第10話 八犬士、矜持を取り戻し意気軒昂と装束を選ぶの巻

 江崎 常雄が運転するおんぼろの軽のライトバンは里美と七人の犬士を乗せ、富津の郊外の国道沿いにあるショッピングモールに向かっていた。ライトバンのすぐ後ろを、つい先日原付の免許を取ってスクーターを買った塚崎 朋也が追走してきている。


 里美にはアイデアがあった。

 部屋着のようなスウェット以外の服を持っていない犬士達のことだから、まず間違いなく、彼らのファッションセンスは期待できないだろう。

 だから、彼らに服を選ばせるにしても、完全に自由にやらせてはいけない。店を決めて、「この店にある服の中から、好きなものを自由に選んだらいい」とするのだ。

 そうすれば、彼らが多少変な服を選んだとしても最低限の歯止めは効かせられる。


 店も決まっていた。無印良品だ。

 何しろ、スウェット以外の服を買う事ですら金の無駄だと言うような連中である。ちょっと良さげなセレクトショップなどに連れていったら、値札を見ただけで帰ると言い出すだろう。その点、無印であれば値段はそれほど高くはないし、何よりも、柄物をほとんど売っていないという点が里美にとってはうってつけだった。


「柄物は、素人がうかつに手を出すと、痛い目を見るからね……」


 ファッションに興味がない人間ほど、たまに気合を入れて服を選ぶと、カッコいい服を選ぼうという気持ちがつい空回りして、鮮やかな色や目を引く派手な柄のついた服を選んでしまいがちである。

 でも実際、柄物は他の服とのバランスを取るのが非常に難しく、トータルコーディネートを考えられる高度なファッション知識と経験を持っていないと、すぐにダサい感じになってしまう。

 その点、無印には柄物がほとんどないし、色は青系かベージュ系と、白、黒、グレーくらいしか無いので、ファッションのど素人で服に金をかけたがらない彼らでも、きっとそれなりの格好にはなるはずだ。それが里美の狙いだった。


「でもさ、いきなり服買えって言われてもさ、何買えばいいのか分からないよな」

駐車場から店内に向かう途中、田崎 満がそう言ったので、里美は絶好のチャンスとばかりに八人に提案した。

「きっとそう言うと思った。初心者はね、最初はまず無印良品で上下全部揃えておけばほとんど失敗しないから、それをお薦めするわ。下手に凝ったのを選ぼうとすると、逆にカッコ悪くなるんだから。最初は無印で全部選んでね」

 そう言って里美は列の先頭に立ち、無印の売り場の方に強引に八犬士を誘導していった。


 しかし、ここで里美は痛恨のミスをしてしまう。彼女は無印の店舗のすぐそばにある入り口から店内に入らず、うっかり駐車場から一番近くの入り口から入り、モールの中を通って無印の売り場を目指してしまったのだった。


 モールの広い通路の両脇には、カジュアル衣料の店が並んでいる。店内に入った瞬間、それまでは比較的素直に里美の後をついて歩いていた八犬士達が、羊の群れのように急に落ち着きをなくし、自分勝手に列から外れては、目に付いた店頭の製品を物色し始めた。


「ちょっと!勝手に動かないでよ!まず行くのはこっちよ!」

と里美が牧羊犬のように走り回っては、群れを外れた犬士達の尻を叩いて必死に集団に戻そうとしたが、一人を回収したら別の一人がフラフラと群れを離れるといった感じで、一向にらちが開かない。とうとう集団は完全に前進をやめ、そして空中分解してしまった。


「すっげー!コレ最高じゃん!カッケー!」

川崎 瑠偉が、胸にデカデカと赤いバラと虎の図柄が刺繍された黒いトレーナーを広げて目を輝かせている。大阪のおばちゃんか!と里美は戦慄した。


 悪いことは言わないからやめておけ、ものすごいダサいぞそれ、と里美が声を掛けようと川崎のいる方に向かったら、隣の店で塚崎 朋也が、膝に過剰なまでのダメージ加工がされた、どぎつい真紅のパンツを試そうとしているのが目に入った。


 うわぁ、上級者向け過ぎて素人が一番手を出しちゃいけないタイプのパンツに、ダルダルの毛玉だらけのスウェット着てる奴がいきなり挑戦かよ⁉と里美が呆れていると、そこに田崎 満が、「これどうかな?そんな悪くないと思うんだけど」と満面の笑みを浮かべながら、胸元に八十年代風のフォントで「I`m Fashionable」と蛍光ピンク色でプリントされたトレーナーを嬉しそうに見せてくる。


 少し離れた店では、村崎 義一郎と江崎 常雄が、右胸にラルフローレンのパクリみたいな馬のマークがデカデカと刺繍された安っぽい赤の襟付きシャツを前に議論しているし、坂崎 聡はゴスロリ系ショップの前に立ったまま、腕を組んでじっと考え事をしている。


