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  • はじめまして。

    今回の企画に参加させていただきましたものです(私自身、企画に参加したのも初めてです)。

    皆さんの考え方などとても参考になりました。

    その中で私個人として、林原こうた様の作品が一番自分には分かりやすく、面白いものでした。

    特に

    ※ここからは愚痴です。

    からのくだりは大変読みやすく、普段活字がなかなか頭に入ってこない(同じ文章を何度も読み返す、意味を理解するのに時間をかけるなど)私が最後までテンポよく止まることなく、理解することが出来(これは例え方がすごく上手なのでしょうね)、いいものを読ませていただきました。

    なので☆をつけさせていただきました。

    皆さんそれぞれの考え方や表現の仕方があり、順番を決めることは無粋なことを承知の上で、そのうえで私なら今回は林原こうた様に一票と言う意味です。

    また、こういった企画があれば参加したいですね。

    これからも「共に頑張りましょう」

    工藤千尋

    作者からの返信

    応援ありがとうございます。
    駄文を褒めていただきありがとうww
    照れるなぁww

    とはいうものの、
    俺も皆様の企画を拝見させていただいて、やはり『捉え方の違い』には驚いてます。

    カクヨムはみんなで参加できるような仕組みがちょっと少ないからなww
    ……と愚痴もありますが、

    みんなで同じ題材について、話せるのっていいよね。
    こういう企画やシステムがもっと増えたらいいのにな!!

    林原こうた

  • 私個人も気になっていたことなので、皆さんのご意見を読みに回ろうと思っています!

    個人の意見としては、純文学は私小説と感じてます。

    どこかに自分の経験だったり感情だったりを書きたくて書いた!という至極個人的な書物のように思えます。自分を削って小説を書くのは苦しいでしょうけど、そういう部分が表現や描写、小説の構成に出てくるんじゃないかな、と。

    作者からの返信

    私小説も、純文学に成りえるとは思います。
    日々の日記も、それが個人の感情を綴ったモノであれば純文学の一つになりえるでしょうね。
    ただその場合、エッセイという言い方のほうが近い気がしますが……どうなんでしょうねww

    私小説という形が、ノンフィクションでないのに小説の形を留めさせるのには限界があるのでは……とか馬鹿なことを考えちゃんですよね。


    それと、
    『至極個人的』と言いますが、
    純文学を書き続けることができる人間は、確かに究極的には個人の人間ですが、その中には多重人格的にいくつもの人間になりきっている個人がいるワケです。で、なければ続けて純文学を書くことはできません。
    (今時、一人の人間の人格で純文学小説を続けられているのは大御所の先生ぐらいでしょう。)


    純文学を書く人は、常に消えていく感情と戦っていると思います。また、独特でキレイな表現について常に考えています。それを一言で『書きたくて書いた』と表現するのはちょっと違うのかな??

    (確かに、書きたくなきゃ書くなよ! って話なんですけどねww)

    悪気があって書いたのだとは思いませんが、純文学ほど文章を考えさせられるもんはありませんし、俺には書けねーよww それと、本当にヘタクソな純文学はガチのオナニープレイですからね。見るに堪えないもんはない。


    やべぇ、書きすぎた。