第四章 予防接種と恋の季節

第23話 恐怖の予防注射

 俺たちは、ヨルベの町にたどり着くと、シェードに案内され、町の中心部にある寺院にやって来ていた。


「ここがンダナ寺院か」


 白い大理石の大きな柱。

 草花や果物を彫った美しい彫刻にため息が出る。

 俺がその荘厳さに思わず圧倒されていると、シェードが促す。


「こっちです」


 シェードの後について中に入ると、そこにはズラリと獣人やイヌ科のような見た目のモンスターを連れた人間が並んでいる。


 実はこの寺院では毎年この季節に無料で予防接種を行っているのだという。


 俺たちは、鬼ヶ島に行く前に、何とかという異世界の伝染病を防ぐため予防接種を受けることにしたのだ。


 昔読んだ『世界の偉人』という本を思い出す。


 確か「向こうの世界」で初めて予防接種が誕生したのは1798年のこと。


 牛の乳絞りをしている女性は天然痘にかからないということから、天然痘によく似ているがより毒性の弱い牛痘のウイルスを使い予め免疫をつける方法が考案されたのが始まりとされている。


 しかし、さらに遡ると、紀元前1000年頃のインドではすでに、軽度の天然痘患者の膿を健康な人に移植し予め病気にかからせ免疫をつけさせるという療法もあったという話もある。


