煌めく街の凡人 三話

 『今日、仕事の前に会える?』


 彼女のメールは唐突に来た。


 実は何日構えにメルアドを交換していたのだ。 それは別に何かやましいことを考えていただけではなくて、彼女の方から、


「小説できたらメール頂戴。仕事の時じゃなくてもいいからさ」


 そう言われて強引に交換させられた。


 休日の朝、携帯に届けられたメールに僕はすぐに『大丈夫だよ』とだけ返した。


  


「なんかお店以外で会うのって初めてだね」


 店での華麗な衣装と違ってラフな服装をした彼女は本当にそこら辺に居る女の子のように見える。


 けれど、その内面に有る才能は唯一無二なものだ。


「お腹すいたなら何か食べに行こうか?」


 会う前にお金を下ろしていたことで多少は懐にゆとりは有る。 ちょっとしたコース料理ならふるまえるほどに。


「別にいいよ、歌う前に食べ過ぎると声が出なくなるからさ、そこのマックでいいでしょ?」


 彼女の指差したファーストフード店に入る。 休日なので中々の混雑だったが、幸いにして席は確保できた。


 僕はコーヒーを彼女はジュースとフライドポテトを頼んだ。


「今日はどうしたの?めずらしいね君からメールなんて、なにか欲しいものでもあったの?……」


 『あるのなら買ってあげるよ』という言葉は最後まで出すことは適わなかった。


「別にいいよ、欲しければ自分で買うしね、それより小説読ませてよ、途中でもいいからさ…まだ書いて…るんだよね?」


「あ、ああ…ま、まあね…でも…その…見せるには…まだ」


「大丈夫だよ、久しぶりに読みたいしね」


 ニコニコとする彼女とは裏腹に僕の顔は蒼白だった。


 小説なんてもう何日も書いていない。 途中どころかほんの1、2ページくらいだ。


 それは小説というよりもメモ書きに近い。 彼女と出会った日に思ったことを乱雑に書きなぐっただけの題名以外には何も決まってないだけの。


 狼狽しながらも渋る僕に彼女は執拗に読ませてとねだる。


「じ、実は…その…いまは…書いてないんだ…仕事が忙しくて」


「嘘だね」

 

 とっさについた嘘はあっさりと看破された。


「やっぱり最近全然持ってこないから、もしかしてと思ってたんだよ」


 プンプンと憤る彼女に僕は言い訳を重ねる。


「そ、その…い、色々とあるんだよ…」


「その色々って何?」


「い、いや…だから…」


 言えるわけが無い。 君の歌を聞くのに夢中になってたなんて。


 そんな気持ちの悪いことなんて。 ましてや彼女のせいにするなんて。


「昔はいっぱい書いてきてくれたじゃない。来た時は毎回一つは作ってさ、でも最近書いてこないし、プレゼントとか持ってくるだけだし…」


 責める彼女の言葉が痛い。 それでもどうにか取り繕うとはするけれど、言葉が出てこない。 


「しょ、しょうがないじゃないか…店に通うお金もぷ、プレゼントを選ぶ時間も…あるし」


「私はプレゼントなんてねだってないよ、お店のお金だって酒の一杯や二杯くらい私が出してもいいんだしね」


「そ、それはできないよ…店の子に奢ってもらうなんて…」


 なんて情けない。 惨めなんだ。 こんな言い訳にもならない言い訳を満席の店の中で言い連ねてる自分自身に涙が出てきそうだ。


「とにかく小説書いてきてよ、あなたの小説面白いよ、きっと才能があるよ」


 煮え切らない態度に苛立ちを募らせた彼女の言葉が僕のもっとも痛いところに突き刺さった。


 君がそれを言うのか。 才能の塊である君が…僕に。


 頭に血が上る。 羞恥とは違う感情で心が一杯になる。


「才能なんか僕には無いよ。しょせん小説だってきばらしにはじめたんだ!君みたいな天才とは違うんだ!」


 言ってからしまったと思った。 だが怒りにも似た感情がそれを口走らせてしまった。


 彼女は眉をひそめている。 憎々しげに奥歯を噛み締めて、


「天才って言葉…私、大嫌い。自分の努力不足をその言葉で誤魔化すなんてすっごく格好悪いもの」


「それは君に才能があるからだ…努力をし続けても天才には適わない…だから凡人は大人しく天才に道を譲るしか…ない」


「自分で諦めただけでしょ!適わないから他人に道を譲る?…はっ!まんま負け犬じゃない、そんなやつが一番嫌いよ」


「君に何がわかるんだ!書いても書いても誰も見向きもされない、負け犬の気持ちが…君に…」   


それを聞いた彼女の瞳から感情が消えていく。 無機質で何もうつさない瞳に。


「自分で認めるのね、負け犬って…私、結構貴方のこと評価してた。誰にも読まれない物語を書き続けて、私が読む姿を熱っぽく見つめて、会うたびに何か一つ書いてきてくれたあなたのことを…」


