石川メアの異世界召喚術式作製法

所為堂 篝火

件名:拝啓、私の数少ない友人へ

『拝啓、私の数少ない友人へ


 映える若葉に初夏の足音を感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょう。

 私もようやく、メールというものを送れる身分になりましたので、多少気後れしつつも恐る恐る認めてみることとします。


 身分。いえ、環境と言った方が正しいのでしょうか? この世界には身分だなんて肩書で権利にほとんど差が付くことのない、素晴らしい風習が成り立っているのですから。私たちの世界では文明の利器を余すところなく自由に使用できるのは、一部の人間だったことはあなたもよくご存じだと思います。

 ここは本来一度打った文字を消して改めて打ち直すのが正しいのだとは思いますが、何分メールというものに馴染みが薄い分、通常の会話でのやり取りと異なった伝え方をすることに抵抗がありますので、どうかご容赦下さい。通常ならば、口から一度出てしまった言葉はなかったことにはできませんから。常識外れと思われても仕方のないところですが、どうか。

 そういえば昔からあなたには私のそういった常識外れな言動を注意されることが多かったですよね。いかがでしょう? こんなことを書いてしまってから申し上げることではないですが、そこは初めてのこと故と目を瞑って頂き、社会人として働けるようになった私は、多少なりとも常識的になれたと主張するに値する片鱗は見受けられますでしょうか? とは言いましても、懸念されるのが多かったのは「言」ではなく、主に「動」の部分でしたことは私も自覚しておりますので、メールやお電話のやり取りでその片鱗を汲み取ることは多分に困難だと思いますが、次にお会いした時にはその成果を存分に発揮したいと息巻いております。時折、会社の同僚から「天然だよね」というような指摘を頂戴しますが、前向きに考えれば、その程度で済んでいること自体が子供の頃からご指導を頂いた賜物だと思っております。この世界は平和であれど、世の中は決して優しくないということは私も肌で感じているところです。それが実感できた今だからこそ、痛切にあなたのご厚意を感じる次第です。

 さて、実は一つ、この機会に申し上げなければならないことがあります。

 月に数度程、あなたから頂く贈り物についてです。

 頻繁にお菓子などを送って頂くことに関しましては、私自身もあなたと同様に甘いものには目がありませんから、それに対してお礼を申し上げることはあっても、文句の一つも申し上げるつもりは毛頭ありませんでした。それでも、無礼を承知で書かせて頂きます。誤解をされては不本意ですので、予め補足させて頂きますと、これは何もあなたを非難してのことではなく、単純に勿体ないという気持ちからのことです。

 今までお電話でそう伝えられなかったのは、わたしが何かを伝えようとするたび、あなたは最後まで聞く前に私の言葉を遮り、まくし立てるように返答をされるものですから、私が伝えたい真意というものがまるで伝わらないのです。それ自体も悪く言うつもりはありません。あなたは昔からそうでした。決して皮肉などではなく、本当に感服します。むしろ長年あなたと一緒にいながらその俊敏さのほんの一握りでも身に付けられなかった鈍間で愚鈍な私自身が咎められるべきことです。

 先日パーソナルコンピューターというものを購入し、メールというものを使用できるようになった今、落ち着いて言いたいことすべてを書き記すことが可能となりました。

 その素晴らしさを噛みしめつつ、僭越ながら申し上げます。

 問題なのはその量でして、私自身の消費速度、分け与える人間がいないという私自身の知人の少なさ、それとお菓子の消費期限から勘案すると、どうしても計算が合わないのです。

 それさえなければ、毎度送られてくるあなたのチョイスというものは実に素晴らしく、感嘆を漏らさざるを得ません。特についこの間の豆乳を使ったクリームケーキなんかは絶品でした。常に企業の広告に踊らされ、失敗ばかりの私とは格が違います。まさしく慧眼とも呼べるものをお持ちなのでしょう。もし可能ならば、その類稀なる魔法的な力の一端だけでも、ご教授願えると幸いです。そして、付け加えるならば、できるだけ保存の利くものを、お願いします。さらに本音を申し上げますと、あなたと一緒に食べたいです。