 近代的な医学のように思えて、意外と古くからある療法なのかもしれない。



「とりあえず並んでおくか」


 列の最後尾に並ぶと、そこから「予防接種」の立て看板が見えた。


「何かサブローさんビクビクしてるな」


 トゥリンが俺の足の間に隠れているサブローさんの頭を撫でた。


「注射だってことが分かるのかな」


 俺が「注射」という言葉を口に出した途端、サブローさんの体がビクリと震えた。オドオドと目が泳ぐ。


 行列は案外早く進み、予防接種を受けている様子が後から見える位置まで進んだ。


 ひょい、と身を乗り出して行列の先頭を見ると二本足で立つネコの獣人・ケットシーがすました顔で予防接種を受けていた。


「案外痛くなさそうです!」


 モモが胸をなでおろす。


「ああ。それにこの行列の進む速さからしてすぐ終わりそうだ」


「次の方どうぞ」


 予防接種をしているシスターさんが俺たちの前に並んでいるシェードに声をかける。


「は、はい」


 ぎこちない足取りで歩いていくとシェードはドスンと椅子に腰掛け腕を台に乗せた。


「シェード、緊張してるみたいだ」


 見ると、体がブルブル震え、尻尾がくるんと股の間に入っている。


「はい、少しチクリとしますよー」


 修道女が言うと、シェードは片手で目を覆い顔を逸らした。


 ぷすっ。


「キャイン!」


「はい、終わりましたよー、次の方ー」


「はい!」


 緊張した様子でモモが駆けていく。

 俺はシェードに声をかけた。


「お疲れ様」


 返事はない。放心状態になっているようだ。


「目が点になってる」


 トゥリンが俺の耳元で囁く。

 シェードみたいに頭が良くて大きなコボルトでも、やはり注射は怖いのだろうか。


 モモは必死に目をつぶり注射を受けている。


「次の方、どうぞ」


 いよいよサブローさんの番だ。呼ばれた途端、サブローさんがギクリとした顔になり、逃げようとする。


「アウ、アウ」


「サブローさん、注射しないとダメだぞ」


 俺はサブローさんをひょいと抱き上げた。


「そのままこちらにお尻を向けてください」


 一回転しシスターさんにお尻を向ける。

 ブルブル震えるサブローさん。


「アウ……アウ……」


「すぐ終わりますからねー。抑えててください


 注射を取り出す20代前半のシスター。どうやらシスターさんは獣人ではなくただの人間らしい。


 白っぽい法衣から除く艶やかなブルネットのロングヘアー。


 透き通るような肌。切れ長の目に美しい鼻筋。法衣の上からでも分かる整ったスタイル。


 まるでコリーのように優美な美人だ。


 サブローさんの体を強く抑えて動かないようにすると、大きな鳴き声が響いた。


「きゃおおおん、きゃうぅぅーきゃうううーん、ううぅーガルル」


 サブローさんには翻訳機能が発動しないので何を言ってるのかさっぱり分からないが、不満なのは分かる。


 シスターさんが太ももにチクリと注射を刺す。


「ヒン!」


 サブローさんは大げさに騒いだが、蓋を開けてみれば、一瞬で予防接種は終わった。


「はい、終わりましたよー。次の方!」


 コリー似のシスターがニッコリと笑う。


 俺はグッタリと放心状態のサブローさんを抱えてトゥリンたちの元へと戻った。



 シェードとはそこで別れ、俺たちは「使い魔、獣人同伴可」の宿に向かう。


「ペットOKのホテルやレストランがあるなんて、やっぱこの町は都会だな」


 部屋に入るとすぐに、サブローさんはベットの上で丸くなった。


 俺はサブローさんを無理矢理どかすと、ベットに倒れ込んだ。


「サブローさん、苦手な注射をして疲れたかな」


 無理矢理どかしたにも関わらずスヤスヤと寝息を立てるサブローさんを見てクスリと笑う。


 そして俺も、間もなく眠りに落ちてしまった。



◇◆◇




「おはようシバタ」

「おはようですー朝ですよー」


 朝、隣の部屋で寝ていたトゥリンとモモが部屋をノックする音で目が覚める。


「おはよう」


 寝ぼけ眼を擦りながらドアを開ける。


「この宿、朝食もついてくるみたいですよ!」


 皆で朝食をとりに宿の隣にある酒場に向かう。


 サブローさんが暴れないか不安だったが、サブローさんは昨日の疲れが残っているのか酒場の床で丸くなって寝ている。


「モモは体調何ともない?」


「へいきですよー」


 元気そうにするモモ。良かった。


 朝食のサンドイッチが運ばれてくる。


「そっか、サブローさんが何か元気無さそうだったから予防接種のせいかと思ったけど違うのか」


 実は俺も昔インフルエンザの予防接種で体調を崩したことがあるので不安だったのだ。


「サブローさんが何だって?」


 見ると、サブローさんはいつの間にか起きて、トゥリンの持ってるサンドイッチをじっと見つめながらヨダレをボタボタ落としている。


「……元気そうだな」


 俺はため息をついて味のついていないパンの端っこをサブローさんにあげた。


「そう言えばボク、予防接種の時に変なこと言われたですよ」


 モモがトマトサンドにかぶりつきながら言う。


「変なこと?」


「はい。ボクに注射してくれたシスターさんが『あなたは耳とか尻尾を切らないのね』って」


 それを聞き、俺は少し考え込んだ。


「もしかして、モモと同じ種類の獣人がこの近所に他にもいて、その人たちは耳や尻尾を切って人間に紛れて暮らしてるってことか?」


「分からないですけど、そういう風に聞こえました」


 だとしたら、今までモモと同じような獣人が見つからなかったとしてもおかしくない。


「耳や尻尾を切るのか……痛そうだな」


 トゥリンが渋い顔をする。

 確かに。でもでもドーベルマンなんかは耳や尻尾を切ったりすることもあるし、ありえない話では無いのかもしれない。


「その話、昨日のシスターさんにもっと聞けないかな」


 モモはブンブンと頭を振った。


「でもシスターさんたち注射で忙しそうですし、モモのことは魔王退治が終わってからで大丈夫ですから!」


 トゥリンが袖を引っ張る。


「シバタ、あれ」


 トゥリンが指先す方向を見ると、昨日サブローさんに注射をしてくれたコリーに似たシスターさんが朝食をとっていた。


 あの人に聞けば、何か分かるだろうか。



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◇柴田のわんわんメモ🐾



◼犬の予防接種の種類


犬を飼っている人は、犬が生後91日を過ぎたら必ず狂犬病のワクチンを接種するよう法律で定められている。その他にも混合ワクチンと言われるジステンパー、アデノウイルス、パルボウイルス、レプトスピラなどを予防する予防接種やフィラリアの予防接種を任意で受けることができる。


◼ラフ・コリー(コリー)


・鼻筋の通った細面の顔、首周りの豊かな飾り毛が特長の大型犬。穏やかで気品溢れる姿が人気。元々は牧羊犬。『名犬ラッシー』の犬として有名。


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