279話 マイエンジェルとデート 後編


 昼食を食べ終えた後、俺は翡翠がデザートとして注文したパフェを食べる姿を眺めていた。

 甘い物は別腹という言葉の通り、あの小さな体のどこに入るのか疑問が尽きない。


 でもまぁ、満面の笑みを浮かべて美味しそうにパフェに乗せられたフルーツを頬張る表情を見てたら、可愛いからいいかとも思える。


 さっきの不機嫌な様子も吹き飛んだみたいだ。


 そんな翡翠と次に訪れた店は……。


「……何故ランジェリーショップ?」


 女性用下着を打っているランジェリーショップだった。

 ただでさえ居づらいのに、同伴者は妹である。

 気まずいことこの上ない。


「ひーちゃんの下着はおねーちゃんのおさがりで──」

「止めてやれ。それ以上言ったら無性に切なくなるから」


 十三歳の翡翠のおさがりになる大きさしか無いって言っちゃってるよ?

 確かに美沙は同年代に比べたら慎ましかったけれど──あれ、なんか悪寒が……?

 

「つーにぃ?」

「な、何でもない。それより、俺はここで待ってるから早く選んできな」

「せっかくなので、つーにぃに選んでほしいです!」


 うん、そう言うと思ったから待ってるって言ったんだけどな?

 

「いやいや、妹の下着を選ぶ兄とか普通いないからな?」

「おにーちゃんに下着を選んで欲しい妹ならここにいるです!」


 その通りだけど、かなりの特殊例だからなそれ!?

 しかし、説得も空しく翡翠の熱烈なお願いを断り切れず、俺はランジェリーショップへと足を踏み入れることになった。


 童貞の是非に問わず、こういった場所にはどうしても気後れしてしまう。

 あぁ、周りの視線が痛い……妹とはいえロリッ子の下着選びに付き合う日が来るなんて思わなかったよ……。


「つーにぃはどんな下着がいいです?」

「……翡翠に似合うのなら、どれもいいよ」

「そんなテキトーじゃなくて、ちゃんと選んで欲しいです!」


 俺の返答に、翡翠はプクッと頬を膨らませながら文句を言う。


 やっぱ当たり障りのない答えじゃ駄目ですか、そうですか……。

 だって今ここで選んだやつを、こんな可愛い女の子が明日から着けるんだぞ?

 下手な黒歴史より恥ずかしいわ……。


「じゃあ、変に色っぽいのは合わないだろうから、フリルとかリボンとか付いた可愛さ全開の白ならどうだ?」

「ふむふむ、つーにぃはせくしーよりカワイイの方が好き、と」

「待って翡翠さん、冷静に記憶しないで」


 感心する素振りを見せる翡翠に、俺は両手を覆って目を逸らすしかなかった。

 この短時間に。どんだけ高密度な羞恥プレイを経験しなきゃいけないんだ。

  

 そうして一通り下着を見繕った翡翠が、俺のアドバイスに則っていくつか購入してから、ランジェリーショップを出る。


 しばらく談笑しながら歩いていき、ベンチで並んで座った際にふと翡翠からあることを尋ねられた。


「そういえば、つーにぃはルーちゃんに告白されたです?」

「お、おぉう? なんでそう思ったんだ?」

「だって、週明けからゆっちゃんとルーちゃんの三人で学校に行くようになったから……」

「あー……」


 翡翠の言葉に納得する。

 彼女と兄妹になってからというものの、途中まで一緒に登校して日本支部に行かない日の下校時には、迎えに行くようにもなった。


 その登校時に、ゆずとルシェちゃんがいつもの集合場所である駅前に揃って待っていて、二人と一緒に登校することが当たり前になっていったのだ。


 もちろん、下校も同様だ。

 それによって両手に華という風に美少女二人と並んで歩く男が、妹の迎えに行く光景が非常に目立つため、母校でもある羽根牧中学校では色々と噂になっているらしい。 

 

 特に翡翠のことが好きな崎田君を始めとした男子達からは、親の仇に向けるような殺気を向けられたことあるしなぁ。


 そしてなんであの二人も一緒なのかというと、多分翡翠に対抗心燃やした結果だと思う。

 

