御曹司と乙女




「クラウス待ちなさい、待ちなさいと言っているだろう!」

「待たない」

「出ていって帰ってきたかと思えばまたどこに行く、今度こそ家出か」

「ノークレス家に行くに決まってるだろ!」


 ガシッと握力強い手に腕を掴まれ、父親に追いつかれたタイミングで、クラウスは心の底から言った。

 障害は潰した。これでクラウスはようやく求婚する資格を得て出発点に立てたということ。

 ――やっと心おきなく求婚できると思っていたのに!

 心の叫びだ。


 だというのにジゼルはいない。一旦邸に戻り着替えていざ出ていこうととすれば次はこれだ。父親が止めてくる。

 この際話をつける必要があるようだ。


「文句あるのかよ!」

「大いににある!」

「なんでだよ、もう親父殿が反対していた障害はない」

「ああそうだな。お前が予想の斜め上を行く壮大なことをしていて父である俺はびっくりしたなんてものではないが、その方法にも大いに言いたいことはあるが終わったことだ。お前がやったことは悪いことではない、むしろ誇らしく思う」


 手の力が弱まり、クラウスと向き合うデレックは苦い微かな笑みを口に顔に表していた。


「なにせ俺はジゼルとそのときの時間を共有することしかできないと思っていたからな」

「親父……」


 友人としての時間の共有。そうしてきた人物が何人も、今でも何人かいることをクラウスも知っている。

 その一人が父親であるからこそ、クラウスは気がつけばジゼルと出会っていた。

 しかし誰もがそこまでだった。

 不覚にも父親の様子につかの間勢い削がれた次の瞬間、


「言っておくが反対していたのは短命だからという理由だけではなかったからな」

「ああ知っているさ」


 ジゼルが生まれ直していたからだろう。

 そうして人間が本来生きられる寿命を越えて生き、この先も長く長く生き続ける道が彼女の前には見えていたことだろう。

 クラウスはジゼルの恐れを耳にした。自分は置いていかれるのかと、これまで何人をも見送った彼女の言葉は重かった。

 何ということを言わせたのかと、後悔してもしきれない。

 全部全部終わってからにすればいいのに、三年の空白のあと会いに行けば抑えきれないかったわ自分勝手でぶちまけるわ……クラウスはジゼルの傷を抉ったに違いない。


「俺は、随分酷いことをしていたよな」


 何度求婚したか。

 流されていたのは、受ける受けない以前の問題だったのだ。ジゼルの呪いの内容上、彼女の中にその道はなかった。


「いいかクラウス」

「なんだよ」

「短命という理由だけではなかった。短命だけであったら好きにさせていただろう」

「今さら言われても現実は違ったわけだから、それは以前にしろ意味がなかっただろう」

「そうだな。それよりそろそろ領地に戻るからお前は部屋に戻ってその用意をしなさい」

「……待て、なんで俺は家を出ない前提になっているんだ」

「そういえばどうして出る予定だった、クラウス」

「さっき言ったばかりなのに忘れたのか、歳だな。ジゼルに会いにノークレス家に行く」

「首都にはもういないぞ」

「知っている。……ちょっと待てよ親父殿、念のため確認するがジゼルが首都を出ていったことを知っていた、なんてことはないよな?」

「お前と違って俺は友人だからな」


 ああ腹が立つ。もちろん目の前の親父にだ。

 クラウスは父親の手を振り払った。


「まだ行くと言うなら止め続けることはしないがな、言っておくと今行くとすれ違う可能性がある」

「なんでだよ」

「うちに呼んだからだ」

「え、本当か?」

「これに関して言うと思うか? いつ来るかはまだ分からないが大人しくしていれば確実に会える。どうだ?」


 入れ違いになるのはごめんだったクラウスはため息をついて家を出ることをやめた。




 *





 ノークレス家本邸の広い庭、花のアーチをくぐった先の小さな屋根の下に備えられた丸いテーブルと庭用の椅子。

