第5話 八犬士と剣崎家、互いに名乗りその由緒を知るの巻

 八犬士たちが、これ以上ないドヤ顔しながらドヤドヤと剣崎家に入ってきた。むさ苦しいこの若者たちが狭いリビングに入ってくると、すぐに部屋中がムッとするような男臭さでいっぱいになった。


「どーも。お疲れさまでした」

 昨日お父さんに憎まれ口を言い残した、眉毛が無駄に力強い短気そうな男が、開口一番、皮肉たっぷりの口調でニヤニヤとそう言った。お父さんは忌々しそうに「ああ」とだけ小声で答えた。


 男が「どうでしたか昨晩は?」などと嫌味な質問をしてきたので、お父さんは答えずに「それでこれから、どうするんだ?」と男を睨みつけながら低い声で言った。男は半笑いの顔をして、ぶっきらぼうな口調で答えた。


「昨日も言ったけどさ、家に泊めてもらうのは二人だけでいいんだ。余ってる布団かベッドがありゃベストだけど、無ければ部屋さえ貸してくれればそこに寝袋を持ち込んで寝る。

 あとの六人は、ライトバンに二人寝て、持ってきたテントで四人が暮らすから、裏の畑の端っこの空いた場所を貸してくれれば、あとは何とかする。昨日も言ったけど、別にそこまで迷惑な話ではないだろ?」


 お父さんもお母さんも、寝不足の重い目をとろんとさせながら、無言でうなずいた。

「二階の六畳の和室がほとんど使われてなくて物置になってるから、そこでいいか?

お母さん、確か客用の布団が二つあったろう」

「ええ。これから和室の物をどこか他にどけて掃除して、夜までには布団も出しておくわ」


 その言葉を聞くや否や、八人の男たちは「よっしゃあ」と口々に喜びの声を上げて、「よーしそれじゃ早速テント広げようぜ」「なあ泊まる場所の順番どうする?やっぱジャンケン?」などと言いながらドヤドヤと外に出ていこうとしたが、それを慌ててお母さんが引きとめた。


「ちょっと待って。そんな、用が済んだらすぐ外でテントの準備とかさ。一応これから一緒に暮らすんだから、せめて自己紹介くらいしましょうよ。だいたい私たち、あなた達の名前も知らないし、あなた達だって私たちの名前知らないでしょう」

 男たちは面倒臭そうにダラダラと部屋の中に戻った。そしてぶっきらぼうに自分の名前を早口で読み上げた。


「崎山 貴一だ」

「川崎 瑠偉です。よろしく」

「村崎 義一郎」

「塚崎 朋也。世話になります」

「ヒヒヒ。俺は皆崎 定春ね」


あわてて里美が制止した。

「ちょっと待ってちょっと待って!早い早い!ちょっと、もう少しゆっくり!もう、こんな八人一気に言われても、名前覚えられるわけないじゃん。

……えーと、あなたが崎山さんで、川崎さん、で次が……えーと?……それで、あなたが皆崎さん?……かいざきって、どういう字書くの?」


 そこで、里美はあることに気付いてツッコミを入れた。

「……っていうか『崎』多っ!!なんなのよ。みんな崎だらけじゃん!」


 結局、口で言っても覚えきれないし漢字も分からないので、八人がそれぞれ自分の名前を紙に書き出すことにした。


崎山 貴一

川崎 瑠偉

村崎 義一郎

塚崎 朋也

皆崎 定春

江崎 常雄

田崎 満

坂崎 聡


「なんかもう、うんざりするくらい、崎ばっかりね……」

八人の名前が書かれた名前を見て、里美が呆然とした声で言うと、どことなくパシリっぽい小物感の漂う男、川崎 瑠偉が「そういうけどお前の苗字も崎じゃん。剣崎」とボソッと言った。


 その一言を里美は無視して、今度は剣崎家の自己紹介を行った。お父さんが剣崎 健介。お母さんが剣崎 由江で、結婚前の名前は里見 由江。

 そして里美の名前は、もうみんなヤツフサのしつこい鳴き声で何回も何回も聞かされ続けているので、紹介するまでもない。


 と、そこでお母さんが、八人の名前の書かれた紙を見て「あっ!」と嬉しそうな声を上げた。

「この苗字、ひょっとしてオリジナルの八犬士とのつながりを表しているんじゃない⁉」


 その場にいたお母さん以外の十人全員が、全くピンと来ていない表情でポカーンとしている。南総里見八犬伝オタクのお母さんは、自分のオタク話に誰一人ついてきてくれない孤独な哀しみを顔に浮かべながら、寂しそうに全員に尋ねた。


「えーと。この中で、あらすじとか短いバージョンでもいいから、少しでも八犬伝読んだことある人、いる?」


 全員、しーんと無言のまま俯いてしまった。

 お母さんが、坂崎という名前の、どことなくオネエっぽい雰囲気の男の方を見て、あなたが最後の希望だとも言いたげな口調で聞いた。

「坂崎さん、あなただったら読んでてもおかしくないと思ってるんだけど……。この八人の中で、たぶんあなたが一番頭がいいはずだから」


 しかし坂崎の答えはそっけなかった。

「えー。私全然頭良くなんかないよー。中退する前の偏差値は五十よ?」


 そしたら他の七人は口々に「すげーじゃん!」「なんだよそれ超頭いいじゃん」「俺なんか四十だぜ」「おれ三十八」「えー俺三十五」「うわーそれひでえ」「何だよ三十五も四十も大して変わらねえじゃんよ」と自分の成績の低さ自慢を始めたので、お母さんは深いため息をついて頭を抱えた。


