフィニアの方がどこまでも分が悪い。

 どう言いつくろっても、メティス女史が是である。


 ローゼンフィニアは、決してバカではない。多少突っ走る愚かな一面も持ち合わせていたが、バカではない。だから、瞬時にそれらを頭中に巡らし、正義の居所を見極めた上で声を出さず、ただ、立ち尽くして口をパクパクとさせていたのだった。

 ぐうの音も出ないとはまさにこのことである。

 粛々と書き進めるメティス女史と黒板の文字を粛々と羊皮紙に書き写す生徒。もちろん、リスティもその一人だったのだが、途中でその板書が{魔導歴史学Ⅱ}の教本に書かれている文章と一字一句違わないことに気が付くと、書き写す手を止めた。

 それは生活に余裕の無いリスティにとっては、インクと用紙を無駄にできないと言う理由からであった。

 教本の板書は結局、講義終了を告げる鐘が鳴るまで続けられ、鐘が鳴り終わるや、メティス女史はチョークを置き、何も告げずに講堂をから出て行ってしまった。

 



 自分でも、随分と世渡りが上手くなったと思う。それもこれも、不可抗力ながら、自分を世戸の世界へと連れ出してくれた仲間のおかげだ。

 いいや、彼女らならもっとうまくやるはず。橋頭保を手っ取り早く手に入れる為とは言え、些か、相手が悪かった。

 ぶちのめした相手は、エスペランサ・ランカスター。確か、大貴族であるランカスター家の長女である。後に聞いた話ではあったが……

 メティスには関係が無い。もしも、権力と名のつく刃を振りかざすのであれば、絶対的な魔法の力でねじ伏せるまで。大貴族であろうが、王族であろうが、小さなプライドを満たすため糧になってやるつもりなどない。

 

道を閉ざすと言うのであれば、風穴を開けるまで。


 限りない魔力と不死を与えられた存在であるメティスには、それを言い切る絶対的絶大な力があった。

 だが、それはあくまでも、メティス個人の話であり、人間社会において、思うままに事を成そうとするには些か、乱暴すぎる。

 ヒトの社会においては、力だけでは生きてはいけない。最も尊ぶべきは調和なのである。

 朴念仁でヒト嫌いであるメティスにはこれが著しく欠けている。それは自分自身が一番理解していた。しかし、これを変化させようと思わないのだから、始末に悪い。

 変えようと思わければ、何も変わらないのである。


 故に、メティスは人間的な調和を諦め、ある意味、世界共通である調和方法たる{金}を使うことにした。

 ヒトに対して多大なる影響力をもつ道具の一つだとも認識している。

 

「研究職より、教員の方が報酬は良いのね」


 頬杖をつきながら、手元にある日当明細を見て、呟くメティス。


 魔導の研究ができて、且つ、給金が支給されると言う観点で、王立魔導研究室に入室した。

 あてがわれた研究室も圧倒的に本棚が広く、調度品の数々も個人的には気に入ったので、申し分ない。

 ただ、ヒトの社会につきものである、柵やヒト関係がどこまでも面倒で仕方がない。とりわけ、天才的才能と実力を兼ね備えたメティスへの、嫉妬と敵対は誰の目にもわかりやすく、出る杭は本当に全力で打たれた。


 それでも、メティスが研究室を辞さないにはわけがある。


 破壊された孤児院の再建と、地下に残してきた子供たち…


 それは2月ほど遡ったある日、それは突然、孤児院とその一帯を猛襲した。

過去に、一度だけ見たことのある、忌まわしき兵器から撃ち出されたものであることはすぐにわかったが、まさか、その身の頭上に落とされるとは思ってもみなかった…平穏を取り戻したこの世界に…

 それは呪砲と言った。ガルド大陸北方に位置する帝国が唯一保有する、汚れた呪兵器であり、先の混沌世界の原因になったとも言われる兵器である。

ありとあらゆる負を込め撃ち出すそれは、獣を魔獣へと変貌させ、湖を毒沼に変えた。最初に生み出されたそれらが、村を襲い、国を破滅させ、負の連鎖を加速、増幅させた結果、人々の中に決して消えない深い負の念を刻ませ、その連鎖から抜け出せなくさせてしまった。

 絶望と混沌に染まってゆく世界において、精霊をその身宿したメティスを含めた6名の加護者によって、世界は浄化され、長く混沌に支配された世界は平穏を取り戻した。


 俗に言う、ラフィティスによる世界浄化(聖フォンティーナ皇国 皇国歴書より)である。


 今回は、たまたま、孤児院に逗留していた加護者であるラーク・サルバの力のもあり、混沌の拡大阻止と一帯の浄化を行うことが出来たため、大事には至らなかったが、その際、呪砲の直撃を受け混沌の呪いを受けた孤児院は消滅してしまった。

子供たちは孤児院の地下にある、時止め魔術の施された試練の洞窟に避難させたので、呪いを受ける心配はなかったが、子供の達の住まいである孤児院の再建が出来なければ、いつまでも、子供たちを洞窟から出してあげることもできない。


 なんとしても、メティスには再建の為の金が必要だったのである。


 魔法と言う奇跡を起こす力があるのだから、やりようによっては、すぐに大金を稼ぐ方法もあるのだろうが、その辺りに疎いメティスには、現状の稼ぎ方しか思いつかなかった。

 ラミアあたりなら、手っ取り早い方法を知っていそうなのだが、それはなんだか負けた気がするし、そもそも、今どこに居るのかさも不明なのだから、その選択肢はそもそも存在しない。

 




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