あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

1話、小柄な老人との出会い

 季節は夏の半ばを迎えた九月の中旬頃。


 まだ昼間の暑さが残る夕焼け空の下、オレンジ色のポニーテールを揺らし、ジーンズを履いた薄着の女性が、財布の中身を見ながらわなわなと小刻みに震え、閑散とした住宅街を重い足取りで歩いていた。


「の、残り残金が四百三円しかない……」


 そうボヤいた女性は、大きなため息をつきながらポケットから携帯電話を取り出し、とある相手に電話をかけた。

 しかし、携帯電話からは相手を呼ぶコール音だけが鳴り響くだけで、いつまで待っても電話を掛けた相手が出る事はなかった。


「むう、ぬえさん電話に出ないや……。どうしよっかなぁ。この前乗ったマグロ漁船で稼いだお金がこんなに早く尽きるなんて……。食べ歩きしすぎちゃったなー」


 再び大きなため息をついた女性は、携帯電話をポケットにしまい込み、更に重くなった足を引きずりながら帰路に就く。


「明日からどうしよっかな〜。普通のバイトってあまり気が進まないんだよねぇ。はあっ……、心が弾けるような刺激のある仕事がしたい……」


「ほう、お前さん仕事を探しておるのかね?」


「……ん? 今、誰か喋った?」


 女性は、不意にどこからともなく聞こえてきた老人の声の主を探し、辺りをキョロキョロと見渡すも誰もおらず「……気のせいかな?」と、首をかしげながら呟いた。

 すると、「おい、下だ下。下を向かんか」と、先ほど聞こえてきた声が耳に入り、目線を下に向けてみると、子供ぐらいの背丈をした深緑色の和服を着た老人が、キセルを持ちながら女性を睨みつけていた。


「……老けた子供がキセルを持ってる」


「おい、初対面なのにだいぶ失礼だな。どう見ても立派な老紳士だろうに」


「ええ、自分で言っちゃうんだ……」


 呆れた女性は、小柄な老人と目線をなるべく合わせるためにその場にしゃがみ込み、見上げていた小柄の老人は首を下げ、咳払いをしてから話を続ける。


「それでだ、刺激のある仕事をしたいとか言っていたな。ちょうどいい、うちで仕事をやってみんか?」


「えっ、仕事を紹介してくれるんですか?」


「ああ、お前さんにとっても悪い条件じゃなかろう。ほれ、これを見てみろ」


 そういった小柄な老人は、和服の袖から一枚の紙を取り出して女性に差し出した。


「どれどれ? えーっと、大体の事ができる人間一人募集。部屋あり(電気、水道、ガス無料)、風呂あり(温泉、その他無料)、朝夜飯あり、契約期間一年、日給一万円以上……。ちょっと内容が大雑把すぎやしないですか?」


「なに、気にするでない。しかし、この仕事でしか味わえない刺激が沢山あって絶対に楽しいと思うぞ?」


「ふ〜ん、この仕事でしか味わえない刺激……ねえ」


 そう言った女性は、再び大雑把で胡散臭く、求人広告とも言い難い内容が書かれた紙を読み返すと、少しずつではあるが、その仕事に興味を持ち始める。


 一年契約で日給一万円以上が確定しているのは破格であり、部屋あり(電気、水道、ガス無料)もとても魅力的であった。

 だが、『大体の事ができる人間』という言い回しに大きな違和感を覚えた。しかし、すぐに風呂(温泉、その他無料)という単語がその違和感を全て吹き飛ばしていく。


「この風呂(温泉、その他無料)って事は、私が働く場所は温泉旅館とか何かですかね?」


「そうだ。ワシは、とある温泉旅館を経営しておってな。この仕事を受ければ、その温泉旅館の部屋の一つが一年間、お前さんの部屋になるって訳だ」


 その言葉を聞いた女性は、カッと目を見開き、興奮気味に話を続ける。


「ってことは、朝夜のご飯って……まさか!?」


「ふっふっふっ、その温泉旅館で作っている料理だ。まあ、まかない程度になるかもしれんがな」


 賄い料理だとしても、朝夜タダで温泉旅館の料理が食べられると分かった女性は、その事だけが頭を支配して正常な判断が出来なくなり、目をギンギンに輝かせてヨダレを垂らしながら小柄な老人に詰め寄った。


