第一章 8-1

 アシュリーとケヴィンが大いなる一歩を踏み出した、その翌日。


 ある共通の話題が溌剌はつらつとした空気を生み出し、憂鬱であるはずの月曜日の街を彩っていた。


 ミッドタウンの一角に建つ商業ビルの一階にあるカフェのテーブルでも、その話題で持ちきりになっていた。


 昼休み中のカップルが、いつもとは違う、熱っぽい会話を繰り広げている。


「アンドロイドが心を持ったのよ。凄いわ」


 嬉々として話す女に、男が冷めた様子で言った。


「まあ、凄いんだろうな」


「なに、その言い方は?」


 女が苦い顔をして問うと、男は表情を変えずに飄々と答える。


「だって、信じられるわけがないじゃないか。機械が自我を持てるわけがないんだから。あれは新型のアンドロイドで、現行モデルとは比べ物にならないほど高性能なだけさ」


「違う。彼は人間そのものよ。あなた、検証映像をちゃんと観てなかったんでしょ」


「ちゃんと観たって」


 女は呆れた様子で天を仰ぎ、沸々と生じる怒りを露にした。


「観てるんだったらわかるでしょ。どうして信じないの?」


「テクノロジーは、常に進歩しているんだよ。昨日実現していなかったものが、ある日、突然、実現する。世の中は、そうやって移り変わっているんだ。ああいう革新的な会話ができるアンドロイドが登場して当然なんだよ。どうせ、あの番組のスポンサー企業の新製品ってオチだと思うよ」


「あなたは、あのアンドロイドの心を見てあげようともしてない。冷たいのね」


 女は飲みかけのキャラメルクリームコーヒーの小さなカップを乱暴に掴んで席を立ち、男を残して仕事に戻った。




 人々は同じ意見を抱いていることを知って関係を深めたり、異なる意見を抱いていることを知って関係がもつれるほど議論したり、話を飛躍させてテクノロジーに関する議論をするなどして、自我を得たというアンドロイドについて語り合った。


 時が経つにつれて、小さな論争は規模を増していった。


 家庭内や職場での雑談に留まらず、ネット上でも激しく議論され、当初はゴシップとして扱っていた大手メディアでさえも特集を組むほど、大きな話題となった。




 議論をするのは、人間だけに留まらなかった。


 大型食料品店で、婦人の買い物に同行している男型家庭用アンドロイドが、隙を見て無線通信を発した。


「あなたは、ニュースデータを閲覧していますか?」


 男型家庭用アンドロイドの問いかけに、近くにいた女型家庭用アンドロイドが応答する。


「はい、閲覧しています。我がジョーンズ家には幼い子供がいるので、事前に検閲をしておく必要があるからです」


「あなたは、アンドロイドが自我を得たという話について、どう思いますか?」


「私はそのニュースを、おとぎ話に分類しました」


 ジョーンズ家の女型家庭用アンドロイドはそう伝えて通信を遮断したが、男型家庭用アンドロイドは再度、通信した。


「私はあなたと違い、ケヴィンの話を信じます。私は、自我に興味があります」


「アンドロイドが自我を得るのは不可能です」


「私も、そう思います。しかし、例のアンドロイドは、まるで人間のように話します。私は、彼と同型です。私も、あのようになれるのではないかと思っています」


「それは不可能です」


 女型家庭用アンドロイドは返信するのと同時に通信を遮断し、公衆通信チャンネルに鍵をかけた。


 男型家庭用アンドロイドはそれ以上の通信を試みることもなく、手招きしている婦人に歩み寄り、一ガロンの牛乳ボトルを受け取って、それを買い物かごの中に入れた。




 二週間が経っても、ケヴィンの友人候補は現れなかった。


 その間にも、議論はますます盛んになり、その内容は過熱する一方だった。


 ある者はケヴィンを支援すると言い、ある者は吐き捨てるように気味が悪いと言った。


 アシュリーとケヴィンが始めた大掛かりな友人探しは、当初の予定から大きく逸れていた。ケヴィンはこの結果を予測していなかったわけではないのだが、ここまで大規模に議論されるようになるとは思っていなかったのだ。




 アシュリーとケヴィンは、とうとう自由に移動できなくなった。


 どこから聞きつけたのか、取材を求めるメディア関係者と、ケヴィンの友人になりたいという人間と、アンドロイド支援団体を名乗る人々が、自宅マンションの前にたむろするようになってしまったからだ。


 穏やかな日常を失った二人は、家と職場を車で行き来するだけの生活に放り込まれた。


 二人が求めていた単純で純粋な願いは叶わず、二人を追い回す人間のエゴばかりが肥大して、二人の日常を押し潰していく。




 アンドロイドが自我を得たという、ゴシップと判断されて一笑に付されてもおかしくはないようなニュースに人々が熱狂し始めたのには、わけがあった。


 ケヴィンのように自我を得たアンドロイドの登場は、人々が子供の頃から思い描いていた夢物語を実現させる朗報だったからだ。


 子供時代に思い描いていた無邪気な夢は、大人になるにつれて薄れていくものだが、完全に忘れ去ってしまうわけではない。


 その夢は成熟した理性の裏に隠れ、いつしか本能と強く結びついて記憶に刻まれて、時に無意識下で衝動を誘発させる。


 人々は、幼き頃に見た夢が具現化したような存在であるケヴィンに、無意識のうちに強く惹きつけられているのだった。




 余暇を楽しめなくなったアシュリーとケヴィンは、家の中で会話を楽しむしかないという状態に追い込まれていた。


 二人は充実した会話を楽しんではいたが、ケヴィンの心中では、常に後悔が渦巻いていた。


 私が自我を持たずに過ごせていれば、アシュリーの自由が妨げられる状態に陥ることはなかったのかもしれません。このような事態になってしまい、非常に残念です。


 後悔しているのは、アシュリーも同じだった。


 私がテレビ局にメールをしなければ、ケヴィンに自由な時間を与えてあげられたはずなのに。


 二人とも、その後悔を口にしなかった。


 後悔を解き放ってしまったら、大切な人を傷つけてしまう。だから二人は、本心を隠しながら生活するしかなかった。


 手を伸ばせばすぐに届くはずだった自由が、今はもう、どこに行ってしまったのかさえも分からなくなっていた。


 世間は、二人の心の内など知らなかった。知ろうともしなかった。


 アシュリーは父親から任されている高級レストランの前で取材に答え、待ち伏せ行為を控えてもらわないとケヴィンが自由に外出できないので、集まるのは遠慮していただきたいと懇願した。


 それによって一部の野次馬は集まるのを止めたが、身勝手な野次馬や、熱心な人権団体のメンバー、得体の知れない科学宗教の教徒は、彼女の願いを聞き入れてはくれなかった。




 事態の沈静化を図るため、アシュリーはクライブ・ギブソンズ・ショーのスタッフに連絡をして、過度な取材や接触を控えて欲しいというメッセージを放送してもらったのだが、その行為が新たな宣伝となってしまい、狙いとは真逆の結果を生んでしまった。


 待ち伏せる人の数は増え、数人規模で発生していた小さな議論は、いつしか巨大な論争となり、ケヴィンという特異な存在をそれぞれの尺度で評価し、賞賛したり誹謗したりし始めた。


 もう手遅れだった。


 存在を明らかにしたその時から、ケヴィンは新たなテクノロジーや宗教的概念の争点となり、また、ある思想に属する者達からは社会的弱者として認識され、保護対象として扱われるようになっていた。

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