217話 ※男性恐怖症の治療です※
校門前で起きた慌ただしい騒動などなかったかのように、午前中の授業を終えて昼休みの時間を迎えた。
午前中最後の授業の終わりを告げるチャイムが響き、俺はゆっくりと席を立つ。
「司君、お昼ご飯を一緒にどうですか?」
ゆずが普段通りにそう声を掛けてくれた。
彼女がウチのクラスに転入して来てからというものの、こうして一緒に昼ご飯を食べることも当たり前になっていた。
が、今日からはそれも変わるのだが……。
「あー、ルシェちゃんも一緒でいいか?」
「あ……」
失念していたのか、ゆずはきょとんとした後に一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべる。
しかし、すぐに首を横に振って切り替えたのか、ニコリと微笑んで……。
「はい、構いませんよ」
「……悪い」
「いえ、本当に大丈夫ですから……」
二つの意味で謝罪の言葉を口にだす。
一つはいつもの日常を過ごせてやれないことに、もう一つは寂しくさせてしまったことに。
俺の言葉を受けたゆずは大丈夫だと言い張るが、それが強がりなことくらい俺にだってわかる。
あちらが立てばこちらが立たず……なんとも難しいものだな。
「え、あの一年の子とは昼も一緒なのか?」
「あぁ、昨日保健室に連れて行った時に、お礼に弁当を食べさせてくれるって話になったんだよ」
「うおー、羨ましいねぇ」
こっちの会話を聞いていたのか、石谷の疑問にそう答える。
これは本当の話であり、昨日の夜にルシェちゃんからメールでその旨を伝えられた。
夏休みに彼女が出来たということもあって、石谷の反応は以前に比べてかなり大人しいものになっている。
もういっそ、他の男子達にもそういう伝手を使って紹介すれば大人しくなるんだろうか……。
まぁ、ゆずの時と同じくしばらくしたら騒がれることも無くなるだろう。
なお、鈴花は今朝に屋上へ入ったことにより罰として反省文を書かされたのち、今日は先生とマンツーマン指導を受けるハメになっているため、生徒指導室に軟禁されている。
昼飯すら一人で過ごさないといけないらしいので、今は教室に居ない。
メールで今朝の件で迷惑を掛けたことを謝罪すると、本人は然程気にしていないという返事が送られてきた。
そもそも、どうやって鈴花が屋上に行ったのかと言うと、転送術式を使って飛んでいったとゆずから聞いた。
そして屋上で鈴花は俺とルシェちゃんを助けるために固有術式を発動させたわけだが、ゆずからその件に関してもある程度の罰則があるらしい。
怪我をさせることは無いし俺達を助けるためと言っても、人に向けて故意に術式を使用したからだ。
出来るだけその存在を秘匿しないといけない術式を、万が一見られるわけにはいかないからだ。
唖喰との戦闘中ならやむをえないが、今回の場合はかなりグレーゾーンらしい。
そっちの罰は減給とかなんとか……流石にジュースじゃ足りないので、今度鈴花が行きたいって言ってたケーキバイキングを奢ろう。
そう考えていると、一年生のルシェちゃんがいる教室に辿り着いた。
「おーい、ルシェちゃん。昼飯を食べようか」
「あ、ツカサ先輩!」
「「「「──ッチィ!!」」」」
教室の中にいるルシェちゃんに声を掛けると、彼女はすぐに気付いてパタパタと駆け寄ってきてくれたが、同じ教室の男子達はあからさまに敵意の視線を俺に向けて来た。
だが、俺の隣にゆずがいると判ると途端に「……っふ」とかカッコつけだした。
多分俺に敵意を向けた時点でゆずさんの中で、君等への関心度はゼロに等しいレベルにまで落ち込んでいるだろうから、今更取り繕っても遅いと思うぞ。
「ルシェ~、後で続きを聞かせてね~♡」
「も、もう! ボクとツカサ先輩はそんな関係じゃないってば!」
クラスの女子の一人から、からかうような言葉を投げ掛けられたルシェちゃんは、何気に初めて聞くタメ口で返した。
どうやら、今朝のことで俺との関係を聞かれるうちに親しくなったようだ。
魔導器の翻訳機能のおかげで言葉の壁はないが、それでも外国人の彼女に接しにくい面はあっただろう。
迷惑は掛けてしまったが、会話の足掛かりとして役に立つというのはなんだか皮肉なものだ。
そうしてルシェちゃんを伴って、俺達三人は中庭で昼ご飯を食べることにした。
本当は屋上が良かったけど、鈴花の侵入によって今日一日は使用禁止になっている。
ゆずが俺と二人きりでの昼食でないことに不満を感じていないかと思ったが、ルシェちゃんと互いの弁当のおかずを交換しあったりしている様子を見ると、杞憂のようでホッと胸を撫で下ろす。
「さて、それじゃ治療矯正の続きと行こうか」
「はい!」
昼食を食べ終え、昼休みの残り時間を男性恐怖症の治療に当てることはゆずに説明済みだ。
ただまぁ、彼女も見学するという条件付きだが。
ともあれ、次の段階に移るためにルシェちゃんからアリエルさんの指示が書かれた紙を出してもらう。
==========
抱き着く
==========
今度はより密着しろってことか……。
あれ、でもこれってもうやってないか?
