不死の王子と病い姫
乃生一路
不死の王子
1
「すべては星の巡り会わせなのだわ」
或国の大きなお城のテラスの上で、一人の綺麗なお姫様が云った。ブロンドのウェーブがかった長い髪を夜風に揺らし、憂いの翳りで夜空を見上げる。それはそれは美しい姫君がいた。
天を仰ぐ姫の傍らに、一人の王子の姿があった。
「星を見ていたのか」
「ええ。星を見上げるの、好きなの。知っているでしょう?」
「当然だ」
容姿端麗、該博深遠、文武両道。非の打ちどころなんてなにひとつない彼は、目の前の姫君にどこまでも一途だった。いつまでも一途だった。
「さようなら、私の王子様」
「私たちの間に別れの挨拶なんて不要だよ」
「そうね。確かにそうだわ」
姫君は柔らかく、王子に微笑みかける。
「私はね、きみの笑顔に魅かれたんだよ」
「知ってる。あなたといたから、私はあなたの好きな笑顔でいられたのよ。冗談みたいに言うけれど、私はあなたに逢うまでずっと孤独だったから」
姫君はそう言うと、冗談めかして笑った。
真実、彼女は独りだった。王子と巡り合うまでは。
「……嬉しい言葉だ」
一瞬、ほんの一瞬王子の笑みが崩れかけ、王子もまた姫君に微笑みかけた。
そんな姫君は患っている。
そのために彼女は、もう長くはない。
姫君の身体を侵すその宿痾は、国中を探しても治せるものが見つからず、国の外れに住まう魔女ですらも、手の打ちようがないと両手をあげた。
だから姫君が死ぬのは避けられぬ未来であり、故に王子は哀しみ、ある一つの決意を秘めている。姫君は死ぬ。王子の愛した姫はもう長くは生きられぬ。
「……また、逢いたいわ。けれどもすべては星が決めること」
姫君はその美しい翡翠の瞳から大粒の涙を流し、それよりも前から涙を流していた王子の唇にそっと口づけをする。「あなたはあなたの幸せをお探しになって」
二人の間に子はなかった。
「ああ。私は私の幸せを探し、見つけ続けてみせるよ」
2
姫の葬儀は国を挙げて行われた。
美しき姫のブロンドの髪を握りしめ、眠る彼女の頬を愛おしく撫で、一人の王子が泣いていた。王と王妃はその姿に心を痛め、家臣が皆戸惑い、かける言葉を必死に探す中、彼は粛々と静かに泣き続けていた。
「私はきみを忘れない。絶対に忘れない」
そう、王子は姫の亡骸に言い続けていた。
一人の姫君の死に、一人の王子が泣き続けた。
その話は仲睦まじい二人の間の悲劇として、美談となりて、その日のうちに国民の間に語られた。国民は王子と同様に姫君の死に嘆き悲しみ、王子の涙に心からの同情をした。
そのつい一日後のことである。
王子は新しき一人の娘と出逢い、まるでそれが運命であったかのように当然に恋に落ちた。
「おお。きみこそ私の運命の相手。どうか私に、あなたの道のお供をさせていただきたい」
「え、なんだよいきなり」
なんたることだろう。
あんなにも愛した姫君の死の翌日に、王子は新しき伴侶を見つけてのけたのだ。
3
王子の恋した人間は、燃えるような赤髪と褐色の肌を持つ一人の踊り子だった。その前の姫君とはまるで種類の違う、けれどもやはり美しき、根本的な魂の美しさを持つ人種だった。
「なんであたしを好きになったんだよ」
「君だからだ」
姫君は最初、戸惑った。
出逢っていきなり告白を受けたのだ。
「でもさ、あたしはその、孤児なんだ」
「関係ない」
「記憶だって曖昧だし、王子の想うほどに綺麗な身体でもない」
「無用な心配だ。君であるならそれでいい」
王子のアプローチはとにかく続いた。
踊り子は相手が王子という立場であるため気が引けていた。うんざりももちろんしていた。一目ぼれ? なんでまたあたしに? しかも大好きな姫君がいたはずなのに?
