第二章 4-1

 初回のデモを実行した日から、一週間が経った。


 午後一時。相変わらず厳しい夏の日差しの下、ニューヨーク市庁舎の近くにある公園に、反対派デモ参加者の男女が集合していた。


 反対派の人数は八倍以上に膨れ上がり、総勢四百三十六人の大規模な団体へと様変わりしていた。


 ニュースで反対派の姿を観て奮起した労働組合員たちが、次々に加入手続きを済ませたことで、見る見るうちに大勢の賛同者が加わったのだ。




 広場には、怒りと覇気を纏った四百の体躯から発せられる熱と、この場に来られなかった同志たちの思いが渦巻いていた。


 時折吹く風にも負けずに場を満たし続ける熱気を目の当たりにしたティモシーは、己の双肩に懸かる思いの重さを改めて思い知らされたが、それは単なる重圧では終わらず、無声の叱咤しったとなって、彼の心をより一層奮い立たせた。


 ティモシーを守るようにして立っている工務店の同僚たちも同様に緊張しており、乾いた口で雑談をして、強張る精神と身体をほぐそうと努めている。


 忙しなく準備運動をしながら、シドニーが言った。


「ボスにも参加してほしかったな」


 胸を張って群集を眺めているバーンが、笑いながら返事をした。


「馬鹿を言うな。賛成派の権力者から、会社に圧力をかけられちゃまずいからな。俺が参加しないように言っておいたんだ」


 簡易栄養食のビスケットをかじる口を休めて、エディーが質問した。


「それで、ボスは何と言ってたんです?」


「物騒なデモなんかに参加するわけがないだろう、だとさ。俺が言うまでもなかった。ボスは、ああ見えて聡明な男だからな。曲がりなりにも経営者だ。労働組合絡みのデモに深く関わったりはしねえさ。さて、もう全員揃ったんじゃないか。どうだ、ティム?」


 バーンが後ろを振り返って問いかけると、立ち控えていたリーダーは威勢よく答えた。


「はじめよう」


「いいね。じゃあ景気よく頼むぜ、バーン」


 シドニーが茶化すようにそう言うと、バーンが片方の口角をぐっと上げて笑い、それから一歩前に踏み出して、手を三度打ち鳴らしながら叫んだ。


「発起人の挨拶だ。みんな聞いてくれ!」


 集まった四百三十二人の男女の視線が束となって、ティモシーの身に注がれる。


 ティモシーは余裕のある表情を保ちつつ、腹の底で懸命に緊張を押さえ込みながら、皆の前にあるベンチに向かって歩き出した。


 彼は様々な場面をかいくぐって生きてきたが、これほどの注目を浴びたことも、これほどの人数を呼び出したことも、これほどの人数を指揮することも、全ての責任を負う立場になったこともない。全てが未知のものだ。


 しかし、逃げるわけにはいかない。義務と使命、そして家族のために、未知の領域を全力疾走しなければならない。


 さり気なく、しかし大きく息を吸い、酸素を脳の隅々まで届けて、半ば消え失せていた記憶を懸命に手繰り、人の前に立つ男としての振る舞い方を思い起こした。


 人生の師によって刻まれた知識が、焦点を合わせるかのように、じわりじわりと浮かび上がってくる。




 そうだ。そうだった。


 少人数を相手にする時とは違い、より厳格な挨拶をする必要がある。


 呼びかけ方も重要だ。ストレスを与えない程度のまろやかな怒りを添えて、はっきりと叫ぶんだ。


 気弱な声では駄目で、怒りすぎた声はもっと駄目だ。人間は、怒り叫ぶ人物には賛同しない。




 ベンチの上に乗ったティモシーは、人生の師に教えられたとおりの声を上げた。


「今回のアンドロイド人権反対デモを企画した、ティモシー・フィッシャーです。これほど沢山の仲間がつどってくださったことを、大変ありがたく思っております」


 未来に絶望しながらも、守るべき家族のために現実を見据えて戦う者たちの鋭い視線が、ティモシーの眼球を貫通して脳を刺す。


「肩肘張らずに、いつも通りにしゃべりなよ!」


 強化プラスチック建材の重い柱を一人で運べそうなほど逞しい女性が、ティモシーの心をほぐしてやるために声を張った。


 それに呼応して、彼の身を縛る緊張を解くように、優しい拍手が巻き起こる。


「仰るとおりだ。では、仲間には仲間らしく、親しみを込めて語りかけるとしよう。俺のことは、ティムと呼んでもいいし、坊やと呼んでもいいし、兄弟と呼んでもいい。好きなように呼んでくれ!」