「これはもう済んでいますね」
あ、だよな。
男子達の包囲網からルシェちゃんを守る時に思い切りくっついてたよな。
「えっと、じゃあどうだった?」
「え、えっと、ツカサ先輩がボクの体を傷めないように優しく抱き締めてくれていたので、嫌な気持ちじゃなかったです……」
「そ、そっか……」
抱き締めても拒絶されないくらいには信頼されているとわかり、どうにも気恥ずかしくなってしまう。
「ゴホン!」
「「!!」」
「一つだけよろしいでしょうか?」
ここで〝私、不機嫌ですオーラ〟を発するゆずさんから一つだけ指摘があった。
「今朝の騒動で司君とルシェアさんは
おっとぉ、何やらトゲのある言い方をされてないか?
いや、実際にゆずをお姫様抱っこしたことはないけど……そんなに羨ましかったのか……。
小さな嫉妬心を隠そうともしないゆずさんに申し訳なく思いつつ、続きに耳を傾ける。
「アリエルさんのことです。次の指示はお姫様抱っこか膝枕の可能性が高いですよ」
「否定出来ないのがなぁ……ルシェちゃん、どうだ?」
「……ユズさんの言った通りです」
「マジかよ……」
次の指示を見破るとかすげえな……。
というかもうこの時点で、俺だけ他の男と途轍もない大差が広がってる気がするんだが……。
「ルシェアさん、仮に司君相手に膝枕をすると仮定してみて、嫌な気持ちはありますか?」
「ええっと、多分大丈夫な気がします……」
ルシェちゃんの中で先輩の俺に対するパーソナルスペースが緩い件。
どうしてここまで圧倒的な差が着いたんだろうか……段々そっちの方が気になって来た。
「…………では、次の指示を確認しましょう」
そこは無理と言って欲しかったと、ゆずの顔が鮮明に語っていたが、彼女は何のことやらと平静を装って続きを促した。
とりあえず、次に移るのには賛成だ。
そうして次の指示が書かれた紙を取り出して、三人で内容に目を通す。
==========
下着を見せる
==========
「セクハラじゃねえかぁっ!!」
すかさずこの場に居ないアリエルさんへ向けてツッコミをかます。
あの人、急にハードル上げて来やがった!?
いやいやいやいや、流石にそれはダメだろ!?
これ、本当にアリエルさんと医者が相談して出した指示なのか?
