第41話『初動』
ノイラートに哲学書が届き数週間が経った。
エルヴィラさんのお店に置かせて貰っている僕の本も十冊近くは売れたらしい。この世界の本の値段と何一つ宣伝をしていない事を踏まえれば悪くない結果に思えた。
アンス王女との授業に同期のみんなが参加するのも習慣になりつつあった。
今日も今日とて自著の哲学書を片手に授業を行なっている。
今朝からあまりにも空が青々と晴れわたっており、今日は宮殿の庭にある広々とした空間にテーブルと机を用意して青空教室を開いている。
「じゃあ次はニック、二十三ページの冒頭から読んで」
麗らかな日差しに目を細めながら僕がそう言うと、ニックが張り切って口を開く。
「えーっと、産婆法とは対話によって、」
「おい! この中にフィロスという者はおるか」
ニックの声を聞き覚えのない野太い声が遮った。銀色のゴツい、いかにもな鎧を身にまとったイカつい男がいきなり叫んだのだ。
少し遠くからこちらの様子を伺っていたのには気づいていたが、まさか僕に用事とは思いもしなかった。
「えーっと、僕がフィロスですが……」
困惑しながらも僕はゆっくりと答える。
「貴様には国家反逆罪の疑いがかけられている!」
え、国家反逆罪?
「身に覚えがないのですが」
「その手に持っている本が証拠だ!」
そう言って、鎧姿の男が僕の腕に触れようとした瞬間、アンス王女が立ち上がった。
「ちょっと! ここを何処だと思ってるの! フィロスに触れないで!」
腰のレイピアに手をかける王女。場の空気が一気にピリつく。アイも小さな拳を握りしめ戦闘に備えている。
「王女といえど、法には従っていただきます。国の秩序を守るのが我々ノイラート騎士団の仕事です」
「なぜ、フィロス君に容疑が?」
サミュエルさんが鎧の男に問いかける。
「先日の魔大陸調査の際に、迷宮区からアリス・ステラの文献が発見された。そしてその文献が、そこの少年が記しているその本の内容と酷似している部分があったのだ。アリス・ステラの文献や思想をみだらに広めることは、国で禁止されている」
どう言うことだ? 哲学がない世界に哲学書と酷似した文献が発見された?
理解しがたい状況だ……。
「この国の法によれば、僕はどうなるのですか?」
一旦状況を整理しなければ。
「裁判を開き、そこで判決を下す」
鎧姿の男が低い声で威圧的に言った。
「だめ、フィロス君。この人は嘘をついている、殺意の色が見える……」
ラルムが赤く変化した瞳で鎧姿の男を睨んでいる。彼女が人にここまでの敵意をむけている姿は初めて見た。
「ちっ、悪魔の眼か! 余計なことを言うな!」
鎧姿の男はそう吐き捨ててラルムの方に剣を向けて脅しにかかる。
僕はこの男が放った言葉に強烈な怒りを覚え、気づけばアイに命令を下していた。
アイの拳が鎧姿の男の眼前に迫る。しかし、直撃寸前の所で男が急激に加速する。アイの拳を避け背後をとる。男の剣がアイの首筋に迫る。しかし、寸での所でその剣がアイに触れることは無かった。そのかわりにアンス王女のレイピアが男の喉元に突きつけられていた。
「これ以上の無礼は許さないわ」
レイピアの切っ先がわずかに揺れる。
「王女といえど、任務の妨害は許されませんよ」
喉元まで迫った切っ先を見つめながら、声をうわずらせ鎧姿の男が言った。
「じゃあ、貴方の口が動かなくなればいいわけね?」
アンス王女の言葉に顔をひきつらせる鎧姿の男。
「おぃ! やべーぞ! 遠くから沢山の足音が向かって来てるぞ!」
ニックが強化された耳で遠くの足音を拾ったようだ。
「騎士団の兵士が二十名近く見える」
サミュエルさんが眼を凝らしながら遠くを見つめてそう言った。
「馬鹿め、大人しくその少年を引き渡せ!」
鎧姿の男が声を張り上げた。