 実際、彼女と同じ家に暮らすことになったと知られた時、俺に好意を向ける四人から大変問い詰められたし。


 翡翠にも好意を向けられることになった結果に、ついに初咲さんから泣いて誰か紹介してくれと縋り付かれたりもした。

 正直あまりにもみっともなかったし、残念ながら俺の同性間の交流は絶望的なので、紹介なんてとても出来ない。


 そう伝えたら虚無の眼差しを向けられたことは記憶に新しい。  


「翡翠は竜胆の苗字に変わったけど、学校で何か変わったこととかあるか?」

「えっとね、つーにぃのことをよく聞かれるです」

「俺のことって何の──あーいや、いいや。絶対ロクでもないことだろうし」

「確かに、つーにぃのこと男の敵だって言ってたです」


 ほらみろ。

 翡翠の体育祭に行った時から、周囲からの羨望と嫉妬が凄まじかったしそうなるわな……。


「あと、やっぱりみんなひーちゃんの苗字が変わったことに慣れてなくて、まだ天坂って呼ばれちゃうです」

「それは仕方ないだろ。結婚した奥さんも苗字が変わって反応が遅れたりするって話をよく聞くし、むしろ順応が早い翡翠は流石だよ」

「だってつーにぃの家族だっていう証です! 竜胆って呼ばれてもすぐに反応出来る様に、ゆっちゃん達と一杯練習したです!」

「それゆず達に物凄く喧嘩売ってないか!?」


 俺に褒められたのが嬉しいのか、翡翠が素直に練習の成果だと口にする。

 しかし、その練習内容がとても気軽に聞き逃していいものではなかった。


 わざとなのか?

 通りで週明けに会ったゆず達のアプローチが一層激しかったわけだ。


 これでもかと好きな相手と同じ苗字を言わされていれば、無理もないか……。


「まぁ、そこまで真剣になってくれるのは、兄として嬉しいけどさ……」

「おにーちゃんとして、か……」

「翡翠?」


 素直な感想を口にするが、翡翠には何やら不満があるようで表情が若干曇った。

 何か不味いことでも言ってしまったのかと思っていると、彼女はゆっくりと口を開く。


「あのね、今日つーにぃとデートに来てて、周りから兄妹だーって思われて嬉しいのは嬉しいです」

「まぁ、パっと見そうにしか見えないもんな」

「でもね、ひーちゃんはつーにぃのことを男の人としても好きだから、ちょっとくらい恋人同士に見て欲しいなぁって思ってるです……」

「え……?」


 頬を赤く染めながら告げられたその言葉に、俺は思わずキョトンと呆けてしまう。

 意味が分からないというより、不満の理由に驚いたからだ。


 それは逡巡するまでもなく、恋をする人間なら当たり前の気持ちだと悟る。


 ゆず達と出掛けた際にも、みんな俺と恋人だと言われれば嬉しそうにしていた。

 翡翠が言っているのはそれと同じ事だ。


 けれど、ここまでの周囲の反応を振り返ると確かに兄妹に見られることがほとんどで、恋人に間違われたことはない。


 強いて兄妹以外の感想を挙げるなら、俺がロリコン扱いされたことくらいだが……それはどう見ても悪い意味なのは明白だ。


「翡翠としては、どう見られたいんだ?」

「えっと、出来れば、恋人の方がいいです……」


 面と向かって言うのは恥ずかしいのか、翡翠は赤い顔を俯かせながらそう答えた。


 面倒くさいな、とは思わない。

 むしろ可愛らしくて今すぐにでも抱き締めたいくらいだ。


 正直、彼女が焦る理由も致し方ないだろう。

 

 何の悪戯か、彼女と同じく俺に好意を寄せる女性が四人もいるからだ。

 それもまだ中学一年生の自分よりも、ずっと女性としての魅力に溢れる人達ばかり。


 一つ屋根の下で暮らしているというアドバンテージがあろうとも、逆に言えばそれしかないという見方もある。


 だったら、兄として──いや、好きになってくれた女の子の不安を少しでも取り除いてやりたいと、そう感じた俺は俯く翡翠の頭に手の平を乗せた。


 その行動に驚いたのだろう、彼女は肩をビクッと揺らして俺の顔に視線を向ける。


「え、つーにぃ?」

「翡翠が俺のことを好きだって言ってくれたのは嬉しい。でもさ、それ以前に俺達はまだ家族になって一週間とちょっとしか経ってないんだ。俺はまだ妹としてのキミとの距離を測りきれてない……それは翡翠も同じだろ?」

