第3話 八犬士、妖犬の呪いに大いに悩まされるの巻
お父さんとお母さんと、部屋の隅に立っている八人のパッとしない男たちが、まるでお通夜のような辛気臭い雰囲気でうつむいている。
その重すぎる空気に里美は耐えられなくなって、わざとらしいほど陽気な声で、作り笑いを浮かべながら言った。
「ちょっとゴメン……なんだか唐突すぎて、何言ってんだかさっぱりわかんないわ、お母さん。ねえ何なの?私が小さい頃にお母さんの玉にマジックで自分の名前書いたのがきっかけで、ここにいる八人の人たちが蘇ったっていうの?……何それ?もう意味わかんないんだけど」
その質問に、八人の男の中で最も涼やかな顔をした男がスッと前に出てきて答えた。一瞬女性と間違えそうになるほど優しい顔の男で、客観的に見てイケメンとぎりぎり言ってもいい部類だろう。ただ、唯一残念なことに男の肌は極端な脂性で、ぬめぬめと粘っこく光っているのがちぐはぐで残念な印象がする。
「里美さん、これ」
その男が不愛想に里美に差し出したのは、下手くそな字で「と」と黒マジックで大きく書かれた、ビー玉みたいな大きさの水晶玉だった。
「俺たちは一人一つずつ、この玉を持っている。あなたが五歳の時にマジックで書いたものだ」
他の男たちも一斉に無言で玉を差し出した。
玉にはつたない平仮名で一つ一文字ずつ、「つ」「る」「ぎ」「さ」「き」「さ」「と」「み」と書かれている。
「あ……はい。すみません」
反射的に里美は思わず謝ってしまった。
五歳の時のことなので、さすがに里美にはその字のことは全く記憶に無い。だが、こうやって玉の現物を突き付けられると、このいまいちパッとしない男たちが全くのでたらめを言っている訳ではないのだいうことは認めざるを得ない。
「あなたがマジックで名前を書いたことをきっかけにこの玉が覚醒し、玉は弾け飛んで、運命に導かれて俺たち八人の元にやってきた」
そう語る脂っぽい優男の口調は真剣そのもので、バカなこと言わないでよと軽く笑い飛ばせない重苦しい雰囲気があった。
「玉を手に入れた時期や、手に入れた時のいきさつは人それぞれだ……。俺の場合は、吉野家の朝定食を食べていたら、焼鮭の中からこれが出てきた」
「焼鮭の中から⁉」
運命に導かれた玉との出会いが焼鮭⁉
なんかこう、もう少しカッコいい出会い方するもんじゃないの?こういう時って。
思わず素朴な感想をストレートに口にしてしまった里美だったが、その感想を聞いて八人の男たちが一層沈んだ顔になり、「ハァ……」と深い深いため息をつき始めたので、里美は自分の軽率な発言をすぐに後悔した。
「それな」と脂っぽい優男は言うと、他のメンバーに無言で目配せして発言をうながした。
「俺は部屋を掃除した後に、掃除機のフィルターを掃除したら中から出てきた」
「俺はパチンコで大当たりした時に、玉の中に入ってた」
「俺は自販機の下に小銭を落として、拾おうと手を突っ込んだら手に触れた」
「俺は鼻をほじったら……」
ごめん、もういい。
里美は男たちの説明を遮った。
わかった。要するに、マジックで幼稚園児が字を書いた玉だから、本当だったらもっとドラマチックでカッコいい運命的な出会いをするはずが、こんな残念な感じになっちゃってんのね。全部私がマジックで名前を書いたせいね。
で?それで?その玉を手に入れてどうなったの?
