27話 傲る友人と無力な少年


 ――鈴花に慢心が見え出した。


 これまでの侵攻で否応なしに経験を積んだ鈴花は目に見えて調子に乗り出したのだ。

 工藤さんから聞いたあいつの言葉……。


『大丈夫ですって、あれくらいの唖喰なんてアタシの敵じゃありませんから!』

『だってアタシみたいな新人に傷一つ付けられないようじゃ話にもなりませんって!』


 あいつの図太さがマイナスの方向に出だしたのだ。


 そう思うのなら俺が指摘すればいいのだが、戦えない俺が戦闘に口を挟んでも聞く耳を持たないだろうことは、容易に想像できた。


 自宅に戻って荷物を置いた俺は、ゆずに現状の確認を取るためにオリアム・マギ日本支部に訪れていた。


 ゆずと鈴花が一緒なのかもわからないけど、俺はまず食堂に行ってみることにした。

 時刻は午後五時……この時間ならゆず達の訓練もひと段落した後、食堂でお茶を飲むのでまずは向かった。


 食堂に入ってすぐにゆずの姿を見つけた。

 鈴花は一緒じゃないみたいだ。


「ゆず、こんばんわ」

「あ、司君……こんばんわ。今日はどうしたのですか?」

 

 礼儀正しく挨拶をしてきた。

 放課後に別れてからまだ二時間も経っていないのに律義なもんだと思いつつ、俺はゆずの向かいの椅子に座って、早速本題に入ることにした。


「工藤さんから鈴花のことを聞いたんだ。……なぁゆず」

「はい」

「鈴花は今、唖喰との戦闘で慢心しているってことでいいんだよな?」

「……はい」


 無表情でも分かるくらい声を落としている……気落ちしているな……。

 

「俺に鈴花のことで悩んでほしくないって気遣いは嬉しいけど、俺としては一人で抱え込まないで一言でも相談してくれた方が嬉しかったんだけどな」

「も、申し訳ありません……」

「責めているわけじゃないから大丈夫だって」


 ゆずはそう謝罪するが、ゆずなりに俺のことを考えての行動をした結果だ。

 それで俺がゆずを責めるのは間違っている。

 どちらかというといつまでも鈴花のことで悩んでいた俺のせいだ。


「それで、鈴花が慢心していることにゆずは何かしら指摘したのか?」

「はい、気付いたその日に橘さんにお話ししたのですが……」


 大方なんだかんだ言い繕って避けられたか……。

 その時の二人の会話はこんな感じだったらしい。


『橘さん、最近慢心が過ぎるのではないのでしょうか?』

『はぁ……並木さん、心配してくれるのは嬉しいけど、いくらアタシの教導係っていってもいつまでも先輩に頼りっぱなしっていうのも違うじゃん。言われなくても気を付けるって』

『気を付けるだけではありません。最近の訓練にも少し集中力の欠如が見受けられます。このまま生半可な意思で戦っていると最悪の場合死の危険が……』

『集中力が無いのは寝不足が原因だし、別に戦いを舐めてるわけじゃないって……」

『体調管理は魔導士にとっても大事な義務です。日々の鍛錬と体調管理はどちらか一つでもおろそかにしてしまうと、戦闘に支障が……』

『~~もう分かってるってば! アタシ、日直の仕事あるから、じゃ』

『あ、橘さん、まだ話が……』


 と言った感じに、言葉をオブラートに包まずに直撃させたゆずの物言いは鈴花が反抗期のような反発を起こしただけだった。


「当然のことを言っただけなのですが……」


 一通り話し終えたゆずはそう言ってちょっと落ち込んでいた。

 

「教育熱心な親が百点取れなかった子供に叱る言い方みたいになってたから、今度からはもっと優しい言い方を覚えようか」

「はい、司君に迷惑を掛けてすみません」

「だから謝る必要はないって。そういうとこも俺がゆずに教えるべきことだったし、お互い様ってことで」

「……はい、ありがとうございます」


 ゆずは相手の心情を指摘することは出来ても、自分の言葉で相手がどう感じるかを考える部分はまだまだだな。


 ただ事実を突きつけるだけの言い方はお説教と変わらないから、そこらへんは俺次第だろう。


「初咲さんも鈴花の慢心について知っているのか?」

「はい。指導する新人に慢心からの油断が見られたら必ず報告するようにと、教導係の役目にありますので」


 上司にホウレンソウは大事だもんな。

 別に俺より先に初咲さんに相談したことにショックなんて受けてない。

 ないったらない。


「それで初咲さんはなんて?」

「ええっと……『荒療治になるけど、伸びた天狗の鼻はへし折るしかないわ。ゆずが訓練でぼろ雑巾になるまで打ち負かせれば早いのだけれど、鈴花は対人戦で負けても唖喰に勝てればいいって思考になってしまっているから効果がないでしょうね……』……と仰っていました」