「地獄絵図ね……予想以上だったわ……」

里美にはもう、この秩序を失った集団を止めることはできない。


 里美にとって意外だったのは、それまでは服なんか一切興味がなく、毛玉だらけのグレーのスウェットで何の問題も感じていなかった犬士たちが、喜々として自分から新しい服を選んでいるということだ。

 犬士たちは、てっきり店に着くまで「面倒くさい」だの「かったるい」だの言って嫌々連れてこられて、里美が提案する服を「じゃぁそれでいい」と黙って着てくれるのではないかと里美は予想していた。

 だから、こんなにも犬士たちが服選びに積極的になってくれているのは、里美にとって若干うれしい誤算ではある。まぁ、逆に厄介なことになったなというウンザリした気持ちの方が大部分ではあったが。


「カッコいいって私に言われたのが、そんなに自信につながったのかしら……」

 以前、皆崎 定春がボソッと言っていたことを里美は忘れられない。


 ――俺は今まで大して仲のいい友達もいなくて、高校を中退してからは親にも冷たい目で見られるようになって、たまらず家を出て一人で暮らすようになって。

 一体自分って何のために生まれてきたのかなぁ、なんてことがふと頭に浮かんできて、みじめで泣きたくなる日が結構あったんだ。

 でも、ある日偶然に「さ」の水晶玉を拾って、確かに最初はバカ犬の声には苦められたけどさ、その玉のおかげで、なんか似たようなパッとしない人生を歩んできた奴らと出会えて、里美っていう女の子を探さなきゃいけないらしいぞ、って事になって。

 それでみんなでワイワイ相談しながらお前を探している間、実は俺、すげえ楽しかったんだよ。

 こんなパッとしない俺でも生きていていいんだって、アイツらと一緒にいると素直にそう思えるんだわ。それに、自分が実は伝説の勇者だなんて、いまだに全然そんな実感は無いけど、それってなんかスゲーじゃん。自信が出るっていうか。

 俺、今まで勉強やっても運動やっても、お前はダメだ、クズだ、バカだって周りからさんざん言われ続けててさ。女にも全然モテなくて、俺の人生、何をやっても無駄だって正直思ってた。でも自分が伝説の勇者なら、ちょっとは頑張らなきゃいかんなって、勝手にそんな気持ちが生まれてくるんだ。すげえことだよコレ。

 たぶん、お前には分かんないかもしれないけどよ、俺にとっちゃ、そんな気持ちが湧き上がってくること自体、本当にすごいことなんだ――


「あいつら、楽しそうね……」


 里美は、ああでもないこうでもないと遠くの方で熱心に服を選んでいる八人のスウェット姿の冴えない男たちをぼんやりと眺めながら、今はまぁこれで良かったのかな、本当は無印を着てほしかったけど、それはもう少し先、彼らのファッションに関する経験値が上がった頃にまたトライすればいいか、なんてことを思って、フフフと笑った――


――そして、やっぱダメだわコイツら、とすぐに考え直した。


 会計を終えて再集結した八人の犬士たちは、「おれのかんがえるさいきょうのカードデッキ」を見せ合いっこする小学生男子のような興奮したテンションで、自分たちが苦心して編み出したコーディネートを見せびらかしてはギャハハと盛り上がっている。


 川崎 瑠偉が選んだのは、先ほど熱心にずっと眺めていた、赤いバラと虎の図柄が刺繍された黒いトレーナーに、チェス盤みたいな大きな白と黒の市松模様が施されたド派手なズボン。里美は「マジシャンか!」と思わず脳内でツッコミを入れた。

 その横で、田崎満がさっき買ったばかりのトレーナーのタグを切って、早速もう着替えていた。胸にでかでかと蛍光ピンク色に描かれた「I`m Fashionable」の文字は、サイズ感を間違えて小さめのものを買ってしまったせいで、田崎のでっぷり太った体に引き伸ばされて若干平べったく横長になっている。

 崎山貴一が選んだのは、最近のラーメン屋の看板でよく見かけるような力強い毛筆の書体で「愛ゆえに」という意味不明なメッセージが描かれたトレーナーだ。

 皆崎定春が自信満々に取り出したのは、なぜか唐突にテニスラケットとボールの絵が編み込まれている、謎すぎる意味不明な図柄のセーター。


 それ以外のメンバーも推して知るべしで、一体どこをどうすればここまで酷い服を見つけられるのか、と里美が逆に感心するほど、無駄に派手で不必要な装飾のついた、ちぐはぐなコーディネートの服を全員がきれいに揃えてきた。そして彼らは、これで自分は以前よりカッコ良くなったと信じて疑っていない。


「スウェットの方がむしろマシだったかしら……」

里美は八犬士たちの新たな扉を無駄に開いてしまったことを若干後悔したのだった。

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