「うるさいわね!」
アンス王女はそう言って、鎧男の顔を殴打し意識を奪った。
鎧の集団が剣を構えてこちらにやってきた。
そうまでして僕の身柄を確保したいのか。
どちらにせよ、これ以上アンス王女や同期達を巻き込むわけにはいかない。
しかし、このまま大人しく投降すれば、ラルムが言うように殺されてしまうのだろう。それは避けねばならない。
<アイ、僕が精神魔法で向かってくる兵士の動きを止める。その隙に僕を抱えて全力で逃げてくれ。行き先は、一度使ったことのある抜け道を使う、王都のメインストリートを目指してくれ>
僕の思考を受け取ったアイが小さく頷いた。
さて、こんなに早く試すとは思っていなかったが、今しかないだろう。僕はアリストテレスが生み出した十の概念を頭で唱える。その中から位置の概念を選び、更に思考を加速させる。
空間の絶対的実在性に関する問いを哲学的知識が一切ない兵士達の思考に直接流し込む。
「な、なんだ! 頭の中にわけの分からぬ思考が……」
こちらに向かっていた兵士達が全員、見知らぬ知識の濁流にのまれ、頭をおさえている。
よし、効いている。自身のいる場所すら分からない混乱状態のはずだ。これで奴らは数分の間は動けまい。
その隙にアイは僕を抱えて高速でとびだした。
宮殿の門を抜けて、ひとまずは王都の入り組んだ道を進む。
横にはラルムを抱えて並走するアンス王女の姿があった。
「あ、アンス王女、どうしてついて来たのですか!」
僕に加担すれば余計な罪状がついてしまう。
それに、僕とアイしか分からない完璧なタイミングで出てきたはずだ。
「ラルムが教えてくれたのよ。フィロスが飛び出して行くことをね。それに家臣を守れなくて何が王族よ」
迷いのない瞳でそう口にするアンス王女。
「わ、私も一緒に行く……」
言葉尻はしぼんでいるが、ラルムのオレンジ色に輝く瞳からは決意の色が見て取れた。
「わかりました。とりあえずは一緒に行動しましょう。でも、二人は自分たちの事を最優先にして下さい」
僕の言葉に二人は頷きを返した。
十五分程が経っただろうか、メインストリートから路地裏に入り込む僕ら。
目的のマンホールを見つけてその中へと入り込む。陽の光が届かない空間を駆け足で進む。
「こんな所に抜け道があったのね」
暗がりで表情は読めないが、アンス王女が感心した声音でそう言った。
「はい、前回の内乱の際にここを通って王都に入りました」
それからも、黙々と歩を進め、風の音が聞こえ始めた。
どうやら、前回リザがズラした岩がそのままだったようで、その穴から外へと身を乗り出すアイ。アイが外の安全を確かめた所で、僕、ラルム、アンス王女の順で外へと出た。
そこからしばらく歩き、木々が密集している森へと足を踏み入れる僕ら。ここならば敵兵からも見つかりにくいだろう。
そう安心した瞬間だった。
白い仮面をつけた全身黒ずくめの敵とおぼしき人物が五人、木々の上から散りじりにこちらへと飛び降りてきた。
いち早く敵意に気づいたラルムは精神魔法で五人のうち二人の動きを抑えていた。
アンス王女は目では追えない程のスピードで消え去り、瞬く間に他の三人を突き刺し、行動不能に追い込んだ。
僕はアイに指示を送り、ラルムが抑えている敵の二人に拳の連打を浴びせ、意識を奪った。
「今のは追っ手の別働隊のようね。まぁ、何人いようと私達の敵じゃないわ」
アンス王女が見事なフラグをたてた数秒後、ラルムが珍しく声を荒げた。
「数え切れないほどの色が向かってきてる!」
先程と同じ格好をした仮面の追っ手が百人以上の集団で木々の上や地上の四方八方から僕らの方へと向かって来ていた。
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