「対人戦じゃ効果がないってことは……唖喰に瀕死寸前まで追い込まれるしかないってことか?」

「……はい」 


 それはあんまりだろう。

 

 鈴花の慢心の元はあいつに魔導の才能があるが故だ。

 前から調子に乗りやすいところはあったが、よりによって命が掛かっている戦いで調子に乗るなんて思っても見なかった。


 さすがにそのあたりは弁えているだろうと俺も油断していたのかもな。


 ともかくそんな才能のある鈴花は唖喰との戦闘で未だ目立った外傷を負ったことはない。

 それはゆずが鈴花を唖喰の攻撃から守っていった結果なのに、当の本人は自分の才能の結果だと勘違いしている。


 そんな天狗になっている鈴花の慢心を正すには、唖喰との戦闘で敢えて重傷を負わせるしかないと初咲さんは言ったのだ。


 うまくいけば鈴花の慢心を消すことが出来るが、失敗すれば鈴花の死をというたった一つの結末しかない。


 そんなハイリスクハイリターンな賭け……うまくいく保証がない。

 

「もちろん、そんな状況を私達が作り出すといった非道な行為はしません」

「分かってる」


 もし簡単にそんな状況を作りだそうとするなら、ゆずは教導係だからといって一人でどうにかしようとはしていない。


 とはいえこのままだとその事態を避けるも難しくなる。

 鈴花が慢心を抱き続けていればこちらから働きかけるまでもなく、いつ鈴花の慢心から自分の命の危機的状況を作りだしてしまってもおかしくないためだ。

 そうなる前に手を打ちたいがまるで案が出ない。


「……とにかく、俺の方からも鈴花に慢心するなって伝えておくしかないか」

「工藤さんは橘さんと付き合いの長い司君の言うことならと思っているようですが……」

「買いかぶり過ぎだよ、実際俺が言って聞くような性格だったら今頃魔導少女として戦ってないって」

「それでも、司君がどれだけ橘さんのことを心配していたのか、私にも伝わったほどですから、きっと橘さんにも伝わるはずです」

「……だといいけどな」


 ゆずの淀みない眼差しを受けて俺は思わず視線を逸らした。

 本当に、俺はゆずの優しさに助けられてばかりだな。



 ゆずから事情を聴き終えた俺は、自宅に帰る道すがら鈴花に会えないか連絡を入れた。 

 すると向こうから「いいよー」となんともあっさりとした返事がきた。


「……絶対俺がお前のことで頭を悩ませてることにこれぽっちも気付いてねえだろ」


 ゆずにああ言ってもらえたというのにそれを台無しにする鈴花の楽観ぶりにちょっと愚痴を呟きつつ、俺は自宅への歩みを速めた。


 自宅までの道のり間、俺は魔導少女になると決めていた鈴花の言動を思い返していた。


『あはは、でもよく考えたら魔法が使えるってすごいよね!』

『……なんか思ってたより危険が少ない感じがするね、司』

『それって漫画とかでよくある覚醒的なやつでしょ!? うわ~、唖喰に追い詰められてピンチになったとき、土壇場で固有術式を使って逆転とかカッコ良過ぎでしょ~』

『へっへ~ん、不満タラタラな司と違って並木さんはアタシをしっかり褒めて伸ばしてくれてるもんね~』

『だってアタシみたいな新人に傷一つ付けられないようじゃ話にもなりませんって!』


 今までの言動から見ても鈴花が慢心するのも当然かもしれない。

 実戦を経験したのにアイツはどこか戦うことを舐めている節がある。


 ゆずにも言ったがそんな慢心を唖喰と戦えない俺が指摘して正せるようなら、ゆずが言った時に正せているはずだ。


 鈴花にどうやって慢心を改めさせるか悩んでいる内に隣にある橘家から鈴花が外に出ていた。


「お、司~こっちこっち」

「……おう」


 こっちの心配なんて微塵も気付いていない鈴花の手招きに言いようのない不安を抱えながら俺は手を挙げて応対した。


「で、こんな時間にどうしたの?」

「いや、最近唖喰との戦闘で疲れてるって昼休みの時に話してただろ? だから愚痴くらいは聞けるかもしれないって思ってさ」

「ん~寝不足以外は特にないけど……」

 

