第89話『認識』

 ことの経緯をヘクセレイ族の族長であるソピアさんに説明すると、彼女は、僕とラルムの修業を快く受け入れてくれた。


 更には、リザとアンス王女、フレアとリーフの四人が乗る馬車まで用意してくれたのだ。オグル族の里にも、迷宮区から連れ帰ったソラ達の仲間がいるので、事前のアポはしっかりと取れたようだ。


 そして、四人を見送った僕達は、現在、ソピアさんの自宅で話し合いを行なっていた。


「誰かに精神魔法を教えるのは、久しぶりだよ。バール坊や以来かな?」


 そう言って、楽しそうに笑うソピアさん。

 バールさんを坊や呼びするのは、イデア中を探しても、この人だけだろう。


「ソピアさんは、僕とラルムにとって、師匠の師匠にあたるわけですね」


「確かに、君達は、私から見れば孫みたいなものかも知れないね?」


 そう言って、年齢という概念を覆すような美しい微笑を浮かべるソピアさん。


「では、マスターの祖母にあたるわけですね」


 部屋の隅に待機しているアイが余計な言葉を挟む。


 ソピアさんの無言の笑顔が少し怖い……。


「102番、マスターの精神が乱れるような発言は控えた方が良いかと」


 アイの隣に立っているソラが淡々と語る。

 更にその隣で同じ顔を並べているイーリスは、名付け親と同じく口数が少ないのか、会話には入らず、ことの行く末を見守っている。


「私には、マスターがくれたアイと言う名前がある。102ではない。わかったか、


 銀髪の少女が銀髪の少女へと警告した。


「それは失礼した、


 ソラが無表情で謝罪する。


 人によっては殺伐とした光景に見えるのかも知れないが、なんだか僕には、とても愛らしいやりとりに思えた。


「さて、そろそろ本題に入ろうか?」


 優しい声音でソピアさんが言った。


『はい、お願いします』


 僕とラルムの声が重なる。


「三ヶ月間の修行ということだけれど、具体的に、学びたい精神魔法の方向性は決まっているのかい?」


 ソピアさんがゆっくりとした調子で問いかけてくる。


「はい、僕は認識阻害の精神魔法が学びたいです」


 ノイラートでは今頃、僕は王女をさらった大罪人扱いなはずだ……。あの国に戻るのであれば、身を隠すすべが必要だ。


 一度だけ見たことのある、アンス王女の母親、フローラ王妃のような認識阻害が使えれば、ノイラートでの行動がだいぶ楽になるはずだ。


「認識阻害の精神魔法ならば、任せてくれ。私達ヘクセレイ族の得意分野だからね」


 そう言って、大きくウィンクを決めるソピアさん。


 確かに、この里の周囲に張り巡らされている、認識阻害の魔法は、驚異的な効果を発揮している。


「あ、あの、私は、ソピアさんのような他者の精神魔法を拡散するような魔法を学びたいです……」


 ラルムがおそるおそる手を挙げて言った。


「うーん、あの魔法は、ヘクセレイ族の先天的なものだからね、いや、でも、その目があれば、あるいは……」


 しばらくの間を空け、塾考したソピアさんが再び口を開ける。


「わかった、とりあえず、やるだけやってみよう」


「では、何から始めればいいでしょうか?」


 僕がソピアさんに問いかける。


「二人に最初にやって貰うのは……」


 一瞬の間が、僕達に緊張感を与える。

 そして、再びソピアさんが口を開く。


「手を繋ぐことだ!!」


『え?』


 ソピアさんの意外な一言に、思わず言葉が重なる僕とラルム。


「知っての通り、私達ヘクセレイ族の魔法は身体的接触が魔法の強度に関わってくる。そう言った意味でも、ラルムちゃんには他者との触れ合いに慣れて貰う必要がある」


 ソピアさんがすらすらと説明する。


 ソピアさんの涼しげな態度とは対照的に、ラルムの視線はあちらこちらを旅している。瞳の色も目まぐるしく変化しており、相当な動揺が伺える。

 

