6話-3、夕日に佇む温泉旅館

「はあぁ~……、焼き鳥美味しかったぁ〜。八吉さん,いい人だったなぁ。また行こっ」


 八吉やきち主催で執り行われた花梨の宴は、三時間という長丁場になるも、花梨の底無しの胃袋に恐れをなした店長が慌てて止めに入り、強制お開きという形で幕を閉じた。

 そして、仲良くなった八吉と厚いお礼を交わし合い、また焼き鳥屋八咫やたに来ることを誓い、一番最初に食べた焼き鳥の串を持ちながら帰路に就いた。


 帰りの途中、遠くで夕日色に染まっている永秋えいしゅうが佇んでおり、そのみやびやかな景色を見て息を呑む。

 正面以外から永秋を見るのはこれが初めてで、背後に映っている紅葉とした山々が、紅に染まる永秋の存在を際立たせていた。


 その絵を頭に焼き付けようとした花梨は、両手の指で大きな長方形を作り、その指から垣間見える風景を写真に見立て、しっかりと目で撮って頭の中に保存した。

 そこでふと、携帯電話を所持している事を思い出し、すぐさまポケットから取り出して、紅い永秋の絵を三枚ほど撮って笑みを浮かべる。


 歩きながら撮った風景を眺めていると、そういや、勝手に撮ってもよかったのかな? と、小さな疑問が浮かび、首をかしげながら永秋へと入っていく。

 悩みながら支配人室まで来た花梨は、今日あった出来事を報告し終えた後、先ほど撮った風景をぬらりひょんに見せつけた。


「ぬらりひょん様、見てください。携帯電話で永秋を撮ってみました」


「ほお、見事に撮れてるじゃないか」


「いいですよねぇ。とっても気に入っているんですよ。それで質問なんですけど、この温泉街で風景とか妖怪って、撮ってもいいんですかね?」


 花梨の質問にぬらりひょんは、キセルの煙をふかしてから「別に構わんが、向こうに帰った時に見返しても、妖怪の姿は消えていると思うぞ」と、答えを返す。


「えっ、そうなんだ……。ちょっと残念だなぁ」


「ここではちゃんと写るから安心せい。それと永秋の建物内も撮ってもいいが、他の建物を撮る時は、ちゃんと持ち主に一言声をかけてから撮るようにしろ」


「分かりました、それじゃあ失礼します!」


 答えを聞いた花梨は、やや残念そうに肩を下ろし、キセルの煙が充満している支配人室を後にする。

 静かに閉めた扉の前で、持っていた携帯電話をじっと眺めていると、何かを思ったのか「あっ」と、声を漏らした。


「そういえば、温泉街にはコンビニみたいな所は無いんだよなぁ。携帯電話の料金が支払えないから、しばらくしたら電話とネットは使えなくなるのか……」


 食欲に身を任せてここまで来てしまった花梨は、見落としていた細かな部分がだんだんと見え始め、もう全てが遅いと悟り、鼻でため息をついてから携帯電話をしまい込んだ。


「まあ、カメラ機能は使えるからよしとするか。さて、お風呂お風呂〜」


 気を取り直して露天風呂に向かう為に、一旦自室へと向かって行く。

 扉を開けて部屋内を見渡して見ると、鮮やかなオレンジ色の光が窓から差し込んでおり、その色が部屋内を染め上げていた。


 窓から焼き鳥屋八咫がある方面を見てみると、真っ赤に燃えている夕日が地面へと落ち始めており、その夕に目を奪われた花梨が、声の混じったため息を漏らす。


