XIX.希実枝ちゃんセレクション

 メアとユウリの二人は真っすぐに秘密基地へとは向かわず、一度寮に立ち寄る。


 メアが携帯で登録しておいた宅配業者のメール通知サービスから荷物配達予定の知らせが来ていた為だ。


 ユウリを寮の昇降口に待たせ、一階にある管理人室に赴くと既に荷物は届いており、メアは常駐する管理人から小包を受け取った。


 と同時にまるで狙いすましたかのように電話の着信が入る。


『きっ! みえちゃんどえーすっ!』


「…………」


『どう? 届いた?』


「…………ええ、ちゃんと届いてるわよ。いつもよりも常識的な量ね。いつもこのくらいだと助かるんだけど」


 希実枝からの荷物は、自室の階まで抱えて階段を上るのが困難になる程大きな段ボール箱で届くことも多い為、荷物が届くという通知メールを受ける度にメアは毎度妙な緊張感と共に変な冷汗をかかなければならない。


『いやぁ、今回のはちょおっとお高かったからねぇ。ホントはメアちゃん喜ばせたくて、百個くらい送りたかったんだけど』


「マジでやめて」


 この女ならやりかねない、とメアは念を押すように一文字ずつ区切るような発音で拒絶した。


「用はそれだけ? 切るね」


『えーもっとお話ししたいなー』


「うざかったら切るから」


『冷たーい! メアちゃん冷たーい! わたしはこんなにもメアちゃんに会いたいのにぃー。あっ、マジで今から会いに行っちゃおうかな……』


「『今から』って、東京からどうやって会いに来るのよ」


『魔法で?』


「そういう類の妄言はもう間に合ってる。はいうざい、じゃあね」


『ワンモアチャンス!』


 メアが通話を切ろうと耳から離し、「通話終了」をタップしかけたところで電話口から縋るような叫び声が響いた。一瞬迷った挙句、仕方なく耳に電話を当て直す。


「うざかったら切るって言ったでしょ?」


『えーわたしメアちゃんの為なら魔法使えると思うのになー』


「はぁ…………。ねえ、この世界じゃあ魔法は使えないらしいわよ」


『そこは愛の力で!』


「はぁ……」


 メアはひと際大げさに嘆息してみせた。


「ねぇ希実枝? 本当に使えるとしたら何をする?」


『正義の為に使う!』


「…………。馬鹿みたい……」


『なーんてね、ウソウソ。メアちゃんの為になら悪にだって平気でなれるよ!』


 希実枝の陽気な言葉に圧され、溜まっていた精神的な疲れも相まってか、メアは立って会話をするのが億劫になってしまった。徐に階段に腰掛ける。階段の縁の部分の金属がひんやりとしていて少し心地良く感じた。


 鬱陶しいと感じながらも普段通り変わらずの希実枝のテンションに、少し落ち着いた気分にもなってしまっているのを自覚し、妙な心境だとメアは思った。


「ねぇ、悪ってなに?」


 希実枝に対しても同じ質問をしてみる。特に答えが欲しいわけではない。


『うーん……、わかんない!』


「あっそ、じゃあなんで軽々しく悪だなんて言えたの?」


『だって軽々しいじゃない〝悪〟って言葉。悪ってその人の立場とか考え方によって違うじゃない? その人が軽々しく決められるのが〝悪〟、そうでしょ?』


 調子の良い理由だとメアは思った。だが反対に、心のどこかで希実枝のそのような屁理屈を欲していたのかもしれないとも思い、ああ疲れているなと心の中で自嘲する。だが、電話の向こうにその姿が伝わる筈もなく、