「いやかな?」


 ラルムのあまりの動揺っぷりに、少し傷つきながらも、僕はそう問いかける。


「い、いやじゃない……」


 桃色と赤色の中間地点のような瞳で、小さく答えるラルム。


 僕の右手に、ラルムの左手が触れる。ひんやりとした冷たい体温が、不意に伝わってくる。


「マ、マスター、それはちょっと、見過ごせません!」


 アイがそう言って、部屋の隅からこちらに向かってくると、ソラとイーリスがアイの両サイドに回り込み、アイの動きを封じた。


「な、なにをするのです⁉︎」


 思わぬ制止に、動揺するアイ。


「あまり、マスターを困らせるのはよくない」


 アイを左側から抑えているソラが淡々と言う。


「です」


 アイの右側にいるイーリスも短く同意する。


「さぁ、私達は外で、戦闘訓練でもしていましょう。アイは思考の面では私達よりも優れていますが、戦闘面ではいささか、力不足です」


 ソラはそう言って、イーリスと協力しながら、部屋の外まで、アイを引きずっていった。


「マ、マスタ〜……」


 アイの叫び声が徐々に遠ざかり、完全に聞こえなくなったあたりで、再び、何事もなかったかのように、ソピアさんが話し始める。


「では、まず、認識阻害の魔法についてだが、この魔法は大きくわけて、二種類ある。一つ目は、一定の空間全体に魔法の効果をかける、範囲魔法だ。そして、二つ目は、個別の対象、一人一人に魔法をかける個別魔法だ」


 ソピアさんの聞き取りやすい声が、一定のリズムで鼓膜を揺らす。


「なるほど、では、この里の周囲に張り巡らされている認識阻害の精神魔法は、一つ目の、空間全体に魔法を行使する、範囲魔法ですね」


 個別に干渉するのではなく、空間全体に広げるイメージ。いつの日か、バールさんがそんなことを言っていた記憶がある。


「いや、この里を護る為に使われている認識阻害は、複数の精神魔法師により、この二つの技術が使われている。里の周囲に来た者の神経に作用するよう、交代しながらも常時、空間全体に精神魔法を拡散しているが、君達のようなゲストには、里の全貌が見えるように、個別の魔法解除も使われているんだ」


 淀みなく、説明を続けるソピアさん。


「里に近づいてくる人、それぞれに、個別魔法をかけるのでは駄目なのでしょうか?」


「それは難しいね。一つの空間に広範囲の精神魔法を使う場合は、その空間に対して一つの精神魔法を使うだけで済むけれど、一人一人に個別の対応をしていては、こちらの精神が擦り切れてしまうよ」


 確かに、同じ空間に、沢山の人がいるのなら、一人一人にイヤホンを配るのではなく、スピーカーから音を伝えた方が効率が良い。


「相手の神経に対して働きかけるのが精神魔法ですよね? それを空間自体に使うというのが、中々イメージしづらいのですが」


 空間そのものに、神経はないのだから。


「そうだね。これは普段、精神魔法を行使する際には、あまり意識されないことだが、魔法を使う際には、目には見えない信号が、相手に送られており、その信号が相手の神経に影響を及ぼすわけだ。まぁ、ラルムちゃんには、その信号が見えているのだろうけど」


 ソピアさんの言葉に首肯し、言葉の続きを待つ僕ら。


「普段、精神魔法を使う際には、その信号を個別の相手に送信しているわけだが、空間に行使する際には、その信号を一定の範囲に、宛先を決めずにバラまくのさ。そして、その空間に入った者は、その精神魔法を自動的に受信してしまうわけだ。もちろん個別に送信するよりも、精度は落ちるけれど、そこは腕の見せ所だね」


 なるほど、そういう仕組みだったのか。僕も、複数の相手に精神魔法を行使することはあったけれど、そこは感覚的なものに頼っていた節がある。


 ラルムと意識を同調した時に見た、あのカラフルな世界は、様々な人のそういった意思による信号の集まりだったのか。


「まぁ、可視化されない、そういった信号は、精神魔法を使う時意外にも、無意識に垂れ流されているものなのだけれどね。そして、認識阻害の魔法は、そう言った、無意識に出てしまっている信号をコントロールすることから始まる」


