第六章 最後の戦い

第31話 暴走! サブローさん






「……ん」


「シバタさん!」


 目に涙を溜めたセーブルさんの声で目を覚ます。


 気がつくと、俺はセーブルさんに膝枕されていた。


「俺は……」


 そうだ、俺はムギちゃん――四天王ガノフに襲われて……そうか。セーブルさんが回復魔法で助けてくれたのか!


 ガバリと起き上がる。


「ムギちゃんは――ガノフはどうなったんだ!?」


「あっ、急に起き上がったら」


 グラリ、と目眩がする。大分血も出てたもんな。仕方ない。それより――


「大丈夫だ。それよりガノフは」


「ガノフならサブローさんが……」


 顔を上げると、サブローさんの可愛いお尻が見えた。


 ほっと息をつきかけた――が、何かがおかしい。


「サブローさん! サブローさん!!」


 悲痛なトゥリンの叫び声。


「サブローさん、やめるです!」


 モモもオロオロと狼狽えている。


 どうしたんだ!?


 駆け寄ると、トゥリンが涙目で叫ぶ。


「シバタ、サブローさんの様子がおかしいんだ! シバタの血を見てから酷く興奮して――呼んでも来ないし、四天王を倒したのに興奮して攻撃をやめないんだ。私の言うこと、全然聞かなくて……」


「何だって!?」


 サブローさんはトゥリンの言うことをよく聞いていたはずだ。それがなぜ――


 サブローさんに目をやり、ゾクリと背中に悪寒が走る。


 サブローさんは、口に黒い毛皮のようなものをくわえ、まるでタオルか玩具で遊ぶみたいにうなりながらブンブン振り回している。


 ムギちゃん!?


 背筋にゾッと冷たいものが走る。

 まさかサブローさん……ムギちゃんを殺して……!?


「サブローさん、もういい、放せテイク! 来いカム!」


 だがサブローさんは、こちらを見ようともしない。完全に興奮して我を失っているように見える。


「チッ……仕方ない」


 先程やったみたいにサブローさんに風呂敷を被せ、その隙にムギちゃんを救い出す。


 ぐったりしているムギちゃんの口から黒いモヤが吹き出す。


 ガノフか!?


「逃がすかっ!」


 トゥリンが魔法でガノフを氷漬けにする。

 俺は凍った黒い塊をシャベルで粉々に砕いた。キラキラと天に登っていく光。


 危なかったが、どうやらガノフも倒したらしい。


 俺はムギちゃんの口に手を当てた。微かに伝わる風の感触。良かった。まだ息はあるみたいだ。


「セーブルさん、回復魔法を!」


「ええ、分かったわ」


 さて、あとは……


 俺はサブローさんの方へ振り返った。

 思わず息を呑む。


 血で赤く染まる口元。

 目元は虚ろで光がない。

 赤く逆立つ毛。

 


 まるでサブローさんではない別の生き物のようだ。


「ウウウウウ……」


 低く唸るサブローさん。


「……っ! 興奮しているのか?」


 いつもと明らかに様子が違う。一体どうしちゃったんだ?


「ご主人が襲われたとたん、突然こうなったです!」


 モモが叫ぶ。


「もしかして、この瘴気しょうきのせいかもしれないわ」


 セーブルさんが眉をひそめる。


「瘴気?」


「闇のオーラというか……良くない空気がこの辺りを包んでる。もしかしてゾーラが、魔王を復活させようとしていて、それでかも」


 そういえば、戦闘を弟のガノフに任せてゾーラは早々に姿を消していたな。


 あれはてっきり俺との夢の中の戦いでダメージを負ったからだと思っていたが、完全に復活していない魔王をこの隙に復活させようという魂胆か!?


 サブローさんは空虚な目のままダッと勢いよく駆け出す。


「サブローさん、どこ行くんだ!!」


 宙を飛んだサブローさんは、城の窓を突き破り城の中へと駆けていく。


「トゥリン、モモ、追うぞ! セーブルさんはムギちゃんを頼む!」


「え、ええ」


 玄関に手をかけると、ドアは低い音を立てひとりでに開いた。


 長い廊下。


「モモ、サブローさんの匂いは分かるか?」


「ちょっと探してみるです!」


 ポン、という音とともにモモが犬の姿になる。


 クンクンと廊下の匂いを嗅ぐモモ。


「こっちです!」


 走り出すモモを追って、俺たちも廊下を駆け抜ける。


「サブローさん……一体どこに」



◇◆◇


 

