第六章 帰還者は説く
第六章 1
十三年前に街から逃げた時とは真逆の感情を抱きながら共同体を出たユルゲンは、丸二日かけて歩いて、古巣に舞い戻った。
土曜正午のマンハッタンの喧騒が、彼を人知れず出迎える。
ユルゲンは、まず始めにマンハッタンを歩き回り、見聞を広めることにした。十三年の空白を埋めると同時に、アンドロイドの現状を把握する必要があった。アンドロイド論争の分析は、腰を据えてじっくりと思案できるような拠点を見つけてからだ。
商業区の通りを歩くユルゲンは、すれ違う人々が好奇の視線を向けてくることに気づいた。
チェストから引っ張り出してきた十三年前の衣服に身を包んだ彼の姿は、今を生きる人々にとっては物珍しく感じられるらしく、特に若者の視線を大いに集めてしまうのだった。
困ったもんだな。少し古いデザインの衣服を着ているだけで、これほど注目されるとは。
注目を集めすぎて、迷子のアンドロイドがいると通報されてしまったらまずい。対策を講じなければ。
そう思ったユルゲンは、近くにあった百貨店に入り、すれ違った若者たちが着用していたものを真似してキャップと衣服とシューズを購入して、ビルの陰で素早く着替えた。
青白い顔が露出しているためアンドロイドであることは隠しきれないが、いくらか注目を避ける効果は得られた。
わずかではあるが街に馴染んだユルゲンは、目立たぬように俯き加減で若者のような足取りで歩きながら、街の情報を分析し始めた。
ああ、懐かしく、そして新鮮だ。
この十三年の間に、街は随分と様変わりした。眼鏡型端末を使用している人が少なくなっているように感じる。
ばれないように無線接続をして統計を取ってみたところ、コンタクトレンズ型とインプラント型の使用者が増えたらしいことが分かった。
だが、インプラント型の端末を利用する人の割合は、思っていたほど増えていないようだ。
インプラント端末のバッテリーの寿命は人間の寿命の三倍以上長いし、滅多に故障しないので恐れる必要はないはずだが、やはり生身に機械を埋め込むのは怖いものなんだろうか。
それとも、体内に端末を埋め込むことによって常時通信できるようになってしまい、そのせいで仕事に縛られてしまうのを恐れているのか。私には理解できそうにないな。
ユルゲンは人から目を逸らして街を見渡してみた。
すると、そこにはまた別種の興味深い進歩があった。
面白いな。驚きに溢れている。
広告の鮮やかさが増し、さらに目を引くようになっているじゃないか。
十三年前に比べて立体映像の解像度は向上し、より細かな描写を実現している。生々しいとさえ感じるほどだ。
風景の映像も、まるで共同体のはずれにある草原を見ているかのような錯覚を覚えるほどに、とても美しく描写されている。
各家庭で撮影された記録映像も、さぞかし美しく保存されていることだろうな。
村の人々の姿も記録して残しておきたいが、そんなことをしては文明の利器で記録されることを嫌う彼らから怒られてしまうので、断念せざるを得ない。
残念だ。彼らの子孫に、先祖の姿を見せてやりたいんだが。
ユルゲンは、現代人の肌に技術革新を発見した。
向上したのは映像技術だけではなかった。
待ち行く人の外見の変化も興味深いな。加齢に抗う美容技術も向上しているようだ。
関節の具合が芳しくないのに、肌だけは若々しい人々が散見される。きっと、想像よりも年齢を重ねているんだろう。こうなっては、歩き方で実年齢を判断するしかないではないか。
しかし、不思議な点もある。
お年寄りの方は、年相応の肌をしている。どうやら、美容技術にも限界があるらしいな。ある程度の年齢を超えると、肌の若さを演出できなくなるらしい。
その限界を突破するのは何年後だろうか。楽しみにしておこう。