「正直さ。あたしはあんたを軽蔑してる。あんたみたいな浮気者、あたしは大っ嫌いだ」
「ああ。それについては言い訳しない」
「あんた、とんでもない浮気者だよ? あんたがあたしに熱をあげてるってこと、国の人たちは知ってるんだよ? おかげであたしにまで罵詈雑言が飛んでくるしさ」
「すまない……」
「あ、いや。謝る必要なんてないよ、もともとさ、あたしはご立派な身分じゃなかったみたいだし。罵られたりなんか、踊りの場でもあったしさ」
踊り子のところへ、王子は暇を見つけてはやってきた。
最初は踊り子もうんざりしていたが、王子の熱意に根負けしたのか、あるいはなにか心惹かれるようなものがあったのか、徐々に態度を軟化させ、果てには王子が訪れるのを楽しみに待つほどになった。
「私の姫君になってほしい」
「あー。もう負けた負けた、あんたの熱意に負けちゃった。その申し出、謹んでお受けいたします、王子様!」
そして踊り子は王子の新しき姫君となった。
国民はその事実に、口々に王子を非難した。
王と王妃は、王子の振舞いに苦言を呈し、けれどもその婚姻を渋々と認めた。
4
二人の結婚から、数年を経た。
赤髪の姫君は加齢により更なる美しさを得て、反して王子は何も変わらない。けれどももともと赤髪の姫君の方が年下であったため、王子と姫君の年齢は釣り合いがとれるかたちとなった。
「あんたさ、見た目変わんなくない?」
「私は不老不死の身になったんだ」
「え?」
「国の外れの魔女が、快く引き受けてくれたよ」
「え?」
さらりととんでもないことを言う王子に、赤髪の姫君は絶句する。
「なんでまた。それも魔女にだなんて!」
「見つけ続けるためだよ」
勝手な判断に憤る赤髪の姫君を真正面から見つめ、王子は言う。両眼には決意が秘められていた、悲壮で、純粋な決意が。
「意味が分かんない」
「私は君に恋し、君の魂を愛している。これまでもそうだったし、これからだってそうだ」
「な、なんだよいきなり……」
王子の言葉に、赤髪の姫君は頬を髪色かと見間違うほどに染める。
「私は見つけ続ける。必ず」
その日、赤髪の姫君は血を吐き倒れて、もう長くはないと宣告された。奇しくもその病は最初の姫君と同じく治療などなにもできない、ただ死を待つだけの病だった。
「おい、浮気者」
病臥の姫君の手を握り、王子はただ泣いていた。この者はよほどの泣き虫であった。姫君の死を例え幾度経験しようとも、その度に静かに泣く。そういう男だった。
「あたしさ、あんたのこと最初は大っ嫌いだったし、あたしが死んだ後もなんかすぐに次のお姫様を見つけそうで良い気はしないけど……それでも」
そうして姫君はそっと王子の手を握り、その燃え上がる髪に相応しい辰砂の瞳を潤ませ言う。
「大好きだよ、死んでからもずっと好き。だから、あんたはあんたの幸せを探して。それはあたしの幸せでもあるんだから」
今わの際に、姫君は柔らかな微笑みを見せた。
「ああ。私は私の幸せを探し、必ず見つけ続けてみせる」
5
「おお。きみこそ私の運命の相手。どうか私に、あなたの道のお供をさせていただきたい」
出会い頭の告白だった。
赤髪の姫君の訃報から翌日、白銀の長髪を結ったシスターは、弔いの為に訪れた王城で王子に告白された。
「……僭越ながら、申し上げます。王子」
「なんだい」
「ふざけないで!」
シスターは怒鳴った。
赤髪の姫君の死の翌日だというのに、もう次の姫君を探している王子のその愚行に心からの怒りを覚えたのだ。
「前の前のお姫様のときだってそうだったと聞きました! なぜあなたはそう節操がないのですか! 姫君を確かに愛されていたのでしょう!?」
「無論だよ」
「ならばなぜっ、あなたへ送られた愛情を足蹴にするようなことができるのですか! 私はそれが許せないのです! あなたが王子でなければ、手すらあげていたかもしれません!」
「それで君の気が済むのなら、私はそれを甘受しよう」
「っ!」
白銀のシスターは、怒りのままに王子の頬を張った。周囲の兵士が一斉に刃を抜く、王子に手を挙げた不敬者をその場で斬って捨てようと動き出す。
「待て、お前達」