さっきからあまりにも理不尽なことで責められすぎて、逆に開き直った里美が不機嫌そうに尋ねた。
「この玉を手に入れてからというもの、朝も晩もいつも頭の中に、キャンキャンとうるさい犬の鳴き声が響くようになった。それで頭の中に、その吠えている犬のバカそうな顔がいつも浮かんでくるようになった」
「犬?……何それ?」
「こんな犬の声の幻聴が聞こえるのなんててっきり俺だけかと思っていたら、俺たち八人が集合して、今までお互いの身に起こった出来事を確認したら、八人全員が全く同じ目に遭っていた」
「で、その犬の声が何なのよ」
なかなか結論を言わない男の説明に、里美は苛立った。
「私も最初はさっぱりこの犬の声の意味が分からなかった。
ただ、毎日毎晩キャンキャン、キャンキャンと甲高い声で休みなく吠えられ続けていると、その鳴き声の中にごく稀に、『里美』だの『八犬士』だの『守れ』だの『探せ』だの、そういう言葉が切れ切れに混ざってくることに気が付いた」
その言葉に、残りの七人がしみじみとした表情で「うん、うん」と何度も深くうなずいている。
「この頭の悪そうな犬は、どうやら私に何かメッセージを伝えようとしているらしい。そのことに気が付いたのは、頭の中で一日中止まらない耳ざわりな鳴き声のせいでノイローゼになりかけて、私が耳鼻科と精神科の病院を探し始めた頃だ。
そこで私も、ちゃんとこの犬のメッセージを受け取るようにしよう、と思い直して、鳴き声を注意して聞くようにした」
そこで男は腕を組んで、うーんと苦い顔をした。その当時の不愉快な思い出が蘇ってきたらしい。
「聞くようにしたんだが……いざそうやって真剣に話を聞いてみたものの、この犬がまぁ本当に頭が悪くて……説明がもう、全くもって要領を得ないんだ、これが」
男たちは口々に「あれは本当にひどかった」「あのバカ犬」「もう二度と勘弁だ」などと騒ぎ出した。なんだかテレビのひな壇芸人たちが、バラエティ番組のスタッフから突然通知されるひどい仕打ちに対して、一斉に席から立ち上がってやかましく文句を言っているみたいな光景だった。
「とにかく『里美を守れ』『里美と他の犬士を探せ』しか言わないんだ、あのバカ犬。そのことはもう十分わかったから、どうすれば里美と他の犬士に出会えるのか、少しでも住所や連絡先のヒントをくれないか、とこっちは頭の中で何度も何度も呼び掛けてんのに、『里美を守れ』しか言わない。
そのくせ、『なんで自分の言うことが分からないんだ、お前はバカか』みたいな顔して、一日中延々とキャンキャン吠え続けるんだ。気が狂いそうだった」
陰気な声でぐちぐちと語る男の口ぶりに、里美はついに耐えきれず怒って反論した。
「ちょっと!さっきからなんか、その犬に吠えられたのも私が悪いみたいな感じの話になってない?確かにマジックで字を書いちゃったのは悪かったと思うけどさ。でも、私に文句言われても知らないわよ、そんな犬!」
と、そこで、隣の飼い犬部屋にいたウェリッシュコーギーのヤツフサが、短足でテコテコとやって来て、開いていた居間のドアからひょこっと顔を出した。
その瞬間、八人の男たちが「あーっ!」と驚きの声を上げた。そして、「こいつだ!」「このバカ犬!」「お前だよ!お前だよ!」などと口々に叫びながら、会話そっちのけで一斉にヤツフサの方にドタドタと駆け出した。
驚いたヤツフサは振り返って逃げようとしたが、コーギーの短足ではとても逃げ切れない。短い足を振り回してジタバタと抵抗するのを後ろから抱きかかえられ、八人の男たちにやいのやいのと言われながら居間の中に連れ戻されてきた。
「え……?うそ……。バカ犬ってヤツフサのこと……?」
そうだ、と脂っぽい優男が答えた。おそらくこのバカ犬が、俺達に自分自身が背負った運命を伝える役割のようなものを負っているんだろう、と男はつけ加えた。
「そんな……。ヤツフサって、別に里見家ゆかりの犬とか、そういう深い由来とか全然無いわよ?そうでしょお母さん。普通にペットショップで買ってきた犬よね、ヤツフサ」
「そういう血筋とか由緒的なやつは別に要らないらしい」
「そもそも、八犬伝って江戸時代の話でしょ?ヤツフサってウェリッシュコーギーよ?」
「どうやら犬種も特に問わないらしい」
そこにお母さんが説明をつけ足してくれた。
「里美。『南総里見八犬伝』にはね、最初に『八房』という犬が出てくるのよ。あなたもよく知ってると思うけど、私は『南総里見八犬伝』が大好きで何度も何度も読んでるから、それでこの子にも『ヤツフサ』って名前を付けたの」
そしてお母さんは表情を曇らせ、うつむいて視線を下に落とした。
「……でも、ただそれだけ。ヤツフサは里見家とは何の関係もない、ただのコーギー。ただ名前が同じだけなのに、それがまさか、こんなことになるなんてね……」
――いくら何でも、それは適当すぎないか八犬伝?