『じゃあこうする! わたしにとってメアちゃんに対するあらゆる全ての正義の反対が悪かな!』


 電話口からでも満面の笑みだと想像できる声色で希実枝はそう続けた。


「馬っ鹿みたい」







 二人が秘密基地、もとい怪しげな絵本屋「廃屋のリーヴルディマージュ」の扉を開くと店内には誰の姿も見えなかった。時緒と燐華はまだのようだ。


 常連の哲学的幽霊も今日はいない。ただ店の奥の部屋から「いらっしゃ~い」という間の抜けた店主の声が微かに聞こえたので休店中というわけではなさそうだ。


 店主が姿を見せる前にとメアは素早く自分の分の席を確保する。前回が余程苦い経験だったのか、席数にはまだ余裕があるにも関わらず、ユウリもやや慌てるような挙動で席に着く。


 途端、きゅぅー……と、ユウリの腹が鳴った。


「あんた、お昼はもう自分で買えるんでしょ?」


「ええ、ただ普段から考え事ばかりで頭を使い過ぎている所為でしょうか? 妙に消化が早いです」


「笑える冗談ね」


 言いながら、メアは先程寮で受け取った希実枝から送られてきた菓子の箱を開けた。


 正方形の無駄にお洒落な箱の中身は、ふわふわの丸いスポンジでクリームを挟んだどら焼きような形をしたお菓子であった。九個入りのようだが、色やデコレーションが一つひとつ異なり、かなり凝った見た目をしている。隙間から覗くクリームの色も律儀に全て違うのでしっかりと余すところなく九種類の味が楽しめるようだ。


「早い者勝ちよ。時緒が来るとうるさいから早く選んで食べちゃいなさい」


 そう言うメアはしっかりと自身が一番気になった抹茶っぽい色をしたものを確保している。


 ユウリはおずおずとその一つに手を伸ばし、ぎこちなく外袋を開封するとまるでリスのように小さく一口かじった。だが、次に瞬間には目を見開き、小ぶりなそれをぱくりと平らげてしまった。


「こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてです……。戦慄すら覚えます」


「大げさね」


 そう呆れながらも、メアもその美味しさに思わず目を見開いてしまった。なるほど、確かに「お高い」だけある、と内心納得していた。


 メアが二つ目を頬張っていると、傍らから注がれる妙な熱い視線に気付く。ユウリが食べ掛けを手に持ったまま、メアをじっと見つめていた。


「な、何よ気持ち悪い」


 声を掛けられてからようやくユウリはピクリと反応を示した。


「いえ、メアさん……何て言いますか……、とても……、その、可愛らしいですね」


「ぶほっ!!」


 不意打ちを食らったメアは盛大に咽る。


「ななな何なのよっ! 急にっ!」


「ああすみません……。ただ……ご自分ではお気付きでないのかもしれませんが、美味しいものを食べるメアさんの表情は何と言いますか……とても良い顔をしていて……その、可愛いなと思ったんです。もう少しばかり見ていたいのが本音です」


「はあ? 馬鹿じゃないの?」


「メアさんの嬉しそうな顔を見るとわたしまで嬉しくなってしまいます」


「その割には終始真顔が止まらないわね、あんた」


 普段からそうなのだが、道理で昼食中は特に視線を感じるとメアは思い当たった。


 メアは少し顔が熱くなってしまったのを自覚しながらも、何かを誤魔化すように菓子の箱をずいとユウリへ差し出した。


「四人で食べたら一個余るからあと一個あんた食べなさい」


「いえ、それでしたら是非メアさんが」


「何でよ、お腹空いてるんでしょ?」


「メアさんの食べている様子を眺めている方がわたしにとっては有益と考えました」


「何よそれ、あんたもあの馬鹿二人と一緒でなんでそう平気で気持ち悪いこと言うの?」


「気持ち悪いですか? これはそうですね、一種の快感、とでも言いましょうか?」


「それが気持ち悪いつってんの!」


 そう怒鳴ると、メアは残った中で密かに気になっていたチョコレート色の生地にラズベリーらしき赤いソースがあしらわれた一つを手に取り、くるりとユウリとは反対の方角へ向いてわざと表情が隠れるようにした。