しかし、王子が手を挙げ彼らを制した。
「良いビンタだ。私の姫君となってほしい」
兵士たちは戸惑った。当のシスターもうろたえた。
浮気者のマゾヒストだと、王子の悪名が追加された。
6
「また来たのですか」
白銀のシスターが教会で祈りを捧げていると、王子がやってきた。凝りもせずにやってきた。
「帰っていただけませんか。私はあなたの想いに応えるつもりは一切ございません」
「では、こう言おう。私は王子としてきみに会いに来たのではない。神の息子として、偉大なる父へ祈りを捧げに来たんだ。ここは教会なのだからね」
「……」
「それとも、この教会は神の敬虔なる信徒を歓迎してくれないのかな?」
「……私はあなたが嫌いだわ」
「ははは。我ながら嫌な言い回しだったね。けれども、神へ祈ろうという気持ちは本物だよ」
そう言うと、王子は長椅子に座り、目をつむる。シスターはそんな王子を心底嫌そうに一瞥すると、自らも神へと祈りを始めた。静謐な時が満ちる。今、この教会内には王子とシスター以外の何者もいない。
「……え」
祈りを終えたシスターが、ふとした気持ちで王子を見遣った。
静寂を携えて沈黙する瞑目の王子。その両目からは静かに、森を流れる小川のような穏やかさで涙が流れ落ちていた。というのになぜか、王子の表情には苦悶も悲愴も浮かんでいなかった。いうなればそれは、安堵の表情に近い。
「なにを……」
目を開けた王子へ、シスターは尋ねずにはいられなかった。
「あなたはいったい、なにを祈ったのですか」
「魂の解放だよ。やがていつかは為さなければならないことだ。再会の輪廻は、結局のところは檻に閉じ込められているようなものだから」
「魂……解放……? あなたの言葉の意味が、私には分かりません」
「きみは私を理解しようとしてくれるのか」
「えっ……!? そ、そういう意味で言ったんじゃありません!」
むきになって叫ぶシスターへ、王子は心底愛おしそうに微笑んだ。真実、王子は目の前のシスターを愛している。これまでの姫君たちへ向けたものと全く同じ愛情を向けている。
「きみにひとつ、私の正直な気持ちを伝えよう」
「はい……?」
「私は神が嫌いだ」
「な……! その発言は一国の王子として問題がありますよ!」
「ただそれは、もしこんな運命のシナリオを描いたのが神であったなら、の話だよ。同時に感謝もしているわけだがね。再会の機会を与えてくれるのもまた神であろうから」
「感謝……感謝って、あなたはいったいなにを言いたいのですか! 神が嫌いなのにここへ来て、意味の分からないことばかりを言う!」
「きみを愛している」
「~~~!! 帰ってください! もうここには来ないで! 私を困惑させないで!」
シスターは怒り、王子はそんな彼女の表情に目を細め、そのまま城へと戻った。
そうして王子は、いつまでも姿の変わらない王子は城へと戻った。
王と王妃は、そんな不老不死の王子に恐怖を覚え始めていた。
7
それは、雨が降りしきる日の夜だった。
教会の中で一人、神へ祈りを捧げていたシスターは、とんとんという扉の叩かれる音を聞いた。恐る恐る、扉を開けた。そうして仰天した。
「王子様!? い、いったいこんな夜更けに、それにその傷は……!」
「少し、雨宿りさせてほしいんだ」
「雨宿りって……! それどころじゃありません! すぐにお医者様を呼ばないと、血が、血がっ……!」
「平気だよ。このぐらいの傷は。放っておけばじきに治る」
「私が見ていて平気ではないのです! すぐにお城へ連絡を────」
そう言い、雨の中駆け出そうとするシスターを、王子は手で制す。
「私はもう、王子ではないんだ」
「はい……?」
「父と母は、不老不死の私に恐怖を抱いた。いつまでも姿が変わらず、老いない私を同じ人間とは思えなくなった。それだけのことだ」
「それだけのことっ、て……」
シスターは察した。王子を胴を貫く槍の傷、王子の皮膚を裂く剣の傷、王子の体中にある傷のすべてが、彼の父と母により命じられたことであるのだ、と。実の父母に化け物扱いされ、おそらくは家臣たちもまた彼を恐れていたのだろう。