「『智』の玉を持つ犬坂毛野でもこれか……」


 そのお母さんの言葉に「え?私の玉、『ち』じゃなくて『さ』よ?」と坂崎が答えた。お母さんはやれやれといった表情で、八人の名前を書いた紙の右の余白に、さらさらと迷い無く何かを書いていった。


「あのね。本当はいくらでも説明しなきゃいけないことがあるんだけど……。

 とりあえず今は、『南総里見八犬伝』という江戸時代の小説があって、ここにみんながこうして集まったのもその小説が原因だってことまでは、全員もう分かってるわよね、さすがに」

お母さんの言葉に、全員が神妙な顔でうなずいた。


「で、その話の内容はともかく、八犬伝というくらいだから、そこには八人の『犬士』という名前の勇者が出てくる」

「八匹の犬じゃないの?」

「犬じゃなくて、犬にからんだ運命を背負った八人の男たち!」


 お母さんが苛立たしげに答えると、男たちは一斉に「なんだよ俺、てっきり八頭の犬の話だと思ってたよ八犬伝」「俺も犬が主人公だと思ってた」「俺も」「俺も」とわいわい盛り上がり始めて、話が先に進まないことこの上ない。

 実は里美もお父さんも八犬伝の主人公は犬だと勘違いしていたのだが、お母さんが残念がるだろうと思って、それは黙っておくことにした。

 お母さんは男たちの与太話が一段落するのを辛抱強く待って、次の話に進んだ。


「もうそろそろいいかな。それでね、その八犬士――要するにこの小説の主人公である、八人の勇者ね?その八人の名前を書いたのがこれ。これ見て何か気付かない?」


 犬江 新兵衛 仁

 犬川 荘助 義任

 犬村 大角 礼儀

 犬坂 毛野 胤智

 犬山 道節 忠与

 犬飼 現八 信道

 犬塚 信乃 戌孝

 犬田 小文吾 悌順


 みんなでじっとこの紙を眺めて、うんうんと難しい顔をして頭をひねったが、誰一人何もアイデアが出てこない。自分の夫と娘も含めた一同のあまりのボンクラぶりに、業を煮やしたお母さんが、自分から答えを言った。


「ホラ、それぞれの苗字よく見てごらん?江崎 常雄の江崎と、犬江 親兵衛の犬江。両方とも『江』の字が苗字に入っている。

 それから川崎 義一郎の川崎と、犬川 荘助の犬川も『川』の字が一緒。皆崎さんだけはちょっと漢字が違うけど、たぶんこれは皆崎と犬飼でセットになってるわ。他にもホラ、村崎と犬村、坂崎と犬坂、田崎と犬田、犬山と崎山……」


 そこでようやく全員が、「おお!」「おおー!」「すげー!」「何コレー!」「崎と犬が入れ替わっただけなんだコレ!」と歓声を上げた。お母さんは、やれやれといった雰囲気で自分の推測を述べた。


「つまり、あなた方八人はね、里美のいたずら書きがきっかけで蘇ってしまったから何だか残念な感じになっちゃってるけど、やっぱりれっきとした八犬士なのよ。それぞれ苗字が対応している犬士が、きっとあなた方の本来の姿」


 そうなのか!すげえ!かっけえ!と八人の男たちは嬉しそうにはしゃぎ始めた。俺は犬塚信乃だ、俺は犬田小文吾か、俺は犬飼現八って奴なんだ、と自分の苗字に対応する犬士の名前を見つけては、それを何度も読み返している。


 それはそうだろう。だって今までの人生で、ちっともうだつの上がらない冴えない存在だった自分が、実は小説に出てくる伝説のヒーローの生まれ変わりである、と突然判明したら、それは最高にラッキーな話だ。


 男たちは口々に「そうか、俺が今まで勉強もスポーツも全然ダメだったのは、自分のせいじゃなくて、玉に変なイタズラ書きをされたせいだったんだ」「まだ現れていない本来の自分は、超頭が良くてカッコいい勇者なんだ」などと言い合っている。

 里美はその様子を見て、あんた達がダメダメなのは、文字のせいだけじゃなくてその腐った根性のせいだろうと思ったが、何しろ落書きしたのは自分なので口にはせず黙っていた。


 そうして、ひとしきり男たち八人で盛り上がったあと、脂ぎった肌の残念な優男、塚崎 朋也がお母さんの方を向いて、無邪気な顔で尋ねた。


「……で。この犬塚信乃ってどんなやつ?」


 機嫌よく盛り上がっていた八人をよそ目に、何やらスマホをいじっていたお母さんは、誇らしげにスマホの画面を塚崎に見せて言った。


「そう言うと思ったわ。そう思って、いま通販で小学生向け『まんが南総里見八犬伝』をポチったわ。プライム便でね。明日から全員、まずはこれを読むこと。いいわね?」


 そう言ったお母さんの顔はこれ以上なく生き生きとしていた。

 今まで誰も見向きもしてくれなかった自分の愛する作品を、遠慮なく他人に布教できる喜びに満ちたオタクの顔だ、これ。

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