 先ほどとは違って力強い拍手が巻き起こり、同時に、海面のようにうねって見える群集の各方から、想いの籠もった言葉が飛んで来た。


「あんたの振る舞いをテレビで観て、活動に参加する気になったんだ!」


「皆、あんたを認めてんだ!」


「遠慮せずに指示しろよ!」


 嬉しさが胸を満たすと同時に、ある思いが頭を満たした。



 俺たちは、すでに一つになっている。こんなに沢山の人が、早くも一つになっている。



 ティモシーはその思いが消えてしまう前に、感情を詰めに詰めた声を張り上げた。


「俺たちは家族のために、社会を説得し続ける!」


 反対派たちの感情は一気に過熱され、雄叫びとなって一斉に解き放たれた。


 ティモシーの目が、驚きと興奮に見開かれる。人の感情が爆発する様子を見たのは、これが二度目だった。


 ティモシーの中に今も生きる人生の師の記憶が、日が差すうちに牧草を干せと囁く。


「アンドロイドに人権を与えてはならない。彼らに仕事を奪われることが確定してしまう。それを何としてでも止めるぞ。自分自身と家族に誓うんだ!」


 理性に満ち溢れた雄叫びが上がる。


「俺たちの戦いは、後世にまで語り継がれるだろう。何故なら、俺たちの戦いは自分の仕事を守るだけではなく、子孫の仕事をも守ることになるからだ!」


 理性だけではなく、愛にも満ちた雄叫びが上がる。


「デモ活動をするにあたり、肝に銘じて欲しいことがある。我々は正しい――」


 ティモシーの言葉を遮り、デモ参加者が賛同の叫びを上げた。


 ティモシーは気を取り直し、もう一度大きく息を吸って、彼らの意識に刻み込まなければならない言葉を改めて伝えた。



「まず第一に、我々は正しい。義は俺たちにある。だからこそ、俺たちは正しく振舞わなければならない。絶対に暴力を振るってはならない。たとえ、どれほど激しく殴りつけられたとしてもだ!」



 デモ参加者の叫びが、さらに屈強な理性と愛と秩序を帯びる。



「第二に、このデモは俺たちだけの戦いじゃない。都合があって参加できない仲間たちの意思も代弁しているんだ。彼らに恥をかかせるな!」



 デモに来られなかった人々の分が上乗せされた、より大きな雄叫びが上がる。



「第三に、俺たちがこうやって叫びに来たのは、愛する家族のためだ。家族を守るぞ!」



 反対派の男女はこれまでで最も勇ましい雄叫びを上げて、発起人の言葉に全力で答えた。


 もしも俺が競走馬なら、体中の筋肉をビクビクと痙攣させているだろうな。ティモシーはそんなことを考えながら、右の拳を突き上げて叫んだ。


「行くぞ!」


「おお!」


 反対派の有志たちは、真に一つとなった。




 我々は、アンドロイドに仕事を奪われる。そして、あなたも。


 そう書かれたベニヤ板を角材に打ち付けて作られた古臭い様式のプラカードを掲げて、男たちは家族のために行進を始めた。


 武器になってしまいそうなものを用いるのは避けたかったが、彼らの表現方法に干渉するわけにはいかなかった。


 暴徒化することはないだろうと、ティモシーは確信していた。それに、建材を利用した無骨なプラカードは、じつによく目立つ。活用しない手はない。




 ニューヨーク市庁舎までの道のりの途中、ティモシーは幼い頃に見たデモの光景を回想していた。


 大衆に語りかける上で必要な所作を、ティモシーは子供の頃に見て学んでいた。


 彼が九歳の頃、近所に住んでいた路上生活者たちが陳情デモをしたことがあった。警察が、彼らに対する暴行事件を取り締まってくれなかったことに抗議し、是正してもらうために行われたデモだった。


 彼はその決起集会に、日頃から世話になっていたワイズじいさんと一緒に参加していたのだった。


 路上生活者の共同体で尊敬を集めていたワイズじいさんは、幼いティモシーに集会の内容を逐一解説してくれて、デモというものが何なのか、原因は何なのか、どのように振る舞えばいいのか、どのようにして問題に対処すればいいのかを教えてくれたのだった。


 ワイズじいさんはデモのリーダーの演説も解説してくれて、どのように話せば反感を持たれずに人々を奮い立たせることができるのかまで、事細かに教えてくれた。子供でも理解できるように、易しく、優しく。


 ワイズじいさんはデモの作法だけでなく、社会の仕組みや人付き合いのコツについても教えてくれた。


 ティモシーは彼の本名を知らないが、彼が持っていた知識の全てを知っている。今でも、彼の知恵に助けられることが度々ある。


 父親という単語を耳にしたとき、真っ先に浮かぶのはワイズじいさんの顔だ。


 ティモシーが獲得するはずだった美しい褐色の肌を淡くした実父の顔は、もう覚えていない。記憶しているのは、殺気に満ちた男の目と口の形だけだ。




 先頭を行くティモシーは、心の中でワイズじいさんに感謝した。デモ活動を順調に行えるのは、彼のおかげだ。


 彼はもういないが、彼の教えは今、反対派と共にある。怖いものなどない。強がりではなく、素直にそう思えた。


 反対派の一団は心も体も一つとなって、力強く歩みを進める。

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