第54話『邂逅』

 目が覚めて最初に視界に入ってきたのは、大きなシャンデリアだ。窓から降りそそぐ朝陽を反射して輝いている。

 流石はヴェルメリオの第一王女が寝床に選ぶだけの施設である。目に映る全ての調度品から高級感が漂っている。


「おはようございます。マスター」


 僕の意識が目覚めたのをいちはやく察知したアイが、部屋の中央の丸テーブルの上にあるティーセットで、紅茶を淹れている。立ちのぼる湯気とともに、優しくも芳醇な香りが漂っている。


「おはよう、アイ」


 僕は返事をしつつ、洗面台まで歩き、磨き抜かれた鏡にうつる、幼い自分の姿を確認して、顔を洗い、歯を磨いた。


「テーブルの上にティーセットが置いてありましたので、淹れてみました。いかがですか?」


 アイが紅茶を勧めてくる。


「じゃあ、一杯お願いするよ」


 それにしても、紅茶の淹れ方など、どこで学んだのだろう?


「ノイラートの宮殿で、アンス王女に習いました」


 僕の心の声に答えるアイ。


「綺麗な所作で驚いたよ」


 小さな少女が美しい所作で紅茶をいれる姿は、どこか幻想的で、現実離れしている。


「ありがとうございます」


 少し得意げな様子のアイ。


「当たり前よ、私が教えたんだから!」


 アイよりも更に得意げな表情で力強くアンス王女が言った。


「おはようございます、アンス王女。今朝も早いですね」


 魔大陸に来てからのアンス王女は早起きだ。


「えぇ、せっかく大浴場があるのだから、朝一番で入ってきたわ」


 入浴により、頬が上気しており、いつも以上に顔が赤いアンス王女。


「おはようございます……」


 低血圧のラルムがいつも以上に小さな声で、みんなに起床の挨拶をつげた。


「あ、起こしちゃった?」


 僕がラルムに問いかけた。


「大丈夫……」


 瞳の色をコロコロ変えながら、ゆっくりとベッドから体を起こすラルム。


 ちょうど、全員が起きたタイミングで部屋の扉がノックされた。


「どうぞ」


 僕の返事とともに、部屋の扉が開かれた。


「フィロス、準備はいいか?」


 長い赤髪を揺らしながら、開口一番に僕に問いかけるウェスタ王女。


「はい、大丈夫です。精神魔法を使うのであれば、ラルムも同行した方がよろしいのでは?」


「いや、だめだ、その子には無理だ。見え過ぎるからな。深淵を覗けば帰ってこられない」


 真剣な表情で語るウェスタ王女。確かにそうだな、ラルムの精神同調は僕よりもはるかにレベルが高い。ならば、必然的に患者の心の傷がダイレクトに伝わってくるのだろう。今の発言は迂闊だった。


「わかりました、同行は僕だけにしましょう」


「マスター、私も行きます」


 すぐさま、同行を申し出るアイ。


「だめだ。僕と精神を同調しているアイは危険だ」


 一定の距離があけば、精神の同調も緩むはずだ。


「なら、私が護衛として付いていくわ」


 一歩前に出て、アンス王女が言った。


「その必要はない、護衛は私一人で充分だ。それに目的地まで四人全員を守れる保証もない」


 この台詞を言い切るだけの実力を、僕達はすでに目の当たりにしていた。

 珍しく、アンス王女が引き下がった。


「魔大陸に来てからはハードスケジュールが続いていましたし、今日一日は三人とも身体を休めて下さい」


 僕の言葉に、しぶしぶではあるが、頷く三人。


「そうね、今日は女三人でティータイムと洒落込みましょうか。普段は出来ない話もあるしね?」


 なぜか、僕の方に視線を向けながら、意味深な台詞を述べるアンス王女。


「では、決まりだな。一時間後にエントランスで待っているぞ」


 そう言って、僕らの部屋を後にした、ウェスタ王女。


 * * *


 パンとスープを軽く食べ、手早く朝食を済ませた僕は、身支度を整え、エントランスへと向かった。


「お待たせしました」


 すでに、エントランスの中央で待っていたウェスタ王女に声をかける。


「はやいな、まだ十五分程前だぞ?」


 ウェスタ王女の視線がゆっくりと僕に注がれる。


「いえ、お待たせしてしまったことに、変わりはないので」


「ほぅ、良い心がけだな。では行くぞ」

 

 ウェスタ王女の返事をきっかけに、宿泊施設を後にする僕ら。


 精神患者が集まっている施設が、ここから二十キロ程先にあるとのことで、現在僕はウェスタ王女に抱えられながら、目まぐるしい速度で移動している。リザに抱えられて戦場を移動した時の記憶がふと、よみがえる。これで、王女姉妹に抱えられてしまったことになる。それにしても、この世界の僕は、いささか、抱えられ過ぎな気がする……。


