第82話『開戦』

 扉の先には、白と黒の世界が待ち受けていた。


 そしてそこには、見憶えのある物が、見慣れないサイズ感で屹立していた。


「チェスの駒……なのか?」


 そこには、人間サイズのチェスの駒が、巨大なチェスボードの上に並んでいる。


「やぁ、待っていたよ」


 フロアの奥には巨大な黒色の駒が立ち並んでおり、その更に後方から、突如として声が聞こえてきた。


 音の発信源に視線をやると、そこには……。


 瞬間ごとに色を変えるその瞳が、僕の視線を縛る。


「アリス・ステラ……」


 まさか、本人が直々に相手になるとは思わなかった。僕の隣にいるアイは怯えた様子で俯いている。


「まぁ、ここにいる私は立体映像に過ぎないのだけれどね」


 かなり精巧な作りをした映像だが、確かに、彼女の言う通り、その身体は薄っすらと透けており、その先の壁まで見える。


「りったいえいぞう?」


 アンス王女が首を傾げている。


「心の色が見えない……」


 僕の右後ろに控えるラルムが静かに呟く。


「あれは、実体ではなく、どこか違う場所から自分を映しているのだと思います」


 僕がそう言うと、先頭に立つリザが口を開く。


「へー、そんな魔道具があんのか」


 おそらくは、魔道具などではないのだろうが、今はそんなことなど瑣末なことだ。


「というか、アリス・ステラはとっくの昔に死んだ歴史上の人物ではないの?」


 思い出したように、慌てた様子でアンス王女が言った。


「ここに私がいる、それだけが事実さ。史実が真実とは限らない」


 アンス王女の問いかけに淡々と応じるアリス・ステラ。


「さて、今から始めることは、君にはもう分かっているよね?」


 落ち着き払った調子で、最古の魔女が僕に語りかける。


「チェス……」


 しかし、これ程までに巨大な駒を使う必要性がわからない。


「まさか、ここまで来て普通のチェスを指すわけではないよ。これから君には究極の選別をして貰う。文字通り、選び別れて貰うよ」


 選択ではなく、選別……。


「あぁ、その通りさ、よく分かってるじゃないか」


 僕の心の声に頷く、アリス・ステラ。


「降りることも出来るのですか?」


「あぁ、もちろん。その場合、遠くない未来で君達はとてつもない後悔を味わうことになるけれどね」


 まるで未来を見てきたかの様な言い分だ。


「なぜ、貴方にそんなことがわかるのよ?」


 アンス王女が詰問する。


「信じるも信じないも君らの自由さ。ここからすでに選別は始まっている」


 彼女の言葉に塾考する僕ら。

 すると、沈黙を打ち破るのが己の役目と言わんばかりに、リザが口を開く。


「なぁ、とりあえず、ルールだけでも聞かねーか?」


「確かに、そうね」


 アンス王女がリザに同意する。


「では、説明させて貰うよ。基本的なルールは通常のチェスと同じさ。しかし、一つだけ違うことがある。それは、駒に君達の精神を込めること」


 明らかに不穏な香りがするが……。


「つまり?」


 嫌な予感がする。


「君達五人の意識をこの盤上のキング、クイーン、ナイト、ビショップ、ルークのいずれかに同調させるのさ」


 情報がぼやけている……。


「大事な情報が抜けています。意識を同調していた駒が取られた場合はどうなるのですか?」


「流石に察しがいいね。取られた駒達の意識はゲームに敗北、つまり、キングを取られた時点で永遠に目覚めなくなる」


「降りましょう」


 僕は間髪入れずに言い切る。

 相手の実力も未知数な上に、流石にリスクが高過ぎる。


 チェスには運の要素が無い。二人零和有限確定完全情報ゲーム。つまり、実力の差がそのまま勝敗に繋がる。そして、僕の見立てでは、この相手は人間の手には負えない。アイの創造主と言うことは、高度なAIへの知識もあるのだろう。そして、当然、精神魔法のことも知り尽くしている筈だ。精神が筒抜けな状態でAIに勝てる人間はいない。

 

「この短時間で、そこまで読める君が降りるのか。仕方がないね。今の後悔よりも、先の後悔を選ぶと」


 目の前の立体映像はそう言って、楽しそうに笑う。


「フィロス君、この勝負、受けよう」


 ラルムが目まぐるしい速度で瞳の色を変えながら、はっきりとそう言った。


「……なぜ?」


 ラルムがここまではっきりとした意思表示をすることは珍しく、僕の心には、少なくない動揺が走る。


「あの人、一瞬だけ、私に色を見せたの。彼女の言葉に嘘はない。このまま勝負を降りれば、遠くない未来に私達は後悔する……」


 ラルムの瞳が僕の決断を鈍らせる。


「なぁ、フィロス、ようは勝てばいいんだろ? そもそも俺はこの迷宮区に入った時点で命をかけてんだよ」


 リザの決意が僕の気持ちを揺さぶる。


「そうね、それにラルムの瞳を信じて、間違ったことはないもの」


 ラルムの方に視線を向け、優しく微笑むアンス王女。


「詳しいルールを……」


 僕の決断が覆った瞬間だった。


「一つ、駒を動かすプレイヤーはキングに意識を同調すること。二つ、意識の同調が行われている駒は、キングのプレイヤー、もしくは、駒と意識を同調している本人が動かすことが出来る。そして、その駒の動きはキングの決定権よりも、意識を同調させている者にある。三つ、キングをとられる、もしくは敗北を認めた場合、取られた駒に意識を同調していたプレイヤーの意識は二度と目覚めないものとする」


 なるほど、なら、キングは僕で決定だ。リザ以外の三人には、ヘクセレイ族の里で少しだけチェスの手ほどきをしたが、駒の動きを把握している程度だ。


 しかし、この勝負、あまりに不公平だ。僕らの精神は五人分もかかっているのだから。


「その通り。だからもちろん、ハンデはつけるつもりさ、何せ私は、とうの昔にチェスと言うゲームを終わらせているからね。クイーン落ちでどうだい?」


 チェスにおける最強の駒を捨てると……。


「わかりました。あと一つ、相手に精神魔法の使用を禁止すると言うルールを」


 魔法の介入を無くし、クイーン落ちの条件ならば、負けようが無い筈だ。最悪、彼女達の駒を取られようとも、勝負に勝てば助かる。


「では、決まりだね。白の駒を譲るよ」


 彼女は余裕の表情で僕に先手を明け渡す。


「では、キングは僕、aのルークはアイ、bのナイトをリザ、cのビショップをラルム、クイーンをアンス王女で行きます」


 彼女達の駒を左に寄せ、出来るだけ右側の意識を同調していない駒達で攻めに出る作戦だ。


「では、選別を始めようか」


 彼女の瞳が怪しく光った次の瞬間、僕達の意識は、盤上の巨大な駒の中で目を覚ます。

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