269話 逸る憎悪


 ゆず達が上位クラスの唖喰──ミミクリープラントの生み出す無数の下位クラスの唖喰との戦闘を繰り広げている頃、オリアム・マギ日本支部では負傷者の治療のために、訓練場では野戦病院のような光景が出来上がっていた。


「A型の血液パック四つ持って来て下さい!」「包帯もっと頂戴! これじゃすぐに無くなる!!」「重傷者は待機している魔導士から治癒術式を受けて!」「動ける人は自分で応急処置するように伝えて下さい!」「負傷者二名帰還しました! 片方は右腕の骨折で、もう一人は腹部が抉られてます!」


 戦闘が始まってかれこれもうすぐ一時間は経とうとしているが、一向に終わる気配がない。

 それどころか、絶えず湧き出る唖喰の攻撃によってけが人が増える一方であった。


 怪我の度合いに関わらず、基本的に魔力が尽きた魔導士が戻って来るため、翡翠のように戦闘にトラウマを持った後方待機の魔導士が都度、治癒術式を施すか魔力譲渡を行っているが、それでも魔力にはどうしても限りがある。


「大丈夫ですか? 肩貸します!」

「あ、ありがとう……」


 そんな喧騒が響く訓練場には、司の姿もあった。

 男性である彼では戦闘では足手纏いである……が、それでも自身に出来ることをしようと、負傷者の手当てに参加していたのだ。


 右足が抉られたことで、赤に染まった骨が見えている魔導士の体を支えて、唖喰への嫌悪を募らせつつ空きスペースへ誘導して何とか床に座らせる。

 

「これは治癒術式じゃないとダメだな……今使うことって出来ますか?」

「ごめんね竜胆君。私、もう魔力が……」

「なら、俺の魔力を使って治してください」

「え……?」


 司の提案に、魔導士の女性は痛みも忘れてポカンと呆けた。

 彼が告げた案は魔力譲渡を自分にもやってくれていいというものである。

 別段、男性の司の魔力が使えないというわけでなく、それを迷いなく言い出したことに驚きが隠せない様子だった。 


 その戸惑いを察したのか、司は苦笑いを浮かべて自虐気味に答える。


「せっかくあるんだから、こういう時にでも役立てないと宝の持ち腐れなんで」

「えっと、分かった……借りるね」


 その言葉に絆され、女性は司の胸元に手を添える。

 すると……。


「──っ」

「……ん、治癒術式発動」


 ズズズ……と、献血のように自分の魔力が外部に出て行く感覚に、司は若干の眩暈を感じながらも倒れまいと堪えた。


 十分な魔力量が渡ったのか女性は司の体から手を離し、治癒術式を発動させる。

 骨が露出していた右足の傷口がみるみるうちに塞がっていき、少し切った程度にまで治まった。


 完全に治癒しなかったのは、少しでも魔力の節約をするためである。

 最低限、致命傷から失血死を回避出来るぐらいにまでに留めていれば、後は自然治癒に任せられるのだ。


 その回復を見届けた司は短時間で上達した手際で消毒と保護を行う。

 

「ありがとう」

「いえ俺は──いや、どういたしまして」


 告げられた感謝の言葉に、反射的に『これくらいしか出来ないから』と言い掛けるが、ルシェアに言われたことを思い出した司は、その言葉を素直に受け取った。

 

 どうにも癖づいてしまっているな、と自重を心掛けるように思い直す。

 

 女性と別れて、この場で治療の指揮を執っている芦川に、次の指示を仰ぐ。


「芦川先生。こっちは終わりました」

「ありがとう、竜胆さん。でも魔力譲渡は程々にしてね? 遠目で見てたけど、さっきので五回目だよ?」

「う……でも、あるのに使わないのは、もっと嫌ですし……」

「それでも限度ってものがあるでしょ? 無理をして倒れたら、ゆずちゃん達にまた怒られるよ?」

「ぐっ……」


 辛うじてぐうの音しか出ない程に言い負かされ、司は黙り込んでしまう。

 そもそも彼は、日本支部に来たこと自体ゆず達に良い顔をされなかっただけに、これでもかなりグレーゾーンなのだ。

 

 既に司が身に着けている滅菌処理を施された薄緑の防護服が真っ赤になっていることから、どれだけ大人数の処置に携わったかなど、容易に分かるだろう。


「とにかく、キミは一度防護服を着替えてね?」

「わ、分かりました……」


 

 救助する側が小汚い格好で治療など、笑い話にもならない。

 そう言われるものの、自分の身だしなみ以上に彼にはこの場で常に気に掛かっている人物がいた。


「あ……」


 その人の姿を捜して訓練場内を見渡すと、すぐに見つかって思わず声が漏れる。


 そこには一人の少女──翡翠が右脇腹から半月の形で抉られるという、遠目からでも分かる重傷者に治癒術式を施していた。

 

 彼女自身が、後方で負傷者の治療を数多く担って来たと言うだけあって、相手の致命傷はあっという間に回復していく。


 実は、司も鍛錬中に足を挫くなどをして怪我をしたことがあったのだが、そういった時は決まって翡翠がすぐに治癒術式を掛けてくれるのだ。


 そして、少女が施すそれとゆず達から受けたことをあるそれでは、翡翠の方が回復が早かったりする。

 どうやら本人はその自覚がないようだが、司としては彼女の長所だと捉えていた。


 自身の致命傷や美沙の死によって抱えた唖喰へのトラウマから、役に立ていないと自らを責めて止まない彼女が過ごした一年以上の時間は、決して無駄ではないと悟ったのだから。