 思った通りというべきか鈴花は自分の慢心に気付いていないようだった。

 まずは自覚させるところから始める必要がある。


 ゆずみたいにいきなり慢心を指摘できる度胸は俺には無いから、誘導尋問みたいにじわじわと会話の流れを誘導していくのがいいかもしれない。


「今更だけどよくあんな気持ち悪い怪物と戦えるな」

「いやそれアンタの好きな魔法少女達も同じでしょ?」


 確かにそうだ。

 魔法少女達に限らず怪物と戦う作品のキャラクター達は物語やキャラ付け上皆が皆ってわけじゃないけど、勇敢な人達が多い。


「リアルであんな怪物と遭遇するなんて思ってなかったんだよ。目撃したとかじゃなくて実際に襲われているから尚更な」

「そんな目に遭ったのによく日常指導係なんて引き受けたね」

「乗り掛かった舟だからな。文字通り命削ってやってみるさ」

「実際に命削ってるのはアタシ達なんだけどね~」

「……」


 ぐぅの音も出ねぇ……。

 鈴花のために始めた話でなんで俺は自爆してんだ……。


「と、とにかく! 魔力が操れない俺でも戦う鈴花達の支えになれればって思ったからだよ!」

「唖喰が見えるだけの人に支えられることなんてないと思うけどね~」


 ぐあああああああ!!

 慢心がこっちに飛び火した!

 すっげぇ腹立つ!!


 見ず知らずの新人魔導少女相手だったら間違いなく見限っていた。

 そう思えるくらいイラっとしたが、鈴花に死んでほしくない一心で何とか怒りを抑えて会話を続ける。

 

「何も俺一人で支えられるなんて思い上がる程してないって。鈴花だってゆず達先輩魔導士や魔導少女に支えてもらってるわけだし」

「慢心ねぇ……そういえばこの前並木さんにもアタシが慢心してるって言われたよ」


 お、自爆した介があったか?

 鈴花が自分の口からゆずとの間に起きたことの一端を口に出した。


「ゆずが? どんな風に?」

「集中力が欠けてるとか、唖喰を舐めてるとか……唖喰も思ってたより大したことないし」

「唖喰が大したことないって認識が慢心そのものじゃねえか?」   

「え~、だってアタシ未だ唖喰相手に擦り傷までしか負ったことないし、もし骨折とかしても治癒術式があるし大丈夫だって」


 駄目だ。

 こっちの心配に全く気にかけてないな……。


 唖喰の攻撃というのは骨折が軽く思えるほど脅威だとゆずから受けた唖喰の生態学で知っているはずなのに、鈴花はまるで忘れたかのように警戒している様子はない。


「大丈夫って……実際に重傷を負った時に冷静に治癒術式を発動させられるかどうかは分かんないだろ」

「そうならないように怪我に慣れておけってこと? わざわざ自傷するほどじゃないでしょ」

「だから……!」


 まるで他人事のような鈴花の態度に苛立ちが募っていくのが実感できた。

 俺はただ心配しているだけなのに。


「あの怪我とか無縁そうな柏木さんだって腕の骨折を治せてたし、アタシも骨折なら経験あるしね」

「柏木さんが腕を骨折しても治癒術式を発動させられたのはあの人が一年近く戦って来たからだろ……鈴花はまだ魔導少女になって二週間も経ってないのにあの人と自分を同列だって認識するのにはまだまだ早いって……」


 鈴花が自分と柏木さんに差はないと言い出したことに、俺は苛立ちを誤魔化すように二人の時間の差を突きつけたが……。



「なんで司が柏木さんの骨折した腕が右側って知ってんの?」



 その苛立ちを誤魔化そうと必死で鈴花に指摘されるまで自分の失言に気付かなかった。

 思わず絶句したほどだ。


「た——」

「最近司がアタシに突っかかって来なくなったのに、何で急にアタシの近況を知りたがってたのか気になってたけど……誰かからアタシが慢心してるって言われたからなんでしょ?」

