其ノ拾四 ~月光蝶~

 次の日になっても、降りしきる雨は止まなかった。

 世莉樺は自転車は使わずに、傘を差して徒歩で登校している。傘を差して自転車に乗る事――俗に『傘差し運転』と呼ばれる行為は、高校の規則で禁じられていた。もしも発覚すれば、厳罰に処される規則である。過去に、鵲村第一高校の生徒が傘差し運転を行い、重大な事故を招いた事例が存在する為だ。


「何時になったら、この雨止むんだろ……」


 世莉樺の呟きが、雨音の中に吸い込まれていく。雨の雫が、世莉樺の差す傘を容赦なく叩いている。


「さあね」


 素っ気ない返事が、世莉樺の後ろから発せられる。

 返事の主は、黒い着物を着た幼い少年。自らを精霊と名乗る、炬白だ。

 彼は傘も差さず、世莉樺の後ろをついて歩いていた。その裸足が歩き進むたびに、腰の鎖が金属音を鳴らす。


 今日は、炬白も世莉樺と共に学校へ行く事にしていた。

 鬼を止める為に必要な道具、『霊具』が学校にある可能性がある。その手掛かりを掴む為だ。


「! あ……」


 世莉樺は足を止め、道端に生える茂みに視線を落とした。

 彼女が見ている先には――ムラサキツメクサが茂っている。和名では『アカツメクサ』とも呼ばれる植物で、牧草や家畜の飼料として栽培され、薬用にも用いられる。

 しかし、世莉樺が見ているのは、アカツメクサでは無い。


「どしたの?」


 炬白が問いかけると、世莉樺はアカツメクサの茂みに指差した。

 少年は、その方向を視線で追う。


「炬白、この蝶って……」


 世莉樺が指差しているのは、アカツメクサの上で羽を休める(もしかしたら、花の蜜を吸っているのかもしれない)一頭の白い蝶。

 その場所は木の側で、雨の雫の届かない場所だった。蝶は、雨から逃れているのかも知れない。


「ああ、カササギユキシズク(鵲雪雫)だね。珍しい」


 幾つか黒い斑点の付いた純白の羽を持つ、どこか儚げで美しい蝶。

 カササギユキシズク――日本でも鵲村にしか生息が確認されていない蝶だ。本来は夜行性で、夜中に活動する蝶である。だから、このような早朝の時刻にその姿を見かける事は極めて珍しい。


 何よりも有名なのは、この蝶が持つ特徴。

 明確には解明されていないものの、カササギユキシズクには発光する能力が備わっている。その純白の羽を、まるで宙を舞う雪のような淡い白色に光らせる事が出来るのだ。

 けれども、蛍のように何時でも光る事が出来る訳では無く、光を発せるのは蝶が『月の光』を受けた時のみ。明確に解明されていないが、一説には羽の鱗粉に、月の光にのみ反応する、特別な発光酵素を有しているとも言われる。

 この蝶が夜闇に浮かぶ月の下、淡い光の粒となって飛んでいく光景は神秘的で、神々しく――本当に美しい。夏祭りの終わりの日にこの蝶を沢山、一斉に空に放し――月の欠片のように空を舞い行く様を見送る行事がある。

 今や鵲村の風物詩にもなった、『月送り』と呼ばれる行事だ。


 この行事が始まった時期は定かでは無い物の、いつしかカササギユキシズクにはもう一つの呼び名が付けられた。

 月の光を受けると、まるで呼応するように淡く光を発する蝶。

 そこに由来して、『月光蝶』と。


「この蝶……瑠唯ちゃんが好きだった蝶だよ」


「瑠唯……あの鬼が?」


 二人が言葉を交わし合う間、一頭のカササギユキシズクは羽を小さく揺らしていた。雨が降っている所為だろう。飛び立とうとする様子は無い。


「うん。蝶の中でも一番大好きで、夏休みの自由研究の題材にもしたって言ってた」


 世莉樺は、ふと思う。

 鬼と成った今でも、彼女は――瑠唯は、この蝶の事を覚えているのだろうか。自分が大好きだったカササギユキシズクの事を、あんな悍ましい姿に成った今でも、理解出来るのだろうか。


「姉ちゃん?」


「!」


 炬白の言葉で、世莉樺は我に戻った。


「ごめん、行こう」


 世莉樺は踵を返し、再び学校へと歩を進め始めた。

 黒着物の少年も、彼女の後ろに続く。その後ろで、アカツメクサの上に足を降ろす一頭のカササギユキシズクが、純白の羽を羽ばたかせる。



  ◎  ◎  ◎



 悠太と同じように、学校内の者、世莉樺のクラスメイトや教師。誰も、炬白には反応を示さなかった。世莉樺以外には彼の姿は見えないし、声も聞こえないのだから。

 だから世莉樺は、炬白と会話する時は最新の注意を払う。世莉樺には炬白も見えているから不自然は無いものの、他の者から見れば、世莉樺が独り言を喋っているように見えるからだ。