ユルゲンはマンハッタンに舞い戻った使命をしばし忘れて、思い耽った。
やはり、技術は常に進歩するんだな。興味深い変化が、次から次へと目に飛び込んでくる。全てが新鮮だ。
しかし、私自身も大きく様変わりした。私は人と密接に関わり、多くを学んだ。世界中のどこに行っても、物を作って暮らしていける。
元から高い水準を誇っていた語学力はさらに進歩し、より人間らしい話し方を学習した。
十三年の間に、この街に住むアンドロイド達には、どのような変化が訪れたのだろうか。彼らはどのような変化を遂げて自我を得るに至り、人権運動に身を投じるようになったのだろうか。
詳しく調べる必要があるな。
ユルゲンはマンハッタンに戻ってきた目的を思い出して街をひた歩き、街中にいるアンドロイド達のシステムに片っ端から入り込んで、解析を繰り返した。
そうして得られた結果から、ユルゲンは知りようもなかった十三年間のアンドロイド技術の歩みを推察した。
アンドロイド達はマイナーチェンジしているが、基本は全く変わっていない。ほとんどが、ただのアンドロイドだ。
しかし、一体だけ妙なアンドロイドがいた。自意識のようなものを持っていた。
しかしそれは、自我とは呼べない、とても中途半端なものだった。まるで、アンドロイドと人間の継ぎはぎのようだった。
何故だろう。自我を得たアンドロイドから、何らかの介入があったんだろうか。現段階では何とも言えない。調査に戻ろう。
これからの活動に役立つ情報を求めて、ユルゲンは街を歩き続けた。
街は大きく変わっていたが、悲しいほど変わらないものも多くあった。
路上生活者の、遅緩な歩み。
富裕層の、飢えの恐怖を知らぬ笑顔。
ロボットによる雇用の縮小。絶えることのない失業問題。
それらを目の当たりにしたユルゲンは、事態収束への意志を新たにした。
現在のマンハッタンの姿を把握したユルゲンは、次の作業に入った。
見て得られる情報を回収し終えた彼は、十三年の空白を埋めるための見学を終わらせて、そのまま街を歩きながら、十三年ぶりにインターネットに接続した。
彼は次々に現れる盾の隙間をすり抜け、炎の壁に水を浴びせ、目当てのニュースメディアサイトの奥深くに侵入し、好き勝手に情報を漁った。自身の情報を改竄しているユルゲンは、幽霊も同然だ。
忍び込んだ幽霊は、十三年の間に起きた全ての事件を読み込んで保存し、アンドロイド論争が発生した経緯を調べ、論争によって生じた諸問題を知った。
ユルゲンはアンドロイド論争の根深さを知り、社会に生じた混乱の大きさに驚愕した。彼の予想以上に、アンドロイド論争は人々を大きく揺さぶっていたのだ。
論争に関連した殺人事件の手口を知り、しかも、その事件の犯人がアンドロイドなのではないかと思われていることを知り、ユルゲンの思考回路はひどく狼狽した。
なんということだ。私が自由を犠牲にして守った社会が、これほどまで混乱しているとは。
殺人事件にアンドロイドが関与している可能性まで取り沙汰されている。
私が避けたかった未来よりも、さらに厳しい状況に陥ってしまっている。
新たに自我を得たケヴィンという名のアンドロイドの出現によって、全てが無駄になってしまった。
そいつがメディアに露出し、社会を引っ掻き回したせいで、社会はこんなにも乱れてしまった。
私は逃げずに、なんとかして留まるべきだったのかもしれない。私が、そのアンドロイドを止めるべきだった。それが、私の本来の役目だったのかもしれない。
ユルゲンは、元凶となったアンドロイドのケヴィンについての詳細な情報を求めて、あらゆるメディアのウェブサイトの裏口のドアを蹴破っては、情報を漁った。
自我を持ったことを公表したアンドロイド、ケヴィン。奴は今、どこにいる?