 彼女は立ち上がる。 軽蔑と冷たい何かを瞳に宿しながら…。


「貰ったプレゼントは返すわ…本当はそんなことしたくなかった…もう一度小説を書くって言って欲しかった…」


 彼女はそういって今まであげたプレゼントをテーブルの上に置く。 


 僕は何も言えない。 ここまで心の中を吐露してしまった以上、何も言うことができない。


「私、仲間だとも思ってたわ。同じ創作を続けていって、同じ熱量で一緒に頑張れるって…お笑いね。もうお店には来ないで、負け犬になったあなたを見るのは辛いわ」


 それだけ言い残して彼女は去っていった。 一度も振り返らず、決別するように。


 取り残された僕はしばらくそこに居た。


 周囲の客からの「痴話げんか?」「振られちゃったね~」「可愛い子だったけどあの人冴えないしね」


 好き勝手に言われながら、心の中では彼女の最後の言葉が木霊していた。


 『負け犬になったあなたを見るのは辛いわ』


 それだけがショックだった。 それだけが悲しかった。


 なじられたことでもなく、お店には来ないでって言われたことじゃない。 ただ彼女から負け犬と言われたことだけが心の中にジンジンと反響して広がっていく。


 そして同時に身体が熱くなった。 身体だけじゃなくズタズタになった心の中もその言葉で一杯になったときに何かが点いたのだ。


 それは炎のように熱く、氷のように冷たい。 矛盾した感情が綯い交ぜになった代物で、だがその中にかつては確実にあった何かも含まれていた。


 やがてそれが飽和した時、僕は立ち上がり…そして走りだした。


 彼女の唄う店じゃない。 自宅に。 自分の部屋に。

 

 折れた何かがツギハギされて不恰好ながらも今までに無いほどに僕の心の中に強く屹立していた。


 僕は負け犬なんかじゃない!


 その言葉で補強された何かに突き動かされながら。





 エピローグ 十年後。


 それではただいまから『煌く街の歌姫』の製作発表会を始めさせていただきます。なお、キャストや監督からの言葉の後にはこの映画の主題歌を唄う綾坂花梨さんの特別ライブも行います」


 ざわざわとしたマスコミの歓声とフラッシュが眩しく主役達を照らす。


 華やかな舞台の袖で原作者である男がその様子を見ていた。


「ひさしぶりね」


 ふと後ろから声をかけられ、振り返る。 そこにはこの映画の主題歌を歌う歌手が立っていた。


 6年前に彗星の如く表れ、あっという間に人気歌手となった彼女は昔よりも魅力的な女性へと変わっていた。


「ああ、久しぶりだね」

 

 お互いに年齢を重ね、あの別れから十年がたったことを感じさせる。


「映画化おめでとう、私も主題歌を歌えて嬉しいわ」


「こちらこそ、主題歌を歌ってくれてありがとう」


 言葉とは裏腹の無味乾燥とした互いの声は十年が決して短くないことを示している。


「もうすぐ、製作発表は終わりだね」


 出演者の質疑応答が終わり、ステージ上で片付けられていき、音響器具が代わりに並べられていくのを静かに見ている。


「ええ、そのあとは私が歌うの、ちゃんと口バクじゃない生唱で唄わせてもらうからよかったら聞いてって」


 手を振って本番に向かってスタンバイ位置に向かう彼女の背中に原作者である男が声をかけた。


「ありがとう、君のおかげでここまでこれたよ」


 男の言葉には深い感謝の心と何か複雑な思いが込められているように聞こえる。


 振り返る彼女に男が再度口を開く。


「綺麗過ぎる物語に感情の泥を込められるようになった…君によってね」


 そんな男を黙って聞いていた彼女はニコリと笑って、


「言ったでしょう?あなたには才能があるって…負け犬で終わらない才能がね」


 そのときの彼女の顔は少女のようであった。 十年前の時と変わらないで、隣の席に座って話し込んでいた時のような。


 そのまま彼女は背中を見せて去っていく。


 後ろ姿を見送りながら男はフッと笑みを浮かべる。


 それは男の心の内に残った最後の刺。


 わだかまりではなく、ましてや恨みでもなく、男がこの十年間がむしゃらに努力し続けた日々が報われた瞬間でもあった。


 男もまたゆっくりとまわってステージへと向き直る。




「それでは綾坂花梨さんがこの映画のために書き下ろした主題歌を歌ってもらいます。なお、花梨さんはこの映画の原作を大変気に入っていらして、是非に主題歌を歌いたいと自ら手を上げてくれました」


 司会の言葉にマスコミ達から「ほお~」という声があがる。


「花梨さんが自ら言うほどにこの映画の原作は大変素晴らしいものでして、どうかマスコミの皆様もそのことを是非紙面に反映してくださるよう平にお願いいたします」


 司会者の冗談めいた口上に会場から笑い声がこぼれた。


「それでは歌ってもらいましょう詩名は『煌く街の女王の孤独』です」


 同時に会場を照らしていたライトが消え、スポットライトが中心に集まる。


 そこには一人の歌手。 


 あのときと同じようにスポットライトに照らされたかつての少女であった彼女を、原作者の男は名もなき凡人だった頃と同じように静かに歌い上げるのを待っていた。

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