 テーブルの上にはお茶会のようなセッティングがされ、湯気がのぼるお茶と皿に飾り盛りつけられた菓子が中央にある。


「ノークレス家に帰ってきてください、姉上」


 向かい側で姉上、とジゼルを呼んだのはノークレス家当主にして公爵だった。

 外見年齢で言えば、彼とジゼルは父と娘にしか見えないだろう。どちらともが、一族に長く受け継がれてきた金色の髪を長く伸ばしている。

 ジゼルにとっては実の兄のひ孫だ。こういう関係を何と言うのだろう、同じ一族、親戚? 遠縁? 複雑なものでジゼルには心当たりがない。

 現在ジゼルは昔兄がくれた「ノース」の名字で「ノース家」当主という形になっている。


 しかし、もう何のしがらみもなくなった今兄のひ孫はジゼルにノークレス家に戻らないかと言う。

 これは予想していたことであった。呪いがあった頃も言われていたことがあったくらいだ。

 ということでジゼルもすでに考えてはいた。


「やめておくわ」

「……なぜですか? 姉上はもう」

「そうね」


 姉上、との呼び方に自分は彼を見送るのだろうか、見送ってもらう側になるのだろうか。と以前のようなことを考えたことをすぐに自覚し、心の中で苦笑する。

 見送ってもらう側になるのだろうか、と加わったことにも。


「けれど私がここにいてはややこしいでしょう」


 どこまでかは不明であるが歳を重ねられる。可能ならばしわくちゃになるまで。

 だからこそ、普通に歳を重ねはじめるジゼルがノークレス家にずっといることになれば、「姉上」と当主たちが呼ぶジゼルに違和感持つ者が増えるはずだ。

 そのたびに今はなき呪いを説明するのはいかがなものか。

 いっそのことジゼルは「ノース」を貫き通し関係も改めていかなければならないのでは? と思っている。

 今からそうすれば、次生まれ直すこともないから、次また改変しなければならない事態は来ない。変えれば一生もの。


「『ノース』にも愛着が湧いているし、むしろこっちの方が付き合いが長いわ」

「ですが、」

「私はこれから静かに暮らすわ。時々遊びに来させてもらうけれど、もちろんあなたたちが良ければ」

「もちろんです!」


 身を乗り出し気味に快い返事をした現当主はすぐに身を引きごほんと咳をして居住まいを正した。


「名字は確かに人を表すものだから大事よ。でも女子に生まれればいずれは変わる可能性が高いものでしょう。それと同じよ」


 一度名字が変わり、生涯それで生きていく。ジゼルはジゼルで。「ジゼル・ノース」をずっと通してきた。

 それがジゼルの出した結論だった。


「一生『ノース』、ですか」

「ええ」

「では姉上……」


 多くの人前で彼らと共にいることはなかったから「姉上」とは呼ばれなかった。

 この先もそんな場所に行く機会はないだろうから、別に呼び方はこれでいいのかとジゼルは思い立つ。


「デレックの息子は、どうされるおつもりですか」


 油断していた。

 一つ話題が終わってお茶を飲もうとしていたジゼルはカップの傾けを直した。お茶は口内に入る前。


「あなた、それを知っていたかしら?」

「はい」

「話した?」

「いいえ」


 そうだろう。何年前かからのクラウスからの求婚の言葉の件だ。

 自分の子ども、のようではないが身内と認識していた彼らには話し難いし、実際話さなかったとジゼル思う。肯定もされた。

 それならばどこから。

 最近、情報が知らないところから意外なところに渡っていると感じるのは、気のせいだろうか。


「デレック?」

「はい」


 いつの間に。

 まあ王宮行事の際には会うことがあるから話す機会もあると思い浮かべるけれど、そんな話題を?


「姉上にお話があります」


 これに関して? とジゼルは首を傾げてカップを一度置いた。ノークレス家現当主は真剣すぎる顔つきをしていた。






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