 翡翠が一頻り治療を終えた頃を見計らって、司は彼女に声を掛ける。


「──よう、翡翠」

「っ! こんにちわです、つっちー」


 彼が声を掛けると、翡翠は一瞬気まずそうな表情を浮かべるも、すぐにいつもの笑顔に切り替えた。

 それが偽りの笑顔であることなど、今の司には容易に看破出来る。

 

 だからこそ、より胸の痛みが強くなったように感じた。


「俺が言うのもなんだけど、あまり無理はするなよ?」

「大丈夫です。ゆっちゃん達が頑張って戦ってる分、ひーちゃんも頑張らないと……」

「──そういうところなんだけどなぁ……」


 あまり説得力はないと分かりつつも掛けた言葉に、翡翠は大丈夫だと返す。

 だが、司には自分の行動を鏡で見せられているかと錯覚する程に、少女が辛い気持ちを押し殺して無理をしていると察した。


「翡翠……」


 司が翡翠に話を切り出そうとした瞬間……。


「ミミクリープラントが出たの!?」

「むしろそうとしか考えられないって。一年前でも多くの犠牲を出したって言うし、死に掛けたけどこうして生きてるのは奇跡だよね」

「ほんっと、未だに戦ってる最高序列の人達って凄いねー」


 怪我の治療を終えて休息している魔導士達の会話が、二人の耳に入って来た。

 

 ミミクリープラントという唖喰に関して、この場で初めて知った司にはイマイチピンっと来ていない。

 だが……。


「はっ……! はっ……!」

「翡翠っ!? おい、どうしたんだ!?」


 顔色が青を通り越して蒼白になり、汗と苦しげに息を荒げる翡翠の急変に、司は彼女の肩を揺らす。

 困惑するしかないまま、どうしたのか思考を張り巡らし……やがて一つの答えに辿り着いた。


「まさか……翡翠が重傷を負った戦いに、今の話に出た唖喰が出ていたのか……?」

「──っ!!」


 司が告げたことは翡翠が過去に致命傷を受けて、美沙が戦死した戦いのことである。

 先の会話で聞こえた〝一年前〟という言葉、彼女の死の経緯が記された資料では、別紙に当時の戦闘の記録があったことを思い出したのだ。


 つまり……ミミクリープラントが美沙の仇だということになる。


 そこまで推測した司は、絶句する翡翠の様子を見て点と点が線で繋がったと確信した。

 出来ることなら、自分がその唖喰を倒したいところだが……それが不可能であることなど百も承知であり、感情任せに飛び出すことすら躊躇われる。


 だからこそ……。


「──ごめんなさい、つっちー」

「っ、おい待て翡翠!!」

「……っ」


 背を向けて会話を切り上げ、神妙な面持ちで駆け出そうとする翡翠の腕を引いて咄嗟に止めることが出来た。

 そうして呼び止められたことが心外だったのか、少女はキッと司に初めて見せる怒気を露わにした眼差しで睨み付ける。


「離してつっちー! がアレを倒さなきゃ! おねーちゃんの仇を討つの!!」 

「落ち着けって! 唖喰が怖いのに飛び出すなんて、俺でも無茶だって分かるぞ!?」


 彼女の心の余裕の無さを表すかのように、『ひーちゃん』だった一人称が普段と違っていた。

 目に見えて焦っている精神状態で戦闘に赴けば、こう例えてはなんだが唖喰にとって御しやすい餌として、むざむざ殺されに行くようなものだ。


 もちろん、そんなことをみすみす見逃せる司ではない。

 グイッと翡翠の体を引き寄せ、小さな両肩を掴んで目を合わせる。


「仇が現れてそれを倒したいって気持ちは分かる……でも、そのために翡翠が死ぬなんてまっぴらごめんだ!!」

「それでも、わたしがやらないと……っ!」

「今も足を震わせてるのにか?」

「──っ!」


 司の指摘に、翡翠は目を見開いて息を呑む。

 その通り、同年代の少女と比較しても細めの白い両足は、生まれたての小鹿の様にブルブルと震えていおり、彼女がトラウマを押し殺してやせ我慢をしているという何よりの証拠だった  


「俺は誰にも死んでほしくない……それに例外なんてなくて、翡翠も同じなんだよ……」

「あ、うぅ……」


 神妙な面持ちで自らの想いを口にする司に、翡翠は言葉を失ってしまう。

 どうして何も言えないでいるのか……彼には大凡察しがついていた。


「俺やゆず達だけじゃない。翡翠のお姉さん──美沙だって無理してまで戦ってほしいなんて思うか?」

「──っっ!!?」 


 司にとっても決して軽んじることが出来ない人物の名を挙げると、翡翠は息を止めているのではと思う程に絶句した。

 

 今の翡翠を止めるには、美沙のことを知っていると明かすしかない。

 そう判断した上での言葉は、確かに少女の逸る心を止められた。


 が、その焦燥は色紙を上から絵具で塗り替えるように、別のものへと変えていく。


 蒼白の表情と震える緑の瞳からは、驚愕、愕然、罪悪感、恐怖といった、彼女が今まで心内に秘めていた負の感情が表れ出す。


 それは、自身と美沙の関係を司に知られたくなかったということに他ならなかった。

 

「どう……して……?」


 茫然と怯えが滲む眼差しを向ける彼女の問いに対し、司はすぐには答えず辺りを見渡した後、ゆっくりと口を開いた。


「……ここだと人の耳が多いから、外に出て話さないか?」

「──う、ん……」


 彼の言う通り、今二人がいる場所は野戦病院と化している訓練場である。

 一連の会話も多くの人に聞こえている為、否応無しに注目を集めてしまっているのだ。

 このままここで話しても負傷者の治療の妨げになるだろう。


 故に、翡翠は司の提案を受け入れる他なかった。

 

 そうして少年と少女は伴って訓練場を出たのだった。


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