なぜ、とシスターは思った。目の前の彼は、そこまで恐れられるほどの人間なのだろうか、と疑問に思う。シスターの目に映る彼は、浮気者で軽薄というだけで、化け物ではなかったのだ。なぜだかなぜだか、そう思えたのだ。彼は悪い人ではない、と……そう、魂が知っていた、という他ないぐらいに漠然と。
「私は、この国を出る」
「……なぜ、その前に訪れたのがここなのですか」
「ふと、神に祈りを捧げたくなった」
「あなたは神がお嫌いなのでしょう?」
ふふ、と苦笑し、シスターは言う。
「ああ、嫌いだよ」
「じゃ、あ、どうして」
「きみに一目、会いたかった」
真正面から見つめ、やはり王子はクサイことを言う。
「私は、記憶が曖昧なんです。いつから私がいたのか、まるでわかりません。いつの間にかこの教会にいて、誰もそんな私を疑問に思っていない。だから私は気づいた時からシスターであったからシスターを演じて神に祈りを捧げていました……おかしな話でしょう? あんまりにおかしな話だから、今まで誰にも話せませんでした」
「ではなぜ、私には話してくれたんだい?」
するとシスターは初めて柔らかく微笑み、優しく王子に語り掛けた。
「あなたも大概、おかしな人だからよ」
その笑みを見、王子は、
「……きみの笑顔はやはり、私の心をどうしようもなく魅了する」
「え、なっ……ど、どうして泣いているんですか」
「きみに逢うたび、私の心に歓喜と悲痛が押し寄せる。玄関はひとつしかないのに、ふたついっぺんに入ろうとしてくるんだ」
静かに泣く王子の手を、シスターはそっと握る。
「すまない、すまなかった……私のために、きみは……また……」
「後悔なさる必要はありません」
王子の言葉へのその返答は、無意識だった。なぜだかそんな言葉が出てきたのだ。大仰に言えば魂が言い放った、とでも言おうか。そう、彼女の魂が、罪悪に苛まれる王子へと。
もはや王子は王子でないが、それでもシスターは王子を王子と呼んだ。姫君は王子一人にとっての姫君であり、王子は姫君一人にとっての王子となった。けれど二人にとってはそれでよかった。姫君であるシスターはそして、王子と二人、旅に出た。
それはそれは仲睦まじい、旅へと。
8
ある国、ある場所。
「私の王子様、やはりあなたは泣いてくれるのですね」
別離はやはり、訪れるのだ。
「どうしても、きみは死ぬのだね」
「ええ、死ぬのよ。神様がそうお決めになられたから」
「神……そう、神が……」
「ふふ。もっと神様がお嫌いになった?」
「ははは……そうだね、私は神が嫌いだよ。大嫌いだ……」
それまでの姫君と同じく、シスターであった姫君は死ぬしかない病に臥せった。そうして今、眠りにつこうとしている。一人以外はそれを、永遠の眠りと言うだろう。
「あなたはすぐに、新しい姫君を探し出しそうな予感がするわ。ちょっとだけ、嫌だけれどね」
「……きみにまた逢いたい」
「私はシスターだったから、あなたの嫌いな神様に祈るの」
いたずらっぽく弱弱しい笑みを浮かべ、姫君は言う。
「私の王子様の幸せが、今度こそ真実であるように」
「……! 違うっ、それは違うんだ。私の幸せは常に真実だった、きみと過ごした日は私の全てだった……! ただ、ただそれが長続き……い、いや、私の姫君はいつだってきみひと────」
感極まってなにかを口走ろうとする王子の口を、やせ細った手が優しくふさぐ。
「いけないわ。それはあなたにとって、いけないことなのでしょ? なにも知らない私は、なんだかそんな気がするの」
「わ、私は……」
「私は祈るわ。神ではなく、私自身があなたに祈るの」
姫君は柔らかく微笑む。
王子が世界で最も愛する笑顔を浮かべ、王子が世界で最も恐れることを後に控えて、姫君は言う。
「幸せになって。あなたはあなたの幸せを、お探しになられて」
「あ、ああ……! 私は私の幸せを────」
もはや目を覚まさない躯の姫君を前に。
王子は誓う。また、誓う。再三、誓う。
「きみの魂を必ず、見つけ続ける。そのために私は永遠に縋ったのだ」
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