第79話『接触』

 頭に直接語りかけてくる声が、僕の足取りを止めた。それは、一瞬の事だったのだろうが、僕を思考の渦へと誘うには、十分な時間であった。


「フィロス、大丈夫? 顔色が悪いわよ?」


 僕の異変にいち早く気づいたアンス王女が心配そうに問いかけてくる。


「大丈夫です。少し肌寒さを感じただけです」


 やはり、今の声は僕にしか聞こえていないようだ。僕と思考を共有しているアイにすら届いていない。


 永遠に続くと思われた階段も、ようやく終わりが見えた。そして、新たに視界に広がるのは、見覚えのある道だ。これは、十日前に先遣隊の記憶の中で見た光景だ。薄暗い道の足元には、等間隔に小さなライトが並んでいる。


 もう、そろそろ、見えるはず……。


「みんな、一旦止まってくれ」


 ソピアさんが真剣な面差しで言う。

 皆の足が止まり、続けざまにソピアさんが口を開く。


「どうだいフィロス君。アリスの傀儡は感じられるかい?」


「えぇ、なんとなくですが」


 薄っすらとではあるが、僕の精神魔法に反応がある。


「ここからの干渉は難しいだろうか?」


「はい、この距離では……」


 距離の問題なのかはわからないが……。


「では、もう少し進もう」


 ソピアさんの指示に従い、僕らはゆっくりと進む。極度の緊張が僕達を襲っていた。一歩一歩がやけに重く感じる。


 そしてついに、視界の先に、彼女達の姿が……。


 銀色の髪に青色の瞳。真っ白で華奢な、儚くも美しい少女達。寸分違わぬ彼女らは、物言わぬ人形のように、ただじっと、こちらを見つめている。


 そして、その姿を複雑な表情で見つめ返すアイ。この異様な状況に彼女は、酷く困惑している様子だ。


「フィロス君、ここが攻撃されない、限界のラインだ。干渉は出来そうかい?」


 アイの様子に気をとられていた僕に、ソピアさんが問いかけてくる。


「すみません……」


 先程から精神の同調は試しているのだが……。


「ちっ、焦れってーな。全部壊せばいいだけだろ?」


 ゲヴァルト族長が、右手に金棒を構えてそう言った。


「相手は二十人でこちらは十一人。それに、近接戦闘が出来るのは五人だけ。慎重に考えるべきです」


 ソピアさんが冷静に忠告する。


「坊主、腹くくりな!!」


 ゲヴァルト族長がそう叫んだ次の瞬間、僕の身体は、ソピアさんが説明していたデッドラインをぶっちぎっていた。


「死にたくなけりゃ、お前の力を見せろ!!」


 ゲヴァルト族長の強靭な左腕が僕を抱えて敵へと突っ込む。

 それと同時に、傀儡の彼女達も動き出す。右手にナイフを持った少女達が僕を抱えたゲヴァルト族長を取り囲む。


 くそ、何なんだこの人は⁉︎


 考えろ、考えろ、考えろ。アイと初めて会った時はどうだった? シュタイン博士の家で最初に意識の同調をした時は何も起こらなかった。そして、しばらくしてアイが起動した。他には何かなかったか?


 僕が全力で記憶を辿っている中、ゲヴァルト族長は、見た目に似合わぬ俊敏な動きで、敵の攻撃を躱し、その上で、右手に持った金棒で反撃まで繰り出している。彼の凄まじい戦いぶりに、他のメンバーは手を出せない状況だ。しかし、この状況もいつまで保つかは分からない。


 思い出せ、思い出せ。あの時、トレースに失敗した僕は確か、動かないアイの頬をつねった記憶がある。クソ、こんな記憶じゃ……。


 ソピアさんの不安な表情が視界の端に映る。

 不意にヘクセレイ族の魔法のことを思い出す。もしや、身体接触が鍵なのか……?