「綺麗だなぁ。秋夜の湯より先にある露天風呂なら、夕日を見ながら浸かれるかな?」


 是非とも夕日を拝みつつ、露天風呂に浸かってみたいという想いが強くなると、慌てて部屋を飛び出して駆け足で向かっていった。

 まだ解放されていない秋夜の湯を通り過ぎ、突き当たりを左に曲がり、どの露天風呂に入ろうかと看板を眺めながら通路を歩く。


 手前から『濁りの湯』『炭酸泉の湯』『地獄の湯』と三つの入口が並んでおり、中は既に客で賑わっているようだった。


 濁りの湯は、紅葉のような赤と黄。青空と雲のような青と白の四種類あり、各色別々の効能が楽しめるようになっている。


 炭酸泉の湯は、弱濃度炭酸、強濃度炭酸、きわみ濃度炭酸の三種類あり、それぞれお湯の温度は四十℃前後と、長湯ができそうになっていた。


 地獄の湯は、看板に大きく赤文字の注意書きで『この湯の温度六十五℃以上により、熱耐性が無い妖怪は要注意』と、記されている。


「六十五℃以上……。温泉卵を作るにはちょうどいい温度だけど、私が入ったらヤバいな……。炭酸泉の湯にするかぁ」


 適当な鼻歌を交えつつ、炭酸泉の湯の脱衣所に入った花梨は、上機嫌で服を脱ぎ、軽い足取りで風呂場へと入場する。

 焼き鳥の匂いが染みついた頭と体をパッパと洗い流し、強炭酸の湯をチョイスして奥まで行き、泡が弾ける湯の中へと体を沈めていった。


「おっ、おっふぉ……、ふいぃ〜……」


 想像していたよりも泡はきめ細かく、体を沈めた箇所からその泡が、優しく体にまとわりついていく。

 床から絶え間なくシュワシュワと湧き出し、炭酸のように弾ける一定の音が、耳を楽しませてくれた。


 その泡が体の疲れを肌から吸い取り、弾けて消えていくのを感じつつ、待望の夕日に目をやる。

 窓から見た時よりも鮮やかかつ感動的で、見惚れた花梨は瞬きをするのを忘れ、口をポカンと開けてひたすらに見続けていた。


 その夕日が沈んでいくと、空の色が紫色から黒色へと変わり、天然のプラネタリウムが開演し始める。

 弾ける音を奏でる泡の音楽と、裸眼で確認できる天体観測は共に新鮮で、その二つの上映で童心へと帰った花梨は、満面の笑みでその上映を満喫した。


 やんちゃそうに光る黄色い星、熱が伝わってきそうなほど赤く燃え光る星、隅っこで寂しそうにまたたく青い星。

 それらを包み込み空を流れる天の川、団体行動を外れて遊ぶ流れ星、その後を我も我もと追う流星群が次々と顔を出し、夜空がだんだんと賑やかになってきた。


「幻想的な空だなぁ……」


 思わず漏らした自分の声が煩わしく思い、それ以降は口を閉じたまま夜空を眺め続けた。

 時間の流れを忘れて眺めている最中、ふと何気なく自分の手を見てみると、しわしわにふやけている事に気がつき、そろそろ上がろうかな……。と、惜しみながら天然のプラネタリウム会場を後にする。


 服を着てから時間を確認してみると、夜の八時を過ぎており、「はっははっ……、三時間以上も入っていたのか。そりゃ、手もしわっしわになるわなぁ……」と、口をヒクつかせながら自分の部屋へと戻っていく。