「――!」

「……図星、か」


 たまたまだって言おうとした俺の言葉を遮るように鈴花が俺の現状をほぼ言い当てた。

 そのことに動揺を隠せず、気付いた時には既に鈴花に隠し事があったことを察せられてしまった。


 もう隠すことは出来ないと確信した俺は素直に白状することにした。


「工藤さんが昨日戦いでお前の慢心に気付いて、俺に相談してきたんだ」

「……工藤さんもか」

「言っとくけど嫉妬とかそういうのは関係ない。単純にお前が心配なだけだ」

「……」


 鈴花は余計なお世話とでも言いたげな表情を浮かべた。

 それこそ俺みたいに長年の付き合いがあって初めて分かるぐらいの細やかな変化だが……。


 ああ、そうか。

 鈴花が俺の隠し事に気付いたのは向こうも同じってことか。

 

 ある意味信頼が引き起こしたようなものか。

 

「鈴花には魔導の才能はあるって言ってもそれに奢らずゆず達と一緒に戦っていけばいいだけなんだって。ゆず達に心配かけたって謝ろうぜ」


 鈴花にそう言うと、あからさまにそっぽを向いてこう言う。


「アタシ、謝るようなことした覚えがないけど?」


 いやいや、元はと言えばお前の慢心が原因だろ!

 そう言いそうになる自分の気持ちを必死に抑えて続ける。


「そういうなって、ゆずだってお前を心配して言ったことなんだからさ、ここは子供みたいに拗ねるんじゃなくて、素直に感謝の気持ちを伝えたほうが……」

「……司には関係ないでしょ」


 鈴花は二言は聞かないといった風にそう言い切った。

 ……いい加減苛立ちを抑えるのにも我慢の限界が来た。


 何意固地になってんだよ……皆、お前を心配してくれてるのに、その態度はないだろ。


「関係なくはないだろ、俺はお前の友達として心配して……」

「関係ないでしょ?」 


 だって、と鈴花が続けて言った。




「司は唖喰と戦えないんだから。心配って言っても自分に力がないのにアタシが戦える力を持ってるから羨ましくて悔しいだけなんでしょ?」




 その場で絶対に言うべきではない言葉を言い放った。

 


「……今、なんて言った?」



 鈴花の言葉に自分でも驚くくらい冷え切った声が出た。

 その声は冷えているはずなのに籠められんばかりの怒りを含んでいた。


「俺が、羨ましいとか、悔しいとか、そんなくだらない理由で魔導に関わろうとしてるって思っているのか?」


 仕方ないだろ……俺は魔力を持っていても、それを操る力がないんだから……。

 でも、羨ましいと思ったことも悔しいなんて思ったことも一度だってない。

 

「俺は唖喰と戦う力が無いなら、ゆず達の支えになれればって思ってこうしているんだ! 鈴花みたいに魔法が使えるなんて子供染みた理由じゃねえんだよ!!」

「子供染みたって何よ! アタシだってそんな理由で唖喰と戦ってない!」

「じゃあ慢心なんてしてる場合じゃないだろ!」

「してないって言ってんでしょ!? 唖喰と戦えないくせにアタシのことに口出ししないでよ!」

「死んだら元も子もないから言ってんだろうが!!」


 俺の言い分と鈴花の言い分がぶつかり合う……最早売り言葉に買い言葉だ。

 こうなってしまえば鈴花を諭すように慢心を自覚させることはもう無理だ。


 鈴花と口喧嘩をするのは何度もあった。

 その時はお互い折り合いをつけたりして仲直りをしたが、今回ばかりは鈴花の命が掛かっている。

 俺は絶対に引く気はない。


 それは鈴花の方も同じようで俺から目を逸らそうとせずに真っ向から向かい合う形になった。


「大体友達が死ぬ危険が伴う戦いをしてて心配しないわけないだろ! 少しはこっちの気持ちも解れよ!」

「アタシは心配してほしいなんて言ってない! 司が勝手にしたことなのに恩着せがましく言わないでよ!」

「友達の心配をして何が悪いんだよ、当たり前のことを偽善みたいに言うんじゃねえよ!」

「それが恩着せがましいって言ってんのが解んないの!? アタシだってちゃんと自分なりに考えてるし余計なお世話だっての!」

「その結果慢心してるから結局俺に心配を掛けることになってるだろ!」

「慢心なんてしてない!」

「慢心しているだろ!」


 一通りの口論の末、互いに荒くなった呼吸を整えるため、しばらく無言が続いた。

 それでも互いに一歩も引く気配はなく、俺は鈴花の、鈴花は俺の顔から視線を逸らすことなく向かい合うままだ。

 