 ソピアさんの説明に短く頷くラルム。


「じゃあ、この青色を消せば……」


 ラルムはそう言って、僕から一度、手を離した。すると、次の瞬間には、その場から綺麗さっぱり、いなくなっていた……。


「これは驚いた。バール坊やですら、二ヶ月かかった認識阻害を一瞬でモノにするとはね」


 ソピアさんが楽しそうに笑う。


 そして、再び、僕の右手にラルムの左手の感触が戻ってきたのと同時に、ラルムが姿を現したのだ。


「え? もう覚えたの?」


 僕は唖然としながらも、おそるおそるラルムに問いかける。


「うん……」


 何故か申し訳なさそうに、小さく頷くラルム。


 天才の二文字で片付けるには、衝撃的過ぎるはやさだ。


 文字通り、見ている世界が違うのだろう。

 住む世界は同じでも、見える世界は異なる。


「えっと、何かコツのようなものはないのですか?」


 世界が普通に見える、凡人の僕はソピアさんに認識阻害のコツを尋ねる。


「そうだね、認識阻害のコツとしては、世界から消えるイメージを持つことかな?」


 ソピアさんにしては、珍しく、随分と抽象的なアドバイスな気がする……。


「だとすれば、この手を離す必要があるのでは?」


 とてもじゃないが、ラルムの体温を感じながら、自らが消えるイメージなど保つことは出来ない。


「いいや、フィロス君にはそのままの状態で、訓練を行ってもらうよ。それが、ラルムちゃんの為にもなるし、君の為にもなる。認識阻害の精神魔法は、下手をすると帰ってこられなくなるからね。感覚を掴むまでは、彼女が君のストッパーさ」


 ソピアさんが真剣な面持ちでそう言うと、僕の手を握るラルムの手に力がこもる。


「まぁ、今日はもう遅いし、具体的な訓練は明日から行おうか」


 ガラス張りの部屋から見える外の景色は、すっかり闇一色だ。


「あ、あと、最後に、一つ。君達、訓練以外の時にも、手は離さないでね?」


『え?』


 僕とラルムの声が重なるのは、これで本日、三度目となる。



 * * *


 誰かの手を握ったまま、眠りにつこうとするのは、一体、何年ぶりだろうか?


 右手に感じる冷たい体温が、不思議と僕には温かい。


 すぐ隣に感じる少女の息づかいが、僕の意識を眠りから遠ざける。まぁ、どちらにせよ、本当の意味で、僕が眠りに近づく瞬間など、この先あるのかすら、分からないけれど。


 ソピアさんの認識阻害により、この部屋は他者の世界からは消えているらしい。まぁ、そうでもしなければ、アイがこの状況を許しはしなかっただろう。アイは、マスターの眠りを守ることに強い使命感を持っているからな。


 ある意味、この部屋は、僕とラルムだけの二人の世界とも言える。


 時計の針の音がやけに鮮明に聞こえる。

 これも、修業のうち。これも修業のうち。


 世界から消えるイメージどころか、隣の少女から伝わってくる情報量が、僕の存在をより、際立たせてしまっている。


 

 僕の体温が、時間の流れと共に流れているのだろうか、徐々にではあるが、ラルムの左手が確かな熱を帯びてきた気がする。


「ねぇ、ラルム、起きてる?」


「うん……」


 少しの間を空けて、静かに返事をするラルム。


「目をつぶっている時の、ラルムの視界ってどうなっているの?」


 僕はふと疑問に思ったことを口にする。

 目をつぶった時の視界とは、我ながらよく分からない表現をしてしまった。


「ちゃんと、暗いよ……」


「そっか」


「どうしたの……」


「何でもないよ」


 その答えに、僕は少し、安心した。

 彼女は常に色に晒された人生を歩んできたはずだ。しかし、その彼女にも、色の無い時間があることは、なんだか、救いのようにも感じる。


 まぁ、それに、もしも今、僕の色が見透かされたとすれば、少々気恥ずかしい気持ちになることだろう。その位、僕の心臓は、早鐘を打っているのだった。


「急に変なことを聞いたね。ごめん、おやすみ」


「大丈夫、


 そう言って、耳元で小さく囁くラルム。


 彼女が良いのは、目だけではないようだ。


 目を開けずとも分かることがある。伝わることがある。


 認識とは不思議な言葉だ。

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