 すっかりと温まった体で、自分の部屋に戻って扉を開けると、テーブルの上に黒くて四角い箱とお椀が置いてあり、夜飯かな? と、予想してから四角い箱の蓋を開けた。


 中を覗いて見ると、黒い花のようなおおぶりのキクラゲと、ふわふわの卵が絡みついている野菜炒め。その横には大盛りのご飯が分けられている。

 お椀の蓋も開けてみると、透き通った黄金色の汁に、溶いた卵と細身のカニの身が漂っている、食欲をそそる中華風スープが入っていた。


「おおっ、今日は中華だ。いただきまーす!」


 全体的に、濃い目のコンソメベースで味付けされたキクラゲは、噛むたびにコリッコリッと軽い音を立て、口の中で弾けていった。

 その衝撃を、甘くてふわふわした卵が優しく受け止めてくれて、ゆっくりと包み込んでいく。


 噛み砕いたキクラゲを飲み込んだ後に、具が泳いでいる中華風スープに息を数回吹きかけ、少し冷ましてから口に入れる。

 ほのかに塩っ気が効いているものの、濃く味付けされたキクラゲの野菜炒めとは、正反対の風味であり、箸休めにはもってこいのバランスだった。


「中華料理って、どんどん食欲が湧いてくるんだよねぇ。無限に食べられそうだ、んまいっ」


 最後の花びらであるキクラゲをよく噛み締め、食感の余韻を感じつつ完食し、天井に向かって「ふう〜っ……」と、至福のため息を漏らす。

 そして、食器類を一階にある食事処に返却し、自分の部屋に戻った花梨は、携帯電話を取り出して現在時刻の確認をした。


「九時ちょい過ぎか。せっかくの休日だけどやる事無いし、寝るかなぁ」


 そう決めてからパジャマに着替え、歯を磨きながら窓から夜空を見上げてみると、終わることの知らない天然のプラネタリウムが、まだ上映を続けている。

 絶え間なく降り注ぐ流れ星に、どうかこのお仕事が終わりませんように。と、叶わぬであろう願いを込め、口をゆすいでから日記を書き始めた。









 今日は、ここに来て初めてのお休みを貰ったから、温泉街で食べ歩きをしてきた。最初に言ったのは極寒甘味処ごっかんかんみどころという、雪女の雹華ひょうかさんが営んでいる甘味処だ。

 ここのバニラアイスの作り方が、またすっごくてねぇ。まず初めに、手の平に野球ボール大の氷の玉を作ったんだ。


 その氷の玉にバニラの原液を注いで数回振ると、あっという間にバニラアイスの完成! すごい! まるで魔法を見ているようだった。


 かき氷の作り方も凄かった! これも手の平から、雪のようにフワフワした氷を出して作るんだ。私がいる所じゃ、まずお目にはかかれない作り方だなぁ。

 ぜんざいもクレープも一級品の美味しさで、私もうあそこの虜になっちゃった。常連になって、毎日でも通いたいなぁ。


 次は、八咫烏の八吉やきちさんが働いている焼き鳥屋八咫に行ったんだ。


 最初は八吉さんに「人間に食わせるもんはねえ、帰れっ」て言われて、心底驚いたよ……。

 まさかね、初めて行ったのに帰れって言われるなんて、夢にも思わなかったからね……。


 でも、相当迷惑だっただろうけど、ずっとそこに居座っていたら、一本だけタダで食べさせてくれたんだ。


 迷惑をかけてごめんなさい……。後で、八吉さんに謝らないと……。ただ、食べた感想をちゃんと八吉さんに伝えたら、とっても喜んでくれたんだ。

 どうやら、私にマズいと言われるのが怖かったらしい。あんなに美味しそうな匂いを出しておいてマズいなんて、絶対にありえないのに!


 その後、八吉さんが焼き鳥を奢ってくれたんだ! 嬉しくて美味しくて、歯止めが効かなくなって……、メニュー表にある焼き鳥を全部食べてしまった……。八吉さん、ごめんなさい……。

 八吉さんは喜んでくれていたけども、後日ちゃんとお金を払いにいこう。計算するのがすごく怖い……。


 あそこの焼き鳥屋も常連になるんだ、八吉さんの焼いた焼き鳥はどれも本当に美味しかった!

 一番最初に食べた焼き鳥の串は、持って帰ってきちゃった。私の宝物にして大事に取っておこう。








「ふふっ、無くさないようにしないと」


 日記を書き終えた花梨は、持っていた筆記用具をテーブルに置き、そばに置いていた焼き鳥の串に持ち替え、その串を眺めながらふわっと微笑んだ。

 その串をテーブルに置き、体をグイッと伸ばしてから温かいベットの中へと潜り込んでいく。


 そして、明日はどこに行こうか考えつつ、ワクワクしながら眠りについていった。

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