第10話 身辺整理
現世──故郷
丘の上に咲く桜がシンボルの私の故郷は、青い空がどこまでも広がっていた。丘の桜は新緑の葉を揺らして、街を見下ろしていた。夏が近づくうるさい街で、私が向かったのは、私の家の
墓石がきちんと整列する墓地を歩き、私は手入れされた墓を見て、フンと鼻を鳴らす。
羨ましいわけではない。憎らしいわけでもない。
ただ墓周りが綺麗にされているのが気に入らない。それだけだ。
奥へと進むたびに草木は生い茂り、小さな羽虫が飛び交う雑林へと変わる。その中にポツンと立つ、大きな一枚岩を乗せただけのような私の墓。
作っておきながら、誰一人も墓参りに来てくれない、形だけの慰霊碑。そこにあるだけで満足された魂の揺りかご。和尚様も知らない私の最期の拠り所。
苔むして朽ちかけたこれが、私の最期の姿だ。こんな所にあるんなら、ここに眠る私だって来たくないと思う。
私は自分の墓に
「全てを
あるべき所へ還し給え この者に魂の救済を」
唱えたところで私は消えたりしない。私が還したのは、報われなかった過去の『私』だ。
──あなたのおかげで自分を取り戻した。あなたのおかげで私は今を進める。あなたのおかげで大事なものを知ることが出来た。
私は過去に感謝して、持ってきたお神酒を墓石に撒いた。
生きていたら、もう
アルコールの鼻を突く匂いを嗅いで、私はすぅっと空を仰いだ。
昼でも暗い荒地の墓に注ぐ、僅かな木漏れ日が私を照らした。鳥の声も風の音も、遠くに聞こえるこの場所は、現世からも隔離されたような疎外感があった。
「······助けてあげられなくてごめん。もっと早く気づけたら、私はここに眠らなかった」
酒の滴る墓石は何も語らない。
「私もさ、馬鹿だよなぁ。あの時、親を怒鳴り散らして、家出でもすれば良かったんだ。そしたらきっと、今も生きていただろうに」
酒の滴る墓石は何も語らない。
「あーあ! 外のご飯食べたかった! 私もお古じゃなくて新しい服着てさ、人気のジュースとか買ってさ、遊園地とか旅行とか行きたかったなぁ! 全部ぜーんぶ、私を認めなかった親が悪いんだ!」
酒の滴る墓石は何も語らない。
「何回百点とらせんの? 何回作文書かせんの? 馬鹿じゃね? 『お兄ちゃんは〜』とか『妹は〜』とか比較し過ぎ! だいたい、私の方が頭良かったからな。偉かったからな! 目ん玉節穴野郎共には分からないだろうけど!」
酒の滴る墓石は何も語らない。
「あぁもう最悪! 生きてたら大人になってたのに! 仕事で成功して、がっぽり稼いで金持ちになって、一人で幸せになれていたのに! ほんっと、全部ぜ〜んぶ、無くなっちゃったねぇ············」
酒の滴る墓石は何も語らない。
「··················生きたかった」
強がりが剥がれて、脆い自分が現れた。
自分の墓前で泣き崩れ、初めて死んだことを本気で後悔した。
あんな奴らのために死んだなんて、空気のように扱ったあいつらのために死んだなんて、自分のために行動していたらどんなに違っただろう。でも、もうとっくに過ぎた話なのだ。
あれから十一年も経ってしまった。私はその間に変わってしまった。何もかもが変化を遂げた。もう二度と過去には戻れない。
望月が言っていた。『死んだら誰か一人は悲しむ』なんて、そんなのホラ話じゃないか。だってその一人は自分なんだから。
──誰も来ない私の墓に、最初に訪れたのが私だなんて、笑い話にもならないなぁ。
* * *
次に訪れたのは私が生きた家だ。久しぶりに見た家は死ぬ前と変わらない。いや、少しリフォームしたらしい。壁が新しくなっている。
新車が二台、ガレージに並び、家の中からは懐かしい声が聞こえた。
「ああ、帰ってきてるんだ」
大人びているが、兄と妹の声だ。まだ覚えている。きっと今、帰省しているのだ。リビングから、しわがれた父と母の声もした。皆の声は幸せそうで、楽しそうに笑っていた。
大人になれなかった私が家の前で独り、家族の声を聞いていた。
······生きていたかつてのように。
拳を固く握って、歯を食いしばって、強い孤独感を抱いて、泣きそうな怒りをこらえて聞いていた。
誰も思い出してくれない。誰も私を覚えていない。最初から、私は家族でも何でもなかったんだ。
──そう、思い知らされる。
だが、怒りはすぐに消えた。もちろん悔しさはあるし、今だに許そうとは思わない。けれど、それ以上に家族だったものに、興味が無いのだ。
······わかっている。『恨み』が手放すべき感情なことくらい。けれど、その感情こそが私の根幹にして、今ここにいる理由なのだ。