「慢心してるって言えば司もでしょ!?」

「はぁ!? 俺が!?」

「だって前にキャンプ場で並木さんが唖喰と戦うところを見たって聞いたけど、その時も足手まといになるのが分かってたんでしょ? 意識改革かなんだか知らないけど、ラノベの主人公みたいにヒロインのピンチに覚醒するのを期待してたとしたら、ずいぶんめでたい頭してん……」


 嘲笑する表情を浮かべた鈴花が言い切る前に俺の手が出る方が早かった。

 握りこぶしじゃなくて平手打ちだったのは男としての理性が成したことだが、手を挙げた事実は変わらない。


 鈴花は俺に平手打ちで頬を叩かれたことに驚きを隠せない表情で呆けていたが、すぐに状況を理解して俺を睨んできた。


 手をあげてしまったことに罪悪感を感じている。

 でも鈴花の言葉はそう簡単に流していいものじゃない。


「ラノベの主人公みたいに覚醒? ハッ、めでたい頭をしてんのはお前のほうだろ? たかだか一週間戦って来たくらいでもうベテラン気取りかよ? お前が一人で突っ走ってる最中にゆずがどんだけフォローしてたか知ってるか? 全部自分の実力だって勘違いしてるやつのほうがよっぽどだろ!?」

「っ勘違いってなによ!? 実際に戦って倒せてるんだからいいじゃん! 襲われただけの司とは違うんだからほっといてよ!」


 叩かれた頬を抑えながら鈴花は俺にそう反論する。


「……襲われただけならここまで言わねえよ」

「……何が言いたいの?」

「戦う力の無い俺が初めて唖喰に襲われた時、どれだけ逃げても何をやっても意味がなくて、ゆずに助けられてなかったらこうして鈴花と話すことも出来なかった! キャンプ場じゃ傷ついていくゆずを見ていることしか出来なくて、自分の無力感にどれだけ押しつぶされそうになったか知らないくせに! 唖喰に襲われた時も傷つくゆずの姿も……今でも夢に出るんだぞ!? それでどうして唖喰相手に慢心なんて出来るんだよ!!?」


 唖喰に襲われた時、ゆずの助けもなく唖喰に食い殺されたり、キャンプ場の時、ゆずの必至の抵抗も虚しく食い殺されたりする……そんな悪夢だ。特に死の間際に俺を見るゆずの目を思い出すと震えが止まらない。


 ――なんで助けてくれなかった。


 そんな恨みつらみが籠った目を向けられて夢から覚める。

 俺に唖喰と戦う力があればなんて何度も思った。


 それは羨ましいとか悔しいとかじゃなく、唖喰に襲われてから心の中でちらつく死の恐怖から来る渇望だ。


 自分が死んだら、ゆずが死んだら、鈴花が死んだら、顔見知りの誰かが死んだら……あの日からそんな考えがどうしても離れない。


「……俺は、唖喰が怖くて仕方ない……怖いからこそ、アイツらの脅威はしっかりと理解出来る」


 だから鈴花の慢心がどれだけ危険なことなのかもわかる。

 そう思って伝えた言葉に反応することなく、鈴花は俺に背を向けた。


「……司がどう思うがアタシには関係ないから」


 鈴花はそう言って自宅に戻って行った。


 その後ろ姿を見やったあと、先の口喧嘩を思い返し、やっと自分が口走ったことを理解した。


「はぁ、一番意固地なのは俺じゃねえか……」

 

 このザマじゃ支えになるなんて夢のまた夢だ。


 やるせない気持ちを引きずるように俺も自分の家へと入った。

 