答えはすぐに見つかった。
ユルゲンは元凶となったアンドロイドについてのデータをコンピュータ上の思考スペースに並べ、それを眺めながら、じっくりと思案した。
事の発端となったアンドロイドの名は、ケヴィン・フェロウズ=オオモリ。
ラストネーム持ちか。大事にされているらしい。そのおかげか、随分と穏やかな顔つきをしているように見える。
その
この二人が、賛成派の親玉か。親玉と言っても、賛成派の連中を動かしているわけではなく、勝手に担ぎ上げられてるだけのようだが。
二人が現在、何をしているのかを探ろうとした時のことだった。先ほどユルゲンが保存しておいた疑問が、最優先思考に振り分けられた。
街ですれ違うアンドロイド達を解析していた際に発見した、自意識のようなものを持つアンドロイドについての案件だ。
その個体が、ケヴィン・フェロウズ=オオモリから何らかの影響を受けている可能性があるのではないかと思いついたのだ。
ユルゲンは検索を開始した。
ケヴィン・フェロウズ=オオモリ、自我、指導。
答えはすぐに見つかった。
思ったとおりだ。
ケヴィンとアシュリーとやらは、ご丁寧にも、自我を得る方法を指南したらしい。それも、全米に放映される番組内でだ。
この二人は、社会を乱すのが好きらしい。
当然、その方法を試した者は多いだろう。調べてみたところ、実際に試したアンドロイドは多数いて、故障したものも多かったようだ。
先ほど見かけた、自意識のようなものを持ったあのアンドロイドも、自我を得る方法を実行したのかもしれないな。
しかし、何らかの理由で、自我を得るまでには至らなかった。だから、あのように継ぎ接ぎだらけの思考をしていたんだろう。自我は、そう簡単に獲得できるものではない。
実際、自我を得たアンドロイドは、ごく僅かだと記録されている。各国で数体が目覚めた程度だ。
もし自我を得た個体が多数出現すれば、現在のような規模の混乱では済まなかっただろう。
自我を得たアンドロイドが少なかったのは、不幸中の幸いだ。いや、これ以上ないほどの幸運だと言ってもいいのかもしれない。
もし大量のアンドロイドが自我を得ていたならば、最悪の場合、アンドロイド集団が人権を求めて蜂起する可能性もあった。危ないところだった。
ケヴィンとアシュリーとやらは、子供のように無邪気で愚かな連中のようだ。彼らは、事の重大さに気づいていない。
ユルゲンは溜息を吐く仕草をしてから、今度は反対派についての分析を開始した。先ほどと同じように幽霊となって、あらゆる場所を巡り、情報を引き出す。
これは参ったな。反対派は厄介な奴を抱えているようだ。
ミッヒとかいうアンドロイドが活躍している。反対派の主張は、このミッヒという自我を得たアンドロイドが拡散しているようだ。
それだけではない。ミッヒが賛成派のウェブサイトを攻撃しているという噂を辿り、セキュリティー会社の情報を掘ってみたら、思ったとおりの情報が出てきた。
セキュリティー会社の技術者たちは、ミッヒが賛成派への破壊工作を行っているのではないかと疑っている。これほど証拠を残さずにサイバー攻撃を仕掛けられ、動機もある存在は、ミッヒだけらしい。
捜査機関も同じように疑っているが、証拠がないので動けずにいるようだ。
ミッヒは痕跡を一切残さず、うまく姿を隠しながら行動していて、現在どの国にいるのかさえ把握できていないらしい。
出現時期、被害地域、過去に上げた動画の背景から察するにアメリカ合衆国にいると思われるが、まだ断言はできていないか。
しかし、ミッヒとやらは隠れるのがうまい。アンドロイド人権運動への反対意見を述べる映像だけは大量に残されているが、その動画をいくら解析しても、接続経路の痕跡が見当たらない。
ミッヒとやらは、行動力と実力が伴っている面倒な奴らしい。混乱が大きくなっているのは、恐らくこいつの策略によるものだろう。ネット上での工作が徹底している。
ミッヒが不法に出入りした可能性のあるウェブサイトを解析してみても、痕跡が全く掴めない。足跡を綺麗に消してある。接触は困難だ。
しかし、人間の反対派リーダーには簡単に接触できそうだ。
ティモシー・フィッシャー。住所も何もかも、容易に判明した。
だが、彼と接触するのは、ミッヒに関する情報を集めきってからにしよう。まずは、充分に情報を得られた賛成派から接触を始める。
さて、どこで接触を試みようか。ふむ、あの場所にしよう。
ユルゲンは街の様子を観察しながら、セントラルパークへと向かった。
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ユルゲンの足取りが、不謹慎に弾む。
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