「や、やります! この仕事受けさせてください!」


 女性のやる気と食欲に満ち溢れた言葉を聞くと、小柄な老人がニヤリと笑い、キセルの煙をふかす。


「お前さんならそう言ってくれると信じておったわ。どうだ? 早ければ明日からでもその温泉旅館に行くか?」


「明日からですか? いいですよ! それじゃあ急いで、大家さんにしばらく部屋を空ける許可もらって準備してきますね!」


「おお、そうか。それじゃあ明日の朝十時! 最寄りの駅の入り口付近で待ち合わせしよう」


「了解でーす! それでは!」


 女性は満面の笑みで軽くお辞儀をし、その場を立ち去ろうとするも、お互いに自己紹介を済ませるのすっかりと忘れており、慌てて後ろを振り返った。


「そうだ、あの! あなたのお名前は……あれっ?」


 振り向いた先には、先ほどまで立っていた小柄な老人の姿はどこにも無く、目に入ったのは人のいない住宅路と、沈みかけている夕日だけであった。


「もういなくなっちゃった……。仕方ない、明日名前を聞こう。それより大家さんのところに行かないと」


 自己紹介をするのを諦めた女性は、駆け足で自分が住んでいるアパートへと戻り、大家が住んでいる101号室にベルを連打した。

 すると、中からドスドスと怒りの混じった足音が聞こえてきて、扉が勢いよく音を立たせながら乱暴に開く。


 そして、中から天然パーマの頭にカーラーをいくつも付け、エプロン姿をした少し小太りの女性がハスキー声で叫びながら姿を現した。


「うるっさいなあ、もう! ……あら、花梨かりんちゃんじゃないの」


 鬼の形相をしていた大家は、自分を怒らせた花梨と呼んだ女性の姿が目に入ると、ふっと穏やかで優しい表情になった。

 逆に、申し訳なさそうな表情をしている花梨が、頭を下げ、両手をパァンッと合わせながら話を始める。


「大家さん、突然でごめんなさい! 急に住み込みの仕事が入っちゃいまして……。また、部屋を空けても、いいですかね?」


「またぁ~? ……ったく、今度は何ヶ月部屋を空ける気なんだい?」


 ふんっと豪快に鼻を鳴らした大家は、慣れた対応で腕を組みながら答え、小さくなっている花梨が、手を擦りながら恐る恐る答えた。


「えーっと……その、一年間……です」


「一年間!? なに、またマグロ漁船かなんかにでも乗るつもり? まさかコンテナ船? それとも南極地域観測のリベンジかい!?」


「あはははは……、ありましたねー、そんな仕事」


 花梨は過去にやってきた仕事を鮮明に思い出し、頭をポリポリと掻きながら苦笑いをした。大家が呆れながら話を続ける。


「あんたさぁ、危ない仕事ばかりしてると命がいくつあっても足りないよ? 実際、何度か本当に危ない目に遭ったじゃないか。今度は大丈夫なのかい?」


「ええ、今回は温泉旅館の住み込みらしいんで、危険な事はないかと思います」


「へえ〜! 温泉旅館かい、いいねえ〜。……分かった、一年ね。家賃は帰ってきてからちゃ~んと払うんだよ?」


「やったー! ありがとうございます大家さん!」


 了承を得れた花梨は、無垢な笑顔で喜びながら大家に勢いよく飛びついた。

 大家は飛びついてきた花梨を強く抱きしめ、頭を撫でながら少し寂しそうな表情になる。


「危ないと思ったらすぐに帰ってきなさいね。花梨ちゃん、すぐに無茶するんだから」


「大丈夫ですって、温泉旅館でも働いた経験はありますから!」


「それが危ないって言ってるのよ、油断は禁物だからね!」


 花梨は抱きつくのをやめ、大家から離れてニコッと笑う。


「わかってますって! それじゃあ身支度の準備してきますね!」


 そう言いながら花梨は、大家に手を振りながら階段を駆け上がって自分の部屋に戻り、早速準備に取り掛かる。

 しかし、日頃から住み込み用や遠出用の荷物は常に用意しており、やる事と言ったらカバンの中に入っている荷物の内容確認と整理ぐらいであった。


 夏冬用の服一式が一週間分、厚手の防寒着、携帯用歯ブラシ三本、携帯電話のバッテリー三つと充電器。

遭難した時の備えとして非常食と飲料水が五日分。

 手入れをされた十得ナイフ、濾過器ろかき、使い込まれた携帯コンロとガスボンベ、太いロープ、火打石、小鍋、その他もろもろ。


「旅館の住み込みだから遭難はしないだろうし、非常食関連と濾過器、ロープ、火打石らへんはいらないかな? そうだ、日記と筆記類を入れておかないとっと」


 花梨は住み込みや遠出をする際、必ず寝る前に日記を書く事を日課としていた。アパートに帰宅してから読み返すと、当時の記憶が蘇りワクワクするかららしい。

 身支度の準備が終わると、朝起きるのが大の苦手である花梨は、早めに風呂に浸かり始める。


 風呂から上がり、歯を磨き終わった夜十時頃、携帯電話の目覚ましを朝の八時から五分ごとに鳴るようにセットして眠りについた。






 翌日の朝八時、携帯電話の目覚ましが鳴るも、花梨は慣れた手つきですぐにうるさい目覚ましを止め、止めた腕は吸い込まれるように布団の中に潜り込んでいった。

 その応酬が六回ほど続き、七回目のアラームでやっと起き上がり、寝惚け眼で駅に向かう準備を始める。


 顔を洗って歯を磨いた後、パンを一つ頬張って牛乳で流し込み、軽い朝食を終わらせてから着替えを済ませ、荷物が入った大きなカバンを持ち、部屋を後にする。


 外は快晴で、太陽の眩しい日差しが花梨のことを出迎えてくれた。一階に降り、アパートの周りを掃き掃除をしていた大家に一時的な別れの挨拶を済ませ、駅に向かって歩き始める。