「お帰り~」

「ただいま」


 家では仕事を早めに終えた母さんが夕食を作っていた。

 匂いから今日の夕食は豚肉の生姜焼きなんだな、なんて暢気な考えが頭を過ったが、すぐに鈴花との確執に塗りつぶされた。


「鈴花ちゃんとなんか喧嘩してたみたいだけど、どうしたの?」

「……いつものことだよ、何でもない」


 喧嘩の内容は聞かれていないようで内心ほっとした。

 何せ二人して住宅街であることを忘れて唖喰の名前を連呼してたからだ。

 母さんに適当に誤魔化しつつ、夕食の手伝いをしてから食べた。


 その後風呂から上がって自分の部屋に入り、鈴花を説得するどころか喧嘩をしたことをゆずに電話で伝えた。


「――ってなわけで、ゆずの信頼を裏切る結果になっちまった、悪い」

『……いえ、出来ることをしてくれたのですから司君が謝る必要はありません』

「とはいえ鈴花の慢心を払拭することは出来なかったし、俺と喧嘩したせいで意地になっているだろうから、ゆずも嫌かもしれないけど次の戦闘じゃまた気にかけてくれるとありがたい」


 鈴花のことだ。

 俺に目に物を見せてやろうと躍起になるのは容易に想像できる。


 ただでさえ慢心をしているのに、そこに意地が加わったらどんな結果をもたらすのか……。

 最悪の結果にならないようゆずにそう伝えた。


『私は橘さんの教導係です、嫌なことなんてありません』

「……そっか、サンキュ」

『その、私の方から司君に一つ尋ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?』

「ん? なんだ?」


 ゆずから質問……。

 なんのことだろうかと意識を向ける。


『橘さんは司君がそこまで気に掛けるほどの人なのですか?』

「え?」

『私は司君から友達という関係を教わっている最中ですし、失礼を承知で言いますが正直あなたがそこまで彼女を気に掛けるような人には思えません』

「えっと、要は俺がゆずに関わろうとし続けた理由みたいなのが鈴花にもあるのかってことか?」

『はい、概ねその通りです』


 ゆずの質問を頭の中で反芻はんすうする。

 俺が鈴花を気に掛ける理由……。


「なんて言うんだろうな……ただの友達じゃなくて、かと言って親友とも違う……そうだな、友達以上恋人未満っていうか、恋愛感情もないし、もう腐れ縁って言ってもいいかもしれないくらいだな……とにかくそう簡単に見捨てられるような関係じゃないからな、ってこれじゃ答えにならないよな」


 本当に言葉にできないな。

 小学生からの縁って言うなら幼馴染って言うのが正しいんだろうけど、俺も鈴花も互いをそう思ったことはないから違うと思う。


 こんな曖昧な答えともいえないような答えでゆずに申し訳ないと思ったが……。


『――いえ、お二人が言葉では説明できない関係だということは理解しました』


 ゆずにも伝わったようだった。

 でも説明できない関係っていうなら……。


「説明が出来ないっていう点なら俺とゆずも似たようなものだけどな」

『? 司君は私の日常指導係ですよ?』

「いや、そうだけど他人においそれと話せることじゃないって意味で……」


 そんな風に会話をしていると、鈴花に対する怒りもおさまってきた。

 

 そろそろ電話を切ろうとゆずに伝えようとしたその時。 


 ——ピーッ! ピーッ! ブツッ!


 スマホから警報が聞こえたと思った瞬間電話が切れた。

 

「え、な、ゆず?」


 ゆずに何かあったのかと思い、そう呼びかけるが通話が切れた状態で向こうに聞こえるはずもなく、このままゆずから連絡が来るまで待つか、オリアム・マギ日本支部に向かうか迷っていると、俺のスマホが鳴り出した。


「は、はい竜胆です!」

『司君、通話中にすみませんでした。唖喰が出現したのでその警報機能で通話が切れてしまいました』

「いや、無事ならいいや……ってこれから戦いに行くのに無事で済むかどうかもわからないよな」

『……橘さんの方にも同様の連絡があるはずなので、既にポータルの出現場所に向かっているかもしれません。私もすぐに向かいます』

「ああ、分かった……ああ、待ってくれゆず!」

『はい、なんでしょうか?』


 唖喰が出現した場所へ向かおうとするゆずを呼び止める。

 どうしても言っておきたいことがあったからだ。


「鈴花のこと……頼む」


 自分ではできないことをゆずに委ねた。


「あいつは、いつも迷惑ばっかかけるけど、だからって死んでいいような人じゃないんだ」


 俺の言葉を聞いた魔導少女は……。


「はい、私が絶対に守ります」


 そう言って笑いかけてくれたような気がした。

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