「早く食べないならわたしが食べちゃうから。変な事言ってんのが悪いんだからね」


 そう言ってユウリには見えないように口に放り込んだ。


 瞬間、ユウリはがたんと音を上げて勢い良く立ち上がると、素早くメアの正面に回り込み、無理矢理表情を確認しようとする。


「あ、あんた! 何をそんなムキになって!」


 必死で顔を背けようと抵抗するメアだが、対するユウリもメアの両肩を掴み、何とか覗き込もうとする。


「ちょ、ちょっと! やめなさい! 危ないでしょお! って、きゃあ!」


 メアも負けじとユウリを引き剥がすべく押し返そうとするが、不運にもバランスを崩し、そのままユウリ諸共倒れ込んでしまった。毛の長いふんわりとした絨毯に辛うじて両手を突きながら、計らずユウリに覆いかぶさる形になってしまった。


 どう対処して良いかわからず固まってしまったメアに不幸は続く。その瞬間を待っていたかのように店の扉が開け放たれたのだ。


 そこには時緒と燐華が立っていた。


 眠たそうにあくびをしながらその光景を眺めている燐華とは対照的に、時緒の両眼は何かに覚醒したかの如く、大きく見開かれていた。


「待って! 違っ!」


「違わない!」


「は?」


 何か不穏な気配を察したメアが慌てて取り繕いの言葉を発しようとするが、時緒の悲鳴にも似た叫び声に阻まれる。


 メアは上体を起こし、訝し気な表情で時緒に向き直る。


 時緒は何故か目元に涙を浮かべていた。


 それは決して悲しみではなかった。時緒自身の声にならない内なる心の叫びが、やがては奔流となり、表面に溢れ出た具象の一端にすぎなかった。


「違わない!」


 時緒は繰り返す。


「違わない」


 今度は何かを諭すような妙に落ち着いた声色で。


 そしてその語調で時緒は続ける。


「メアちゃんは正しいよ? いつだって正しい。それにわたしは馬鹿だもん。わかってるよ自分でも、痛いくらいに。でもね、これだけは事実なの。いくらメアちゃんが認めたくなくても言然たる事実なの。今、その事実が証明されて、わたしにもそれがわかったの。わかることができたの。それはとても喜ばしいことなの。メアちゃんの性格を思ったら認めたくない気持ちはわかるよ? でもね、でもね、わたしたちにだけにはそういうところ、隠さないで欲しいな。メアちゃんの恥ずかしい所も隠さず曝け出して欲しいな」


(何を言っているんだ、この子は)


 メアの心境をよそに、時緒はゆっくりとメアに向かって歩みを進める。


 ゆっくり、ゆっくりと。


 自然と両の手の指を絡め、胸の前で握るようにして。


 西洋色の強い室内でのその光景は、どこか厳格でかつ神聖な作法の元で行われる儀式のようにも思えた。さながら聖母マリア様に祈りを捧げるような所作は、彼女を無垢で献身的な少女の姿に見せる。小さなステンドグラスをあしらった小窓から淡く色づいた日が差し込み、少女の髪を明るく照らし出した。まるでスポットライトのように。


「だって、メアちゃんがどんな女の子でもわたしはメアちゃんが好きだし、大好きだし、どんなことがあっても絶対に嫌いにならない自信があるんだから……」


 ようやくメアの元へ辿り着くと、ゆっくりと膝を折り、


「だからもう……我慢しなくて良いんだよ?」


 そう言いながら時緒はメアのことをひしと抱きしめた。


「はぁっはぁっ……」


 メアの耳元で時緒の荒い息遣いが聞こえる。


「離れろ、この変態」


 終始異様な様に気圧されてしまっていたメアがようやく我に返ると、時緒を思い切り突き飛ばした。


「あーんなんでぇー! ズルい! ズルいよメアちゃん! ユウリちゃんにだけズルいっ!」

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