その八房ってどんな犬なの?と里美が聞いたら、お母さんはちょっと嬉しそうな顔になってペラペラと説明を始めた。やばい、これちょっと長くなりそうだな、と里美はお母さんの八犬伝オタク心をうっかり刺激してしまったことを少しだけ後悔した。
「八房はね、最初は里見家の普通の飼い犬だったのよ。でも、里見家の城が敵に囲まれて、もう全員死ぬしかないという大ピンチになった時に、やけになったお殿様が冗談で、『もしお前が敵の大将を倒してきてくれたらいいのになぁ、そうしたらごほうびに、里見家のお姫様をお前のお嫁さんにしてやるのに』と言ったら、八房はワンとうなずいて城を出ていったの」
「へー。それで?」
「里見家のお殿様は、単に可愛いペットに他愛ない愚痴を言ったくらいのつもりだったのよ。ところが八房は、城の外に出るとものすごい速さで敵の陣中を駆け抜けて、本陣にいた敵の大将に襲いかかって噛み殺すと、その首をくわえて帰ってきた」
そんな物騒な犬の名前を飼い犬に付けたのお母さん⁉それもコーギーに⁉と里美は絶句したが、娘がやっと八犬伝に興味を持ってくれて嬉しくて仕方のないお母さんは、かまわずにペラペラと説明を続けた。
「それで戦争のあと、八房は約束通りお姫様を引き取りに来て、お姫様を山の中に連れ去って一緒に暮らし始めるのね。
でも、そのお姫様は仏教を熱心に信じていて、毎日念仏を唱えていたおかげで、最後は結局、八房に取り憑いていた悪霊を成仏させてしまうわけ。
その途中に色々あって、実はそのお姫様自身も命を落としてしまうんだけど、あなたがマジックで名前を書いた玉は、そのお姫様が生前に肌身離さず持っていたもの」
げ。そうなの。
そんなものに私、マジックで自分の名前を書いちゃったんだ……
里美はここに来てようやく、事の重大さを少しずつ実感し始めた。
そうこうしている間にもヤツフサは、さっきから八人の冴えない男たちに取り囲まれ、一人に背中からがっちりと抱きかかえられて体の自由を奪われ、今までの恨みを晴らさでおくべきかと、デコピンされたり足を引っ張られたり腹をくすぐられたりと、小学生男子のような幼稚な仕返しをされている。
するとその時、里美とお父さん、お母さんと八人の犬士たちの意識の中に、直接流れ込んでくるような不思議な感触でヤツフサの鳴き声が突然響き渡った。
――キャン!八犬士!キャンキャン!……集まった!キャン!守れ!共!キャンキャンキャン!キャン‼集まった‼キャン!守れ!キャン危機だ‼キャンキャン!暮らす‼キャン里美‼キャンキャンキャン!――
その場にいた全員が、「あぁ……」という顔をした。
八人の犬士たちは、全員が集合したことでやっと聞かずに済むようになったヒステリックな犬の声を、また久しぶりに聞かされる羽目になり重いため息をついた。お父さんとお母さんと里美はその鳴き声のあまりのやかましさに、今まで男たちがうんざりした顔で語ってきた話は、これのことかとすっかり腑に落ちる思いだった。
剣崎家の三人がヤツフサの声に反応し、嫌がるような顔をしたのを見て、脂っぽい優男が、「あれ?ひょっとして、あなた方も受信してる?この犬の声」と少しだけうれしそうな顔で聞いてきた。里美は苦々しい顔でわずかにうなずいた。
「な?要領を得ないだろ?」
「……ヤツフサが、バカ犬でごめん」
里美は思わず謝ってしまった。
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