 九時五十分頃に人と車で賑わう駅に着くと、駅の入口付近に、例の小柄な老人が柱にもたれてキセルをふかしながら待っていた。


「あっ、いたいたー! おはようございまーす!」


「おお、待っていたぞ花梨」


 花梨は、まだお互い自己紹介をしていないのにも関わらず、小柄な老人から自分の名前が出てきたことに対し、不思議に思いながら話を続ける。


「あれ? おじさん、私の名前知ってたんですか? まだ自己紹介はしてなかったハズですけど……」


 それを聞いた小柄な老人は、思わず「あっ……」と顔を強ばらせながら声を漏らし、なにか思案するかのように目が泳がせ、ゴホンと一度咳払いをしてから答えた。


「あー、そのー……。そう、お前さんが住んでいる家の大家とワシは昔からの知り合いでな。よく会ってはお前さんの話を聞かせてもらってたんだ」


「へー、そうだったんですねぇ」


 小柄な老人は、ため息をつきながら腕でひたいの冷や汗をぬぐい取り、気を取り直しながら「それじゃあ案内するからワシに着いてこい」と、花梨を誘導しながら駅内へと入っていった。

 それに続いて花梨も後を追うと、小柄な老人はキセルをふかしながら我が物顔で構内を進んでいく。


 そのまま駅のホームに向かうかと思っていたら、とある駅事務室の前で立ち止まり、中に入ろうとしていたので、花梨は、「んっ?」と声を漏らしながら小柄な老人に声をかけた。


「あれっ? 駅事務室になんか用でもあるんですか?」


「ああ、大いにある。この中を通って駅のホームに行くんだ」


「……えっ?」


「行けばわかる、いいから着いてこい」


 花梨は首をかしげて、駅事務室の先に駅のホームなんかあったっけ? と、考えながら駅事務所に入り込んだ。

 中に入ると、花梨達の姿を見ながらニヤニヤと不気味に笑う三人の駅員が椅子に座っていた。


 目は帽子で隠れていて口と鼻しか見ることができず、花梨は気まずいながらも駅員達に無言で軽く会釈をし、横を通り過ぎようとした矢先、駅員の一人が小柄な老人に向かって喋りかけてきた。


「ほ~う、そやつが例の人間か?」


 駅員に親しそうに話しかけられた小柄な老人は、その場に立ち止まり、喋りかけてきた駅員に鼻で笑いながら返事をした。


「そうだ、ワシの所で仕事の手伝いをさせた後、お前さんの所に向かわせるからな。楽しみに待っていろよ、かえで


「ふふっ、すぐに逃げ出さなきゃいいがのぉ」


 二人のやり取りを聞いていた花梨は、向かわせるって、私のことを言ってるのかな? どこにだろう。ってことは、この人も温泉旅館で働いているのかな? と、思いながら歩き始めた小柄な老人の後に続く。

 駅事務室の奥にある扉を開き、岩の壁でできた狭い通路を歩いていくと、誰もいない薄暗く湿った駅のホームにたどり着いた。


 電車は既にホームに停車しており「秋国あきぐに行き」と表示されている。


「うわぁ、本当に駅事務室の奥に駅のホームがあった。……んっ? 秋国行き? 聞いた事ない駅名ですけど、一体どこに……えっ?」


 花梨は質問をしながら小柄な老人に目をやると、先ほどまではごく普通の頭の形をしていたのに対し、今は後頭部が異様に伸びていた。

 それを見て呆気に取られ、思わず言葉が止まってしまい、途中まで質問を聞いていた小柄な老人が不敵に笑い始める。


 そして、待ってましたと言わんばかりの表情をしながらこちらを振り向き、高らかな声を出しながら花梨の質問に答えた。


「ふっふっふっ……、秋国。それはこのワシ、妖怪の総大将である「ぬらりひょん」と妖怪達が一緒に作り上げた理想郷よ! 妖怪による妖怪のためだけの国! それがあやかし温泉街、秋国あきぐにである!」


「……えっ? ぬらりひょん? 妖怪ためだけの国……へっ?」


 小柄な老人は、唐突に自分は妖怪の総大将であるぬらりひょんだと名乗り、秋国は妖怪の為の国と言い始め、それに理解が追い付かず、頭が真っ白になり状況が飲み込めない花梨は思考が完全に停止し、呆然としながらその場で固まってしまった。


「まあ、いいから来い。詳しい話は電車内でしよう。ほら、なにボサっとしとるんだ、行くぞ!」


「……えっ!? ちょっちょちょ、まっ……!」


 ぬらりひょんと名乗った小柄な老人は、花梨の腕を強引に引っ張り、電車内へと連れ込んでいった。

 それと同時に電車の扉は音もなく閉まり、ゆっくりとスピードを上げながら暗いトンネルの中へと消えていった。

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