第五章 歌姫が口ずさむ夢想曲(トロイメライ)
139.5話 5章プロローグ 罪を聞き届ける聖女
「聖女様、私の罪を告白します……」
男はそう切り出した。
そこは木材で囲まれた狭い空間であり、男が少々小太りなのを差し置いてもやはり窮屈さを覚えてしまう。
教会の一画に設けられた罪を告白する場所である懺悔室で、中にある丸椅子に腰をかけ、視線の先にある網目へと自らの罪を告白する。
「私には、今月で18になる娘がいます。あの子が生まれて間もなく妻が亡くなり、私は男手一つで育てて来ました」
ぽつり、ぽつりと男は罪へ至る過程を語る。
その表情は酷く罪悪感に苛まれたのか暗く沈んでおり、声音も釣られるように低くくぐもったものであった。
「年々、成長する娘を見て、亡くなった妻の面影が色濃く映るようになりました。あの子の髪の色、目の色、目元、鼻筋、果ては匂いまで……まるで妻の生き写しのように見えてしまうんです」
それほどまでに男は妻を愛していたのだろう。
だがその目は愛する人に焦がれるそれとは程遠い、自らへの失望を隠せない淀みを孕んでいた。
「去年あたりから、つい娘を妻の名で呼んでしまうことが多くなりました……最初はただのうっかりだと思いました……ですが日を追うごとに呼び間違える回数が増えていくばかりでした」
最初は仕方ないと思っていた娘も、回数が重なると怪訝な反応を見せるようになってきたという。
やがて罪を告白する声音は震え出す。
男が抱える罪とは、それほどにまで悍ましいものなのか、それでも男は唇を震わせながらも告白を続ける。
「そして……夢を見たんです。死んだはずの妻が優しく語りかけてくれる幸せな夢でした。君が愛おしい、どうして君が死ななければならないんだ、私は夢の中の彼女の膝の上でそう嘆きました」
それだけであれば男はこうして懺悔にくることはなかったはずだった。
ならば、何故自らの罪を告白するのか、その理由は……。
「ひたすら泣き続けた私を受け入れるように、妻は両手を広げて抱擁してくれました。ですが妻を抱き締めた瞬間、目が覚めて――、
私が抱き締めていたのは妻ではなく、娘でした」
これこそが男の罪だった。
妻を愛するあまり、妻の面影を見せる娘を妻だと誤認して、娘の尊厳を無視したのだった。
「私はあの子を傷付けてしまった……あの子は妻ではない、そう理解していたはずなのに、私は、私は……!」
男は自分が抑えられず、服の胸元がしわくちゃになるほど強い力で握り締めた。
今回は抱き締めるだけで済んだが、このままでは血の繋がった娘に不貞行為を働くかもしれないと男は考え、教会の懺悔室で罪を告白することにしたのだ。
そんな男の罪を聴いていた傍聴者は静かに口を開いた。
「貴方の罪は、良く解りましたわ」
「!」
網目の向こうから聞こえた女性の声は、障害物越しだろうと男が思わず耳を傾けるほどに麗美で印象的な声だった。
「奥様を愛し、娘も家族として愛するあまり、貴方は自分を抱え込み過ぎたのですね……」
「……」
「ご心配には及びません……神は貴方の罪を罰することは致しませんわ」
一呼吸置き、仕切りの向こうに座る聖女は続ける。
「で、ではどうすれば……」
「娘とよくお話ししなさい。彼女が何を思い、何を願うのか、他ならない貴方自身が彼女をよく知ることです……そうすれば自ずと奥様と間違えることも無くなるでしょう」
「あ、ああ……」
男の心は感激していた。
自分は今この瞬間に許されたのだと。
「ありがとうございます! 御言葉通り娘とよく話し合ってみます!」
男は壁の向こう側にいる聖女にお礼の言葉の述べ、懺悔室を後にした。
男が教会を出たことを確認した女性も、懺悔室を出て一息をついた。
懺悔室は廊下に沿うように一定間隔に設けられており、内容は聞こえないでも隣からは他の利用者の声が聞こえていた。
「お見事でした、聖女様」
懺悔室を出た女性に労いの言葉を掛ける別の女性が、聖女と呼ばれた女性にかしづいた。
「ありがとう、この後の予定は?」
「支部長がお呼びです。恐らく例の件に関係する事かと……」
「分かりましたわ。着替えてからそちらへ向かうと先方に伝えて下さい」
「かしこまりました」
その会話はとても同姓の友人同士が交わすものではなく、明確な主従関係が垣間見える内容だった。
命令を受けた女性が場を後にし、一人廊下に佇む聖女はステンドグラスから差す光を眺めながら頬を緩ませる。
「最後に出会ったのは一年前でしたわね……時が経つのは随分と早いものです……」
聖女は過去に出会ったある少女を浮かべる。
人形のように心を映さない表情と、何にも期待の念を抱かない冷ややかで無関心を貫く氷のような瞳、馴れ合いを無意味と断ずる振る舞いなど、少女の態度が気に食わない周囲は模擬戦で思い知らせてやろうとするも、結果は当時合同訓練に参加していた三十人余りの魔導士がたった一人の少女の圧倒的な実力にねじ伏せられた。
回想する聖女も含めて。
それほどまでに強大な力を秘める少女が、何やら変貌とも言える変化を遂げているという。
人形のようだった表情は年相応の少女と変わらず、瞳は幸福に満ちたようにキラキラと輝きを見せ、多くの友人に囲まれている。
最初に聞いた時は別人か冗談だと言われた方が納得出来る程、
そうであれば、再会を待ち望みたくなるだろうと聖女は想い馳せる。
「楽しみですわね……ナミキ・ユズ様」
ぽつりと、聖女は少女の名を呟くもそれを聞く者はアリ一匹すら誰一人としていなかった。
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