 勿論の事、炬白が発する声と違って、世莉樺の発する声は他の者の耳にも入るのである。


「え、資料室の怪しい道具の事?」


 放課後――教室清掃が始まる教室の中で世莉樺が問うと、少女はそう返した。

 世莉樺は頷く。


「うん。朱美、前に何か言ってたよね、詳しく教えてくれない?」


 世莉樺が問いかけている相手は、朱美。世莉樺のクラスメートであり、同じ剣道部に属する仲間だ。


「えと……何だったっけ」


 考え込むように首を傾げた後、朱美は続ける。


「そう! 確か先輩から聞いた話なんだけど……この学校の資料室の何処かには、何年も昔……何か、化け物を封じ込めた刀が保管されてるって」


 世莉樺は、軽く後ろを振り向く。

 そして、自分以外の誰にも視認できない少年――炬白と、視線を合わせる。

 再び朱美を向き、世莉樺は訊く。


「それ……! 何処にあるか分かる!?」


 もしかしたら、朱美の言う『刀』が、瑠唯を止める為に必要な『霊具』なのかも知れない。そう考えていた世莉樺の声は、彼女自身でも気付かぬうちに弾んでいた。

 しかし、朱美は両掌を天に向け、首を横に振る。


「ううん、場所まではちょっと……てか世莉樺、本物の刀なんて探してるの?」


「あ、いや別に……!」


 世莉樺は焦る。

 何も事情を知らない朱美からすれば、本物の刀の在り処など問う世莉樺は不自然だろう。よもや誰かを斬るつもりなのか、そう疑われているかも知れない。


「ちょっとその……あ、国語のレポート課題で研究しようかと思って」


 咄嗟に浮かんだ言い訳で、世莉樺は取り繕った。

 効果は覿面で、朱美は納得した様子を見せる。


「なるほど、そゆことね」


 世莉樺は茶髪を揺らしつつ、何度も頷いた。



  ◎  ◎  ◎



 世莉樺が剣道部の部室へ行くと、やはり彼が居た。

 その見慣れた横顔に、挨拶する。


「お疲れ様です、一月先輩」


 金雀枝一月だ。


「ああ、世莉樺」


 大概、一月は世莉樺が部室に来る頃には既に先に来ていた。

 その度彼は、毎回違う事をしている。剣道具を整頓している事もあれば、剣道部の会計簿を付けている事もある。

 そして今回は、何かの本を読んでいた。


「先輩、何読んでるんですか?」


 世莉樺が問うと、一月は本にしおりを挟み、机の上に置いた。

 一月が本を読んでいる所を見るのは、世莉樺は初めてだ。何の本を読んでいたのか、思わず気になった世莉樺は、机に近づいてみる。


「別に、大した物でも無いよ」


 まるで世莉樺から隠すように、一月は本の上にプリントを被せる。

 その本の著者名だけが、世莉樺に視認出来た。


(ん……何て読むんだろ? この漢字……)


 一月が読んでいた本の著者名は、『黛 玄生』とあった。

 世莉樺には、その名前の読み方が分からない。


「ところで世莉樺」


 一月は椅子から立ち上がり、世莉樺の方へ視線を向ける。

 否、彼の視線は世莉樺を見ていない。彼が見ているのは、世莉樺の後ろだ。


「その子……誰?」


「……え?」


 世莉樺は困惑する。

 今、この部室には一月と世莉樺の二人しか居ない筈だった。だとしたら、一月の言う『その子』とは、一体誰の事を指しているのだろうか。


(……! もしかして……!?)


 後ろを振り返った世莉樺の視界に、黒着物の少年が映る。

 彼の姿は、世莉樺以外の誰にも見えなかった筈だった。事実の事、学校に居た者は誰一人として、彼の姿に反応を示す事は無かった。

 世莉樺はもう一度、一月に視線を向ける。そして再び、黒着物の少年に視線を移す。一月と炬白の視線は、間違いなく合わさっている。


 黒着物の少年――炬白は、恐らく世莉樺以上に驚いていた事だろう。

 炬白は、一月に向かって言った。驚きが言葉に現れているのか、心なしか早口である。


「お兄さん、オレの姿が見えんの……!?」





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