第32話

#モジリアーニ は 35才 1920年に 不摂生により なくなりましたが モジリアーニは 14才から フィレンツェで デッサンを始めた イタリア人ですが

美術一筋だった モジリアーニの

有名な 作品は 晩年の 31才からだけなんですよ。


モジリアーニは #ブランクーシ との出会いで あのスタイルを これもそうですよ。


モジリアーニは 才能のある画家でしたが

このような 絵は ピカソ ゼザンヌみんな 売れなくて


日本と同じで 日展のような サロンという リアル 写真の代わりの 絵しか 売れなかったんですよ。


モジリアーニ #スーチン を 本物の アーティストとして 認めたのは ピカソぐらいで

モジリアーニは 若い頃ピカソに なけなしの お金も 貸しています。


ピカソは 器用で 現実的なところがあって

絵では 食えないと思って

本のデザイナーとか 食べるための仕事をしましたが

絵は まったく売れませんでした。


モジリアーニは 絵と彫刻だけだったので どんどん 生活が 苦しくなって


ところが モジリアーニが 亡くなってから 世界の 美術で 売れたのは モジリアーニ ゼザンヌ あたりという 時代の 先取りだったのに

モジリアーニは 結核で

35才で 亡くなったのは


皮肉なものです。


ピカソすら 本当に売れたのは 戦後で 1960年代からで 女性に 奢れなかったのは 金がなかったからですよ(笑)


ピカソは 少しお金が 入った60代から

モンマルトルの 若い時 片思いで 少しだけ 気まぐれに 付き合ってくれた 女性だけに 死ぬまで

仕送りをしています、


金と 名声を得てから 女性も 画商も ピカソに 寄ってきましたが

ピカソは そういう人とは

無一文に なるかもしれない

自分に

金とか 名声は 信じてなかったんですよ。


ピカソは モジリアーニと スーチンだけを 友人と思い

無一文の 自分が 自分なので

その時の 友人の 埋葬をして 女性に 仕送りを続けたのは


今の日本人の 恵まれた 恋愛や 人間関係の 女性には ケチな男としか 思われないですよね。(笑)


岡本太郎も ピカソと 同じことには 呆れてますね。(笑)


人間は 金とか 名声 成功と 本質は 別なものとは 思えないのが

日本人の 哀れなとこですね。

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