 いや、もうこれしかない。

 ゲヴァルト族長の言葉を借りるなら、腹をくくるしかない! そう思った僕は、すぐさま、口を開く。


「ギリギリまで彼女らの攻撃を引きつけて、一瞬の隙を作っては貰えないでしょうか?」


 徐々に敵の攻撃が当たり始めている彼に、僕は早口で伝える。


「どれか一体でいいのか?」


 迫り来るナイフの軌道を金棒で弾きながらゲヴァルト族長が言った。小さなナイフに対して、巨大な金棒で応じているが故に、体力の消費が目に見えて激しい。


「はい、後はソピアさんの力が必要なのですが……」


「二人抱えての戦闘は無理だ」


「一瞬だけです、お願いします!」


 必死の懇願をする僕。


「わかった、一瞬だな。お前は自分の作戦だけを考えて、それを俺とソピアに精神魔法で送れ。後は俺がどうにかする」


 ゲヴァルト族長がそう言い切った直後、彼の二本の角が、真紅の光に包まれた。


 ゲヴァルト族長の身体が熱を発している。抱えられている僕が痛みを感じる程の熱さだ。


 先程よりも明らかに膂力が上がっている。そしてその暴力的なまでの力を金棒に乗せて、敵をまとめて薙ぎ払う。敵が散り散りになった瞬間、一体にだけ狙いを定めたゲヴァルト族長は、一気に加速する。そして続け様に叫ぶ。


「マハト! ソピアをこっちにぶん投げろ!!」


 ゲヴァルト族長がそう叫ぶと、彼の部下である青年は、迷いなく他族の族長を放り投げる。


 マハトに投げられたソピアさんが高速でこちらに飛んでくる。


 その間にも、狙いを定めた一体にもう一撃仕掛けるゲヴァルト族長。


 頼む、成功してくれ。


 一瞬だけ生まれた隙を突くようにして、僕の右手が真っ直ぐに敵の少女へと伸びる。


 その手が白く小さな頬に触れる。


「ーートレース!!」


 僕の精神魔法が発動する瞬間、こちらに飛ばされたソピアさんが、僕の頬に一瞬だけ触れる。


 ーー永遠にも感じる、一瞬の沈黙……。


『アリスコードを認証しました。戦闘を中止します』


 二十人の少女が寸分の狂いもなく、同時にそう言った。


 どうやら、上手くいったようだ。やはり、直接触れる必要があったのか。それにしても、ソピアさんが、僕の作戦を瞬時に読み取り、他の十九体にも、僕の魔法を送ってくれたから良かったものの、あまりにも博打の要素が強い戦いだった。


「やったみてぇだな、坊主。いや、フィロス」


 あちこちが傷だらけのゲヴァルト族長が満足気な顔でそう言った。


「おい、ゲヴァルト。君の頭の中にはゴブリンの脳ミソでも入っているのか?」


 ボロボロの族長は一人だけではない。マハトに投げ飛ばされたソピアさんもまた、僕の頬に一瞬触れたのち、石造りの床を激しく転がり回り、傷だらけだ。

 彼女が語気を荒げているのを僕は初めて見た。


「結果オーライじゃねーか」


 そう言って、ゲヴァルト族長が豪快に笑う。

 

「結果が全てと言っても、これはあまりにも無謀な賭けです。次は無いですよ」


 ソピアさんが鋭い目つきで言い放つ。


 こう言う時に、真っ先に何かを言うアンス王女も、彼女のあまりの迫力に口を閉じた。


 すると思わぬ所から、助け舟が。


「まぁまぁ、ゲヴァルトの旦那はフィロスに傷一つ付けてないぜ? それに俺だって、旦那が本当にやばかったら助けに入ったさ」


 リザが真っ直ぐな瞳で言う。

 迷宮区までの道程で、実力を示しているリザの言葉が効いたのか、これでこの話は手打ちとなった。



 そして再びの沈黙が訪れるも、その時間は長くは続かなかった。


『新たなマスターを認識。命令を下さい』


 戦いが終わり、喋らぬ人形と化していた彼女達が再び話し始めた。


 一人一人は小さな声なのだが、何せ二十人もの声が同時に発せられるのだ、中々に迫力のある状況だ。

 

「えっと、とりあえずは、誰か一人が代表して喋ってくれるかな?」


 話を円滑に進める為にもその方が良いだろう。


「では、識別ナンバー503の私が」


「いえ、この中では識別ナンバーが一番古い420の私が」


「適任なのは、識別ナンバーが一番新しい650の私だと考えられます」


 なんだか、この前に前に出る姿勢はどこか見覚えがある。


 この子達が先程まで命のやり取りをしていた相手かと思うとなんだかやるせない。


「良かったなアイ、これで姉妹がいっぱいだな」


 どこか投げやりになった僕はそう呟くのであった。

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