アリエルさん個人で考えたって言われた方がまだ納得出来るわ。
納得出来るからってやらせるつもりは毛頭ないけど。
「な、なな、何を考えているんですかあの人は!? なん、なんてハレンチな……っ!?」
ゆずも同様の心境なのか、顔を真っ赤にして狼狽えていた。
キスまでしたものの、ゆずの対羞恥耐性はまだ弱いままだ。
そうでなくとも、これはヒドイ。
「ルシェちゃん、今日はもうここまでにしよう。流石にこれは……」
「いえ! ボクはやります!!」
「「ええっ!?」」
止めようと言った俺に反してまさかのやる気満々な宣言をするルシェちゃんに、俺とゆずは驚いて狼狽する。
「待ってくださいルシェアさん、下着ですよ? 異性に向かって自ら進んで下着を見せるだなんて、アリエルさんくらいですよ?」
「えっと、流石にアリエル様でもそこまではしないと思います……」
普段ゆずがアリエルさんをどう思っているのかが明確に含まれた言葉に、ルシェちゃんは即座に否定するが、以前あの人が竜胆家に泊まりに来た際に水着で風呂に乱入された身としては、やり兼ねないなと思ってしまう。
まぁ、今はアリエルさんのことじゃなくて、ルシェちゃんのことだ。
「その、アリエル様には自分の限界を見極めるように言われていて、何よりボクがダヴィド元支部長に受けた被害は、そういう類のものです……」
「あ……すみません……」
「いえ、えと、いくらツカサ先輩相手でも下着を見せるのは恥ずかしいですけど、それも男性恐怖症を治すためでしたら、我慢してみせます……!」
「ルシェちゃん……」
ルシェちゃんはまだ十六歳の女の子だ。
初恋もまだの彼女がダヴィドから受けた傷はとても根深いもので、それをどうにか解消しない限り、ルシェちゃんはまともな恋愛すら叶わなくなる。
誰かに強制されたわけではなく、彼女自身が男性恐怖症を治したいと望むのなら、俺はその手伝いをするだけだ。
それしか出来ないから尚更だ。
「──分かった。でも辛かったら無理しなくていいからな? 治療矯正はまだまだ初日で始まったばっかなんだし、焦る必要はないんだからさ」
「……ありがとうございます、ツカサ先輩」
無理強いはする必要はないと伝えると、ルシェちゃんはニコリと笑って感謝の言葉を伝えて来た。
だが、いざ実行するとなるとどうしても緊張してしまう。
ルシェちゃんもモジモジと体を揺らしながら俺をチラチラと見てくる。
「えっと、ツカサ先輩」
「ん?」
「その……上と下……どっちがいいですか?」
「──ブフゥウッ!!?」
まさかの質問に、俺は思わず吹き出してしまう。
しまった……アリエルさんからの指示では下着を見せると書いてはあるが、女性の場合は上と下があるんだった。
しかもルシェちゃんの今の質問、俺が選んだ方を見せるってことになる。
上と下……小柄でも出るところは出てるルシェちゃんの下着の上と下……。
いかん、ちょっと思考がまとまらない。
一旦落ち着こう。
「……そういえば聞きそびれたけど、ゆずは止めなくていいのか?」
「っへ? あぁ、その、お二人が健全な目的を持って行うのであれば、私が口を挟まない方がいいと思いますので……」
「そっか……」
自分の気持ちを押し殺して、男性恐怖症の治療を優先してくれるゆずには頭が上がらないな。
……でもなゆず……その手に持っているスマホにメモ帳のアプリが起動しているのはどうしてだ?
俺が上と下のどっちか答えたのを記録して、新しい下着でも買うつもりなのかな?
「あ、あははー、つ、ツカサ先輩はボクの下着なんて興味ないですよね。い、いいんです! やっぱりボクなんて……」
ああああああああ!!
やめてぇ!
そんな悲痛の笑みを浮かべないでぇ!?
チクショウ、これ俺が答えなかったらルシェちゃんが悲しむし、答えたら答えたで俺から下着を見せることを強要する形になるし、八方塞がりじゃねえか!
なんて状況に追い込んでくれてるんだあの人は!!
きっとこの状況を企てたであろうアリエルさんは、今頃ニヤニヤと女神みたいな悪魔の笑みを浮かべているんだろうなぁ……。
絶対に次にあったら仕返しをしよう決断し、ルシェちゃんの問いに対しても腹を括ることにする。
「……上で頼む」
「う、上、ですか?」
俺がそう答えた途端、ルシェちゃんはより顔を赤くして制服の胸元をギュッと握る。
うん、当然の反応だな。
「ふむふむ……(シャシャッ)」
ゆずさんフリック入力早いなぁ……って違う違う。
ルシェちゃんに上を選んだ理由を教えないと。
「あくまで主観だけど下と比べたらまだマシだろうし、ここ、中庭だから人目があるし……上なら、シャツのボタンを外すだけで済むだろうって思ってな……」
どうしてだろう、言ってて自分が最低なことをしている気分になる。
常に良心に罪悪感の釘が突き刺さっている感覚だ。
なんでこんなことになったんだろう……。
「そ、そう、ですね……上なら、まだ大丈夫、かも……」
「ごめん、本当にごめん……」
「い、いえ……」
「人目でしたら、私が魔導結界を発動させて隠蔽しますので、お二人が懸念していることにはなりませんよ」
おい、何故退路を塞ぐ。
いいの、ゆずさん?