 道中で、魔物との戦闘も起きると想定していたが、ウェスタ王女の移動速度が凄まじく、魔物が現れた所で、それをおき去るには充分のスピードだった。


「しかしフィロスよ、お主は随分と抱えやすいのぅ」


「妹さんにも似たようなことを言われたことがあります」


「抱えられ慣れしておるな」


 嫌な慣れだ……。


 抱えられること数十分。目的の場所が見えてきた。


「外観は廃墟のようだが、中はしっかりと整備されているから安心してくれ」


 ウェスタ王女が僕をゆっくりとおろし、視界に広がる大きな施設を指差して言った。


 確かに、施設の外観は廃病院のような見た目をしている。

 周囲に視線を配りながら、僕達は目的の施設に足を踏み入れた。


「確かに、建物の中は綺麗ですね」


 廃墟のような外観に比べて、内装はちゃんと管理されているようだ。

 受付けらしき所にも、ちゃんと人が座っている。


「あら、今日は可愛いお連れさんがいるのですね」


 受付けに座っていた女性がウェスタ王女に語りかける。


「あぁ、少し見込みのある奴だからな、ひょっとするかも知れない」


 ウェスタ王女はそう言うと、部屋の中央にある扉に手をかけ、奥の部屋へと向かった。

 僕も急いで、ウェスタ王女の後に続く。


 扉の先には、真っ白なベッドが並んでいる部屋が広がっていた。


「お主に見て欲しいのは、彼だ」


 部屋の一番奥のベッドに横たわる男性を指差し、ウェスタ王女が言った。


「彼は私が率いる、魔大陸の迷宮探索チームの一員なんだが、どの精神魔法師にみせても、全く反応が無く、口元に食事を運べば、かろうじて食べるだけの、無気力状態なんだ」


 迷宮の探索中に何があったのだろう。


「僕の手に負えるかは分かりませんが、全力でやらせていただきます」


「他の者は回復の兆しを見せているのに、彼だけは無反応のままなんだ。まるで、抜け殻だよ」


 ウェスタ王女は深刻な面持ちで言った。


「では、はじめます。トレース」


 僕はベッドに横たわる男性にむかって精神魔法を使った。


 ーー視界が一瞬にして暗闇にのまれた。

 そして数秒後、見覚えのない景色が、僕の視界いっぱいに広がった。これは患者である、彼の記憶だろうか?

 

 石造りの長い長い階段を下っていく。

 ただ、ひたすらに下へと。すると小さな扉が見えてきた。ゆっくりと軋みながら扉が開かれる。記憶を共有しているだけなのに、不思議と冷たさを感じた。


 石造りの小さな部屋に、女性が一人。

 銀色の長くしなやかな髪と、絶え間なく色を変化させている、美しい瞳が視線を引きつける。


「やぁ、おそかったね。君があまりにも遅いものだから、この身体の持ち主に迷惑をかけてしまったよ。安心してくれ、話が終わったら、彼は解放するよ」


 これは過去の記憶なんだよな? 明らかに僕に話しかけてきているような雰囲気がある。


「あぁ、その通りさ、フィロス君」


 全てを見透かすような視線を浴びせてくる謎の女性。


「謎の女性じゃないさ。君はもうわかっているんだろ?」


「……」


 様々な色がやどる神秘的な瞳。その瞳の語源となった女性……。


「察しがよくて助かるよ。私がアリス・ステラさ」

 

 バールさんの話では、アリス・ステラという人物はとうの昔に死んだはず……。


「死の概念から語るには、今は、いささか時間が足りない。まぁ、今日は君と、少しばかり話がしたかっただけさ」


 僕と同じ、銀色の髪を揺らしながら、アリス・ステラは語った。


「状況が複雑で何が何やら……」


 しかし、こんな状況でさえ、彼女の口にする言葉には、嘘偽りが無いことがわかる。なぜだかわかるのだ。


「それは、君が私の子どもだからさ」


 わけのわからないことを、当たり前のことのように語る彼女。しかし、これも嘘ではないことが、僕にはわかる。確信さえしている。


「僕があなたの子ども?」


「あぁ、そうさ。こちら側での肉体を用意し、精神は向こう側の君が休む時のみ、こちら側に呼び寄せている。つまり、こちら側の君を作り出したのが私さ。だから、私がフィロス君の母親ということになるね、哲也君?」


 なぜ、その名前を……。


「まぁ、今日の所はここまでかな? あまり、ヒントを出し過ぎても、ゲームがつまらなくなるからね」


 彼女のその言葉をきっかけに、意識が唐突に元の世界へと戻った。


「おぃ、大丈夫か!」


 意識を取り戻してから、最初に視界に入ったのは、心配そうにこちらをみつめているウェスタ王女の顔だった。


「はい、大丈夫です……」


 背中に伝う冷や汗が妙な居心地の悪さを伝えてくる。


「意識の同調で何を見たんだ?」


 ウェスタ王女が深刻な面持ちで問いかけてきた。


「少し、混乱していて、上手く説明出来ませんが、その男性の意識はもうじき戻ると思います」


 流石に、先程の出来事を無闇に口にするのは得策とは思えなかった。


 こちらが聞きたい情報は一切聞けず、一方的に会話が終わってしまった。彼女が、僕の知りたい、最も重要な情報を持っているのは明らかだ。しかし、アリス・ステラという人物について、多くの情報を知りたいという気持ちと、出来ることならば、遠ざけておきたいという、相反する気持ちが、僕の心の中で混濁しているのであった。

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