青色の滑走路

遼介

第1章(全7話)

第1話-1 2年3組、有平 瞬。

 蛍光灯がチカチカと点滅し始めていた。いい加減に交換しないとな。

 そう思いながら部屋の電気を消し、勉強机のスタンドライトを代わりに点けた。

 

 小学生の頃から使ってきた勉強机に向かい、時間割を見つめる。


 昨日は入学式だった。在校生は関係ないと思っていたけど、新入部員の勧誘をやれと先輩からLINEがきたので休日出勤(休日登校か?)。 めんどくさかった。

 

 それに比べれば始業式なんて淡々と「御」校長のありがたい「ご」高話を「お」聞きして、終わり。午後からは部活か帰宅か。まさにどうってことない一日だ。

 それでもその翌日、すなわち明後日からは普通に授業が始まる。しかもいきなり物理化学のダブルパンチ。物理はとりわけ苦手だ。だからといってサボると痛い目にあうことは経験済み。

 他の高校がどうかは知らないけど、俺の高校では宿題が出ることはまずない。その代わり予習をしてこいと入学したときに散々言われた。まぁたまには課題という名の宿題が出ることもあるけど。

 去年の経験則に基づいて嫌々ながらに物理の教科書、参考書をとりあえず広げる。スタンドライトの照り返しで白飛びする教科書。バックからルーズリーフを引っ張り出して序章範囲を流し読む。最初は「力学」をやるらしい。身近なものにどういう力が加わっているか、それを矢印で表して計算で力を数値化する。

 やることは単純だが意味がわからない。別にいつ段ボールが滑り出そうが、おもりをいくつぶら下げればバケツが落ちようが、俺には関係ないと思うんですけど。

 どんどん増えていく文句を頭の中で唱えながら手だけは真面目に矢印を書く。


 【――役に立つんですか?】


 そういえば前に訊かれたな。俺はなんて答えたっけ。

 記憶を探りながら問題を解いていると矢印の向きを間違えた。消しゴムでこすりながらまた問題を読み直す。

 気付けばあたりは真っ暗になり百メートルおきの街灯だけが煌いている。腹減ったなぁ。


「瞬~ごーはんー」


 ナイスタイミング! とりあえず後でやろう。別に明日は始業式だけだし今日完成しなくても最悪いい。早く飯食おう。


「瞬~! 早く降りて来い!」



 ◆



「ったく、聞こえたら返事くらいしなさいって」

「うっせーよ。姉ちゃんが短気なんだろ。来ようとしてたから」

「はぁ!? 短気じゃないし。私はどっちかといえば大らかだから。のろまな弟とは違いますー」

「二人ともいい加減にしなさいって」

 母さんが呆れながらご飯をよそっている。

「瞬、おばあちゃん呼んできて」

 俺は姉ちゃんの小言を背に受けながらばあちゃんの部屋に向かう。

 ばあちゃんの部屋は一階奥の和室だ。数年前シロアリがいるかもしれないとなって家の半分が建て替えられた。運良く和室があるほうの半分はそのまま残せることになり、じいちゃんが心臓病で亡くなった後も、ばあちゃんはその和室に布団を敷いて今でも過ごしている。

 家の中で唯一のふすまがある部屋。ふすま越しに俺はばあちゃんを呼ぶ。

「ばあちゃん、ご飯できたってよ」

「おお、そうかい。ありがとう」

 ふすまから出てくるのはとても七十五歳とは思えない、ピンピンとした女性。普通足腰とか曲がってくる歳だろ。口調こそ古い言い回しが多いが、うちのばあちゃんは不死身かもしれない。



 ◆



「いただきま~す」

 やけに姉貴の声だけがこだまする食卓。

 父さんは昔から単身赴任を繰り返している。母、姉、祖母という「かかあ天下」ならぬ「おんな天下」のこの家に、俺の味方はいない。

「それにしても夏穂は三年かい」

「そうだよ。もう受験生とかありえないわ。それに比べ二年は楽しかったなぁ~」

 唐揚げに箸を伸ばしながらなんで俺を見るんだ。

「別に三年だって楽しいだろ。一番上に立つんだから」

「あー、瞬はなんにもわかってない。先輩がいて後輩もいる。それって甘えられるし怒れるってことじゃん。意外と楽しいんだって。受験も関係ないし」

 中間管理職、みたいなことか。

「夏穂ねぇ、二年生って大変なのよ。進路考えないといけないし部活は忙しくなるし」

 さすが母さん。小学校の元教員。真面目すぎる。

「瞬は進路どうするの」

 やばい。こっちに矛先が向いてきた。

「別にまだ決めてないって」

「そんなんでいいの? 文理選択はどっちにしたのよ」

 文理選択とは文系・理系どちらにするかを決めることだ。三年時に最終的な選択をするが、二年次も理科の単位数が変わるため、実質うちの高校は二年から文理が分かれる。

「一応、理系」

「え……それ本気なの?」

 姉貴の顔が若干引きつっている。

「なんだよ」

「あんた理科ぜっんぜんできないじゃん!! バカでしょ!」

「ちょっと夏穂、笑いすぎ」

 ばあちゃんは静かに味噌汁をすすっている。

「うっせーな! 大丈夫だよ。大学だって理科はセンターくらいしか要らないし」

「センターくらいって、センターなめてると泣くよ」

 姉貴だってまだセンター受けたこと無いだろ。

「まぁ部活に足ひっぱられないようにね(笑)」

 唐揚げを頬張る写真を学校中にばら撒きたいと思った。

「姉ちゃんこそ浮かれてると落ちっぞ。――ごちそうさま」


 そそくさと茶碗と皿を流しに運び、部屋へと戻った。



 ◆



 なぜ理系を選択したか。

 あの口うるさい姉貴を認めるわけではないが、確かに理科は点が伸びない。文系という選択肢は十分ありそうに思える。しかしそうはいかないんだ。

 唯一、自分が理系でなければならない理由。それは――


ピンポーン


 LINEのメッセージだ。

『明日って部活あるの?』

『多分ある』

『多分ってなに(笑) そっかーじゃあいいや』

『夕方とかならいいよ』

『本当!? じゃあ17時に南門ね』

 OKのスタンプを送る。

 鶏が「ケッコー」と腕組みをしているスタンプが返ってくる。

 そのセンスに疑問符を抱えながらスマホをベッドに放り投げた。



 机の上には見覚えのある配置で教科書とかが転がっている。それに対して食後のぐだーっとしたい欲望。

 だめだだめだだめだ。

 欲望に見事打ち勝ち、机に向かう。書き覚えの無い矢印が羅列されている。マーカーで公式を囲おうとするが再び欲望が横槍を入れてくる。寝ちゃおうぜ、横になろうぜ、と。

 

 とりあえず物理の教科書の上に、新たな教科書を載せる。臭いものにはフタって言葉がある。

 ルーズリーフのファイルを青色の仕切り板まで戻す。

 教科書の単元は「式と証明」かららしい。一年の応用的な位置づけだ。ちょっとだけこっちを先にやろうと思う。ちょっとだけ。

 理系を選択したのは、「数学」が好きだからだ。

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