薔薇色の宇宙
「ねえ、ひとつ聞いていいかな」
彼の問いかけに、あたしはベッドの上から答える。
「うん、いいよ。なにかな」
「どうして夏でも手袋をしているのさ」
「やかないため」
「ああ、日焼け防止ってこと? でもさ」
彼は、トレイに二つの皿を載せて部屋に入ってくる。それにしてもこの子はなぜ餡掛けチャーハンなどという器用な料理ができるのだろうか。なぞである。
「だったら部屋のなかではとればいいのに」
あたしは、自分の両手を見る。
指先だけが出たニットの手袋。
手のひらから肘の手前までは、いつもその手袋に覆われている。
「そうじゃあないの。言っても理解できないから」
あたしは、トレイからチャーハンとスプーンをとると、一口ほお張る。おいしい。彼は家事ならなにをさせても上手だ。おまけに繊細で優しげな顔立ち。欠点があるとすれば、職業が詩人ということだけだ。
「何みてるのさ」
あたしはチャーハンをほおばる彼をじっとみつめる。
「言っても理解できないだろうけど、見れば判るよ。見てみる?」
「うん」
「じゃあ、くーちゃんとってきて」
彼はわたしのまえにクマのぬいぐるみを置く。あたしと半生を共にしてきた大事なぬいぐるみ。彼もそのことをよく知っている。
あたしは、彼のまえで手袋をとった。
「きれいな手だね」
「自殺の傷痕でもあると思った?」
あたしは手を裏返して傷のないことをよくみせる。彼は苦笑してみせた。
あたしは、ぬいぐるみを手に取る。いとおしさが込み上げ、ぎゅっと抱き締めた。
そのとき。
薔薇色の炎がともる。
彼の目の前で、ぬいぐるみは燃え上がり灰になった。
「すごいね」
彼は敬虔といってもいいような瞳であたしを見た。
あたしは、手をひろげる。火傷がないことを見せるため。あたしの炎はあたし自身を焼くことはない。
「あたしは、好きなものをこの手で抱くと灰にしてしまうの」
「いつからそうなの?」
あたしは首をふる。
「一番古い記憶だと、小学6年生のころ。家で飼っていたウサギを抱いた時急にいとおしくなって」
「燃えたの?」
「うん。驚いて落としたから灰にはならなかった。そのかわり、晩ごはんのおかずになったわ」
彼は苦笑する。
「そのあと大切にしていた本や写真を焼いてしまって」
「手袋をするようになったんだね」
あたしがうなずき彼は微笑んだ。
彼は立ち上がり部屋をでる。戻ってきたときには縄跳びの縄を持っていた。あたしがダイエットのため買ってほうりだしてたやつ。
「ちょっと」
彼は巧みにあたしの手を背中で縛る。
「ようは、抱かれなければいいんだ」
「それはそうだけど、でも」
あたしのことばは彼の口づけで途切れた。
彼は巧みにあたしの身体を愛撫する。奏でるように指先が肌の上を走り、囀るような口づけがあたしの奥深いところを抉る。
あたしの頭の中に、薔薇色の炎がともった。
あたしが赤黒い闇から現実に戻ったとき、彼はあたしの傍らで灰になっていた。あたしはうまく働かない頭で記憶をたどる。
彼はあたしを抱いてあたしの中心を貫きながら。
そうだ。
彼はそっと縄をほどき。
両の手を導き。
自分の身体を、あたしの両手の輪の中に置く。
そして。
ああ。
なぜ、そんなことをしたんだろう。いえ、判っている。決まっているじゃない、そんなこと。
彼は最も確実な形での愛の証しを求めたんだ。
世界で最も確実なリアルを。
カチリと。
あたしの中で何かが嵌まった。
あたしは部屋から駆け出しマンションの屋上へと出る。
頭上には青い青いそら。
その美しさに、あたしは涙する。
あたしは叫んだ。
何度も、なんども。
あたしは。
愛で。
世界を。
壊す。
青い、悲しいくらい美しく青い空へ両手を伸ばす。
そして。
そらは薔薇色に染まった。
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