第139話 顔合わせ

「初めまして。本日からお世話になる香月 葉です。よろしくお願いします」

ぺこり、と頭を下げるのは寧々よりもさらに小柄な女の子。

容姿はやっぱりどことなく雫さんに似ていた。


「初めまして。スノーハムスターで動画編集などを担当している明日あしたのです。よろしくお願いします」


胸に手を当てて、挨拶をする。

私の言葉に、香月さんは驚いたようにまん丸な目を見開いた。

その反応が雫さんにそっくりで思わず、笑ってしまう。


香月さんが軽く首を振って、ぺこりと頭を下げた。


「あ、すみません。知っている人に声が似ていたもので」

「……いえ。大丈夫ですよ」


まずい。

伝えるタイミングを失ってしまった。

最初に伝えるつもりだったのに、普通に自己紹介をしてしまった。


今日は香月さんを含めて、事務所での打ち合わせをする日だ。

先に挨拶を済ませたハムスターさんや結衣が香月さんの後ろでにやにやしてるし、倉井さんはせかせかと動き回ってお茶などを入れている。


生ぬるい空気が漂う事務所内で、困ったようにそわそわする香月さんに私はしょうがないと腹を括ることにする。


「すみません。伝える機会が中々なくて、ここで言わせてください。私は普段、VTuber下切雀の動画編集や配信に参加しています。飼い主さんって言ったほうがわかりやすいかもしれません」



ド、ドキドキする。

ちょっぴり早くなった鼓動を感じながら、香月さんを見る。


香月さんは、両目を大きく見開いて固まってしまった。

声を掛けようとすると、そのまま後ろ向きに倒れてしまう。

後ろにいたハムスターさんや結衣を巻き添えにして。


団子状になってソファに倒れ込んだ三人に「大丈夫ですか!?」と慌てて近寄った。


◆◆◆


「ほ、ほほ本日はお日柄も良く」

「大曇りっすけどね」

「あはは」


数秒意識を失っていた香月さんは、がちがちに緊張した様子でソファに座っている。

その隣には、結衣とハムスターさんが座っていて、なんだかこの三人はちっちゃいものクラブみたいな感じで見ていて癒される。


「かかか、飼い主さんの新しい職場ってここだったんですね」

「はい。色々ありまして」

「そ、その私、飼い主さんがいるって知らなくてその追っかけとかでは」

「大丈夫ですよ。分かっていますから」


むしろ、私のほうが先に香月さんのことを知ってしまったほうだ。


「なんなら私たちも入社してから知ったからね!」

「めちゃくちゃビックリしたっす」


「はいはい。雑談はそこまでにして仕事の話するよ」


倉井さんの言葉で、ハムスターさんと結衣が「はーい」と返事をする。

この職場、倉井さんがいなかったらどうなってたんだろう……あんまり考えたくない……


「とりあえず今日の目的は、顔合わせと弊所で使ってるチャットツールの登録だね。あとはイラストの話かな」


「チャットツールですか?」


「うん、うちはハムスター……代表が開発したチャットツールを使ってるんだ。名前は、絶対安心ハムスターくんV」


「絶対安心ハムスターくんV……?」


「言いたいことはわかるよ。これはハムスターが趣味で開発したアプリなんだけど、かゆいところに手が届きまくる性能なせいで、OTONASHIの本社でも使われていてね。本社のお偉いさんが絶対安心ハムスターくんVで会議をしたり、議事録を送ったりしているんだよ……ふふっ、ウケるよね」


倉井さんがハイライトのない目で笑う。

正直、こういうさらっと毒を吐く倉井さん好きなので、定期的に見たい。心のなかでは毎回キンブレを振っている。


「社員番号が書いた紙を渡すから、その番号がIDになるから失くさないようにね。最初のパスワードは生年月日になるよ。軽い説明書があるから、それを見つつ設定してね。わからなかったらいつでも聞いてね」


「は、はい」


「どうせ四人しかいないから、私たちみんながあなたの相談に乗るマネージャーみたいなものだと思って質問や相談はいつでもしてね」


「わかりました」


「では、この後は代表が」


「おっけー!葉ちゃん!キミのママになる人のことなんだけどね」


「はい」


「今のところ、下切雀さんを予定してるよ。もし、他に担当してほしい人がいれば言ってくれたらって……よ、葉ちゃんが宇宙に……!?」


宇宙香月さんが、私を見て口をパクパクとさせる。


「雀からの提案なんだ。香月さんが良かったらだけど」


「雀ちゃんが私のママに……」

そう呟いて、暫し逡巡した後、香月さんは顔を上げる。

その眼には強い意志が宿っていた。


「お願いしたいです……!雀ちゃんにママになってほしいです……!」


「うん、決まりだね!彼方ちゃん、内容は決まり次第、まとめるから雀ちゃんに伝えてくれる?」


「わかりました」


「なら、これから容姿のほうを詰めていこうか」


「はい!」


正直、どうなることかと思ったけど上手くいきそうだ。

ノートを取り出して楽しそうに話し始めた香月さんを見て、笑みを浮かべた。


◆◆◆


「じゃあ、こんな感じでいいかな?」

ハムスターさんが香月さんの話を聞きながら、情報をまとめて、軽くラフを描く。


この人、本当になんでもできるな……


描かれたのは、雀と同じく鳥をイメージした姿。

燕尾デザインのジャケットに、モノトーンを基調としたどこかミステリアスな少女。


「は、はい!」

「じゃあ決まりだね。最後に名前だけどどうする?」


香月さんは少し悩んで、ぎゅっと手を握りしめる。


「昔から大好きな物語がありました。そして雀ちゃんが私のママになってくれるなら、この子にはこの名前を付けたいと思います」


香月さんがハムスターさんが描いたラフの下に、綺麗な字で名前を書いていった。


この日、確かに産声を上げた。


下切雀の娘であり、猫神雫の実妹。

そんなことはまだ誰も知る由もなく、私たちだけが知っている。


いずれVTuber界に大きな波乱を巻き起こす彼女の名を。


幸福こうふく ツバメと言った。


______________________________________

お待たせしました。

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