 次にお会いできるのを楽しみにしております。

 最後に、あなたのいるこの世界がいつまでも平和であらんことを。 敬具


 追伸:プリンというお菓子は器の底にソースが溜まっているので、よくかき混ぜてから食べるのが正しいと思うのですが、いかがでしょう? (先日仕事場でそのように食べていたら同僚の視線が何かを訴えておりましたので、少しばかり気になりました。)


 それと、メールでの連絡が遅れたことは、どうか怒らないで下さい。先日お電話でメアドを伺ってから少し時間が経ってしまったのは、私自身のメアドという文字列をいかようにするか、少し迷ってしまっていたからです。


 すみません、最後にもう一つ。同僚から時折頂く「天然だよね」という言葉は、シチュエーションやその場の空気から「変わっている」という意味で捉えて間違いないのでしょうが、決して悪いニュアンスを含む意味ではありませんよね? 色んな所で目にする「天然」という言葉は例外なく良い意味で使われているようですし、いかがでしょう?』




 そこまで書いたメール文を目的の相手へ送信し、彼女はふぅと短く一息を吐く。


 風呂上りの火照った身体を鎮めようと用意したコップの水を飲みほした。


 冷蔵庫で冷やされたそれが予想以上に心地良く感じたのか、彼女は「天然水」と書かれた2リットルペットボトルを手に取り、空になったコップに注ぐ。氷がガラスにぶつかる涼しい音がした。


 1Kマンションの一室には、ベッドと空いたスペースにパステル調の簡単な模様があしらわれた小さめのカーペット。中央に置かれた正方形のガラステーブルは買ったばかりの20インチノートパソコンを乗せているだけでいっぱいいっぱいといった感じだ。


 その他の衣装ケースや本棚といった調度品は、一人暮らしの二十代女性にしては色気がない。


 白いカーテンの掛けられた窓際には鳥かごが吊るされており、彼女が四匹目というだけで「四代目」と名付けた飼いインコが小さな目を閉じて眠っていた。


 辛うじて、彼女が直に腰掛けるカーペットとベッドに敷かれたパステルグリーンの布団カバーだけは女性のものとわかるくらいである。部屋にテレビは無い。マンションの外も元々人通りが少ない上に今は夜だ。


 だから、彼女がキーボードを叩く手を止めれば、部屋は驚く程の静寂に包まれる。


 いつもならば、そんな静けさの中ベッドに腰掛け、本を読むのが彼女の日課であった。


 仕事で疲れた身体を風呂でほぐし、活字を追いながら微睡んでいく。その淡く曖昧とした感覚は彼女にとっての至高でもあった。傍らにリモコン式シーリングライトのスイッチを置いておくことを忘れない。


 静かなところは嫌いじゃない。時々賑やかさが恋しくなることもあるが、そうして寂しさにどこか切なくなっていく感覚も、彼女は決して嫌いではなかった。


 永遠に会えないという寂しさではないのだから、気持ちが募るのは心地良さ含んだ寂しさだ。


 だが、今日はそういった平日夜の密やかな楽しみをもう少し我慢しなければならない。けれども、それは全く問題にならなかった。大切な友人からの返答を待つ時間は、それ以上に楽しいものなのだから。


 マウスを操作し、メールの受信更新をクリックする。


 寝てしまった後にメールの返信が来てしまっては良くない。


 その時微かな物音に反応してか、四代目がチチチと泣いたので、「起こしちゃった? ごめんね」と優しく声を掛けておく。


 更新中の表記が消えると、早速受信メールの欄に新着メールが一件入った。


 その早さに彼女は思わず一驚する。まだ彼女がメールを送ってから一分と経っていないのにと。


 彼女は急いでメール内容を確認する。そして小さく笑みを溢すのだ。


 件名は自分が記載したものにReの文字が追加されているだけ。


『遅い! そして長い!』


 メールの本文に短く記された内容に、ああ彼女らしいなと、思わず苦笑してしまう。


 さて、何と返そうか。彼女はコップの水を一口煽ると、少し考え、慣れない手つきでゆっくりとキーボードを叩き始めた。

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