「うん……」


 ゆっくりと彼女は頷く。

 そうじゃなきゃ、兄妹だと言われて嬉しいなんて言わないもんな。


「恋人だって、夫婦だって、そうなったからと言っていきなり上手く行くなんて滅多に無いんだから、それこそ『よそはよそ、うちはうち』で良いんだよ」

「あ……」

「お互いのことを知るのは、兄妹の今でも出来るんだ。なら、俺達らしく行けるやり方を見つけてからでも遅くないだろ?」

「──うんっ!」


 俺の言葉に、翡翠はパアッと輝く笑顔を浮かべる。

 そして、隣に座っていた彼女は立ち上がって……。


「よいしょ、です!」

「翡翠さん? なんで俺の膝の上に座るという、早速兄妹らしからぬことをするので?」


 柔らかい感触が膝に伝わり、女の子の匂いが近くて妙に意識してしまう。

 急激なスキンシップに戸惑っていると、翡翠は何気ない表情を向けてから告げた。


「え? これくらい、前からやってたです」

「……前々から思ってたけど、キミもしかして結構前から俺のこと好きだったの?」

「ん~、自覚したのはつーにぃから家族になりたいって言われた時からで、それまでは自覚がなかったです」


 ルシェちゃんみたいに、美沙のことで色々と躊躇うかと思っていたけれど、どうやら杞憂だったようだ。

 

「それでつーにぃ! 今度はつーにぃの方からチューしてほしいです!」

「ここショッピングモールだぞ!? 普通に人目があるからな!?」


 そして続け様にされた大胆なお願いに、俺は往来にも関わらず声を荒げてツッコむ。

 ゆずや菜々美の時みたいに、二人きりならまだしも俺にそんな度胸は無い。


「でも、ひーちゃんはまだつーにぃからされてないです……」

「い、いや~、一回目はまだしも、まだ兄妹なのにそういうのは──」

「つーにぃと一緒に観た魔法少女のアニメではやってたです」

「現実とのごっちゃはやめよう!?」


 そりゃあれだって義理の兄妹同士だよ?

 確かに俺と翡翠との関係に大差ないけどさ……。

 あれか?

 女の子としてはされたい願望みたいな感じなのだろうか……?


 だが、ここでそんなことを考えても埒が明かないので、俺は観念して翡翠と顔を合わせる。


「分かった。じゃあ目を閉じてくれないか? 流石に見られてるとハズい」

「はいです」


 素直に言われた通り、翡翠はつぶらな緑の瞳を瞼でキュッと隠す。

 それによって際立つ彼女の将来性の高い可愛らしい顔立ちに、幾ばくか鼓動が早くなるのを感じながらも俺はそっと唇を近付ける。




 ──翡翠のおでこに。




「ひゃっ!?」


 流石に触れればバレてしまう。 

 俺の行動に気付いた翡翠は、おでこを両手で抑えながら閉じていた瞳を見開いて俺を見つめ、頬は真っ赤に染まっていた。


「悪いけど今はこれが精一杯だ」

「む~……でも〝今は〟ってことは、ひーちゃんが大きくなったらちゃんとしてくれるってことです?」

「さぁて、どうだろうなぁ~?」

「つーにぃのイジワル……えへへぇ」


 ほっぺを膨らませながら揚げ足を取る翡翠に、俺はちょっとだけ悪い笑みを浮かべて返す。

 その返答に最初はぼやくが、彼女の表情はすぐにだらしのない笑顔へと変わった。

 望んだ形と違うとはいえ、やはり好きな人からされるキスに嬉しさを隠せない様子だ。


 もう少ししたら帰るかなと思ったその時……。




「遂に天坂に手を出しやがったな、このロリコン野郎がぁっ!!」

「「えっ!?」」


 突如飛び込んできた怒号に、俺達は慌てて声が聞こえた方角へ顔を向ける。

 すると、そこにいたのは赤茶の髪を逆立たせているイケメンの少年──崎田蘇芳君が今にも殺しに来そうな鋭い眼差しで佇んでいた。


 

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