あなたの好きな男が知り合いとはいえ、自分以外の女の子のブラを見ることになるんだよ?
そんなツッコミも空しく、ついにルシェちゃんが俺にブラを見せることになった。
字面と状況がかなりヒドイけど、これは男性恐怖症を治すために必要なことなんだ。
決してそういう意図で見せてもらうわけじゃない。
本当のことを言っているのに言い訳にしか聞こえないけど、とにかく本当だ。
俺がそう誰にでもなく反論している内に、ルシェちゃんは顔を真っ赤にしてプルプルと震えながら制服のシャツのボタンを一つ取る。
すると、小柄な体に似つかわしくない程よく育った胸の谷間が一部露わになった。
「──っ!」
咄嗟に顔を逸らす。
アリエルさんという頂点を知っているから大丈夫だろうと、高を括っていた。
皆違って皆いいという言葉の意味を、こんなことで理解したくなかった。
それに俺が見るべきなのはルシェちゃんのブラであって、谷間じゃな──そうじゃない!!
もうやだ……何言っても俺が変態扱いされるやつだよこれぇ……。
「あ、あの、ボタンをもう一個外しますね……」
「あ、あぁ……」
ルシェちゃんもルシェちゃんでどうしてわざわざ報告するんだよ……。
情欲煽るようなことはしないでほしい……今も研磨機に掛けられたみたいに理性がガリガリ削られてるんだから……。
「と、取れました……どうぞ……」
「っ、分かった……」
ルシェちゃんから準備が整ったという合図を受け取り、俺は顔を横に逸らしたまま目線だけ彼女の方に向ける。
──目の前にいる俺にだけ見えるようにシャツが広げられており、そこには雪のように真っ白なレースのブラに包まれた絶景が広がっていた。
形、大きさ、どれをとっても完璧としか言いようのないその光景に、俺はただ茫然と目を奪われていた。
何より素晴らしいのが、恥じらうルシェちゃんの仕草がより、その秘境の存在感を駆り立てていた。
「~~っ、あ、あの、ツカサ先輩?」
「──綺麗だ」
「ふえぇっ!?」
ルシェちゃんの問い掛けに一切の誇張なく返すと、彼女は顔を驚きの声を上げた。
本当に綺麗だ。
手を伸ばして触れたいと思うと同時に、触れてはいけないとも思ってしまう。
「ルシェアさん、どうですか?」
「え、あぅ、えと、は、恥ずかしいぃ……」
「そうではなく、恐怖症の発作の方を尋ねたのですが……」
「あ、そっち……もう心臓が破裂しそうなくらい恥ずかしいですけど、発作の方は大丈夫、です……」
トマトのように顔が赤いルシェちゃんに、ゆずが発作の有無を尋ねるが、どうやらこれも大丈夫のようだ。
「分かりました。ではシャツのボタンを留めて下さい」
「え、触った場合は確かめなくても──」
ゆずの終了の合図に対し、俺はそこまで言って青ざめた。
最早撤回するのも手遅れのようで、ゆずはジト目を向け、ルシェちゃんは今にも沸騰しそうな程に顔を赤らめながら、体を隠すように両腕で覆った。
「……すみませんでした……」
両手で顔を覆って頭を垂れて、謝罪の言葉を口に出す。
いや、自分で自分の首を絞めるとか本当に何をやってんだ……。
場の空気に流されて漏らした失言に自虐していると、肩をちょんちょんと突かれて、顔を向けるとゆずが顔を赤くしながら顔を耳へ近付けて来て……。
「……わ、私の胸で良ければ、ちょっとだけでも──」
「ホントごめんなさいゆずさん、お願いだから掘り返さないで……」
ゆずからすれば精一杯のアプローチだろうけど、残念ながら今の俺にそれを受け止める余裕はない。
その後気まずい空気になりながらも『抱き着いた時に密着したんだから、結局触る必要もない』と結論付け、昼休みを終えたのだった。
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