「ご主人! こっちからサブローさんの匂いがするです!」


 モモが城の階段を見上げるわ、


「よし、行ってみよう」


 ギシギシと鳴る木製の螺旋階段を上がる。


「それにしても、静かだな」


「ああ、敵の一人も出てこないし……不気味だ」


 トゥリンはギュッと弓を握りしめ、緊張した顔で辺りを見回す。


 俺は頷いた。


「かもな。でも、そうだったとしても行くしかない。もう後戻りはできないんだ」


「そうだな、シバタ」


 長い階段を上がると、大きな扉が現れた。

 恐る恐る開けると、サブローさんのクルリとした尻尾が見えた。


「サブローさんっ」


 隣には、セーラー服を着た黒髪の女の子。


「……と、ゾーラ」


「フフフフフ」


 ゾーラはサブローさんの頭を撫でた。

 サブローさんは壁の方を向いたままこちらを見ようともしない。


「……サブローさん?」


 いや、サブローさんが見ているのは壁ではなかった。

 そこにあったのは岩。真ん中に亀裂が入った岩だ。


「その岩は、もしかして」


「魔王様の魂が封じられた岩だ。岩に亀裂が入り私とガノフの封印は解けた。だが魔王様は中々復活なさらない。恐らく、魔王様の強い魂を受け入れるだけの器が無かったからだ。だが、その犬ならば……!」


 興奮気味に目を見開くゾーラ。


 まさか……サブローさんを魔王にするつもりか!


「させるかっ!」


 サブローさんに向かって走る。が――


「はぁッ!!」


 ゾーラが前に手を出すと、目の前に透明な壁ができ跳ね返される。


「グハッ」


 ゴロゴロと板張りの床に転がる。


「シバタ!」


「大丈夫だ。それよりサブローさんが」


「ウウ……ウウウウウ」


 サブローさんが低い唸り声を上げる。

 今まで聞いたことのないような邪悪な声。

 思わず背中に寒いものが走る。


「ふふ、丁度いい。こいつは魔王様直々に倒して貰うことにしよう」


「何っ!?」


 ゆらり、サブローさんが振り返る。

 大きく膨らんでいく体。

 見る見るうちに、サブローさんは見上げるほどの大きな犬となる。


 その目は光を失い、憎悪に歪み、まるで犬ではない別の化け物のようだ。


 魔王に体を乗っ取られているのか!?

 それとも瘴気とやらのせいか?


「サブローさんっ、目を覚ませ!!」


 ありったけの声で叫ぶ。

 が、サブローさんの目は光を失ったままだ。


「ガウッ!!!!」


 サブローさんの大きな口が吠える。音圧のつぶて。


 俺はサブローさんの音波攻撃で後ろの壁まで吹き飛ばされた。


「シバタ!!」

「ご主人!!」


「寄るな!!」


 俺は駆け寄ろうとしたトゥリンとモモを制止する。


「サブローさんの相手は俺がする」


 ゆっくりと立ち上がる。


「サブローさんは、俺が正気に戻す!」


 そうだ。俺はサブローさんの飼い主だ。

 そして友だちで、大切な家族。



 ――俺がサブローさんを元に戻すんだ!



「サブローさん、おすわり!」


 低く命令する。


「サブローさん、おすわり」


 サブローさんの耳がピクリと動いた。


 いいぞ。


 いかに魂を魔王に乗っ取られて居ようとも、その体は犬。


 こうなったら今まで体に染み込んだ犬としての本能に訴えるしかない!


 犬というものは――


「サブローさん、おすわり!」


 サブローさんの足が止まる。


「グルルルル……」


 サブローさんの足が完全に止まった。

 サブローさんは俺と一定の距離を保ったまま、低いうなり声を上げ俺の目をじっと見つめ続けている。


「サブローさん、おすわり」


 できる限り低い声を出す。


 ――犬というものは、自分の主人に従うものだ。


 群れの中でヒエラルキーの高いものに付き従う。それが犬の本能。


 そしてヒエラルキーの高さを示すには、実際に犬より強くなる必要は無い。


 「強そうに見せる」ことが重要だ。


 犬が人間の食べ物を欲しがった時にはきちんと拒絶したり、散歩の時に犬の行きたい方向ではなく飼い主の決めたコースに従わせたり、しつけをするのもそう。


 低くゆっくりした声で命令を与えるのも。


 俺はサブローさんと目を合わせ、じっと見つめた。


 サブローさんも俺をじっと見つめる。


 恐らく、先に自分から目を逸らしてしまったら、その瞬間に負けが決まる。


 だからこれは――精神力の勝負だ。


「サブローさん、おすわり」


 サブローさんは、目を合わせたままその場から微動だにしない。



 長丁場になりそうだ。



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◇柴田のわんわんメモ🐾



◼犬と上下関係


 昔から、犬は狼のように群れの上下関係を大切にし、飼い主がリーダーらしくないと、自分がリーダーになろうとし、人間の言うことを聞かなかったり、問題行動をするとされてきた。

 最近では、犬は上下関係やリーダーを狼とは違う風に認識しているという研究結果もあるが、いずれにせよ、犬を飼う上では、家庭内できちんとルールを作り、犬にしていいこと、駄目なことをしっかりと教えることが必要となる。


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