だから私は、家を出ようと思う。
目を閉じ、感触、香り、色、大きさ······全てを再現するように思い浮かべた。目を開けると、両手いっぱいのアザミが具現化された。
それを玄関に置いて、私は深く一礼する。
「十八年間、お世話になりました」
私なりの皮肉だ。
今出来る、最大の皮肉を置いて私はその場を離れた。家族の笑い声が遠ざかる度、私の心は軽くなった。自然と足も軽やかなステップを踏む。
住宅街の角を曲がると、望月が腰に手を当てて立っていた。怒っているようなムカつく顔に、何故か安心する。私は望月の腹に軽く拳を当てた。
「············見てたぞ」
「千代姐にチクるぞストーカー」
「やめろ。まだ死にたくない」
「馬鹿言え。もう死んでるだろ」
いつもの会話に自然と頬が緩む。望月も安堵したのか、私の頭を撫でて微笑んだ。
「アザミにはどんな花言葉があるんだ?」
「あー、『触れないで』とか、『安心』とかあるけど、今回は『独立』かなぁ。ある意味縁切りだからな。私も独り立ちするって、もうお前らと関わんねーよって」
「おや? 『復讐』なんて意味もなかったか?」
「あるとも。でもそれはスパイス程度に」
望月は「やるじゃないか」と笑った。私は褒められたことを素直に喜んだ。
ふと望月が行きたい所がある、と言った。
私は望月の後ろをついて行った。望月はちょっと意地悪な顔をしていた。
***
望月が行きたかったのは、駅前のアーケード街だった。
服屋で呼び込みをするバイト、つまらないニュースばかりを映す電気屋、活気のある、明るい所だった。
ケータイを片手に、慌ただしく走っていくサラリーマンを見送り、私はそっと電気屋のショーケースに触れた。
「
「バーカ。もうやんないし」
望月は呆れながらも嬉しそうに私を見ていた。私もショーケースの向こうのテレビを見て、懐かしい気分になる。
ここは初めて望月にあった場所だ。
このアーケード街を破壊して、生者に被害を出した私に、望月が声をかけた。
それが全ての始まりだった。
その時、私は望月を無視して去った。
騒動の後、住宅街での破壊行動を止められて、成仏させてやるって言われたんだったか。でも名前を思い出せなくて、霧の里に連れていかれた。
望月たちとの思い出は死後十一年と言う割にはほとんどない。地獄にいた期間が長すぎたのだ。それでも、ここはよく覚えている。
懐かしさがこみ上げて、私は胸が熱くなった。
「なぁ望月ぃ、誰かを恨んでも良かったんだな」
私の口から出たのはそれだ。感謝するわけでもなく、過去を語るわけでもなく、私が抑えていた感情の問いかけ。望月は深くため息をついた。
望月は怒っていない。ただ、私がまだ心を抑えていたことが苦しいだけだ。私はフッと誤魔化すように笑った。
「人を恨まず、分け隔てなく救い、皆を愛し、皆に愛される者となれ。それが俺が世話になった、和尚様の口癖だ」
堅物の望月はそう答えた。無論、そう返ってくるのは知っていた。望月はそういう奴なのだ。
私は「そうか」と呟いた。望月はうぅむ、と唸って頭をかくと、少しつけ足した。
「だがな、皆がみな、そんな聖人君子になれるのなら、仏は必要ないだろう」
望月は眉間にシワを寄せた。悩ましげに頭を掻きながら、話を続ける。
「そんな事が出来るならとっくにしている。だが俺たちは人間だ。怒ったり笑ったり、泣いたりだってする。俺たちには感情があり、心があるからだ。それらがある限り、誰かを愛することもあれば、恨むこともある。······高潔な心を持っていた和尚様も、最期は世を恨んで亡くなられた。霧の里は、誰かを恨んだ人間が集う場所。それが知人や他人、家族だっている。どんなに親しい人だって許せないことの一つや二つ、あって当然だろう」
───長い。長すぎて、何が言いたいのかが全くわからない。
私が望月に視線を送ると、望月は難しい顔で「まぁ、要はアレだ」と簡潔にまとめて言い直した。
「愛することが当たり前なように、恨むことも当たり前なのだ。──お前は、間違っていない」
望月がきっぱりと言い切った。師匠とは名ばかりの喧嘩相手が、今だけは頼りがいのある大人に変わった。
(······そうか。間違ってなかったんだ。恨んでもいい。嫌ってもいい──!! それが当たり前なんだ!)
「望月! 帰ろう! いいこと思いついた!」
私の心が晴れ渡る。久しぶりに胸に陽光が差し込んだ。望月は自分の返答に不安を感じていたが、私の表情に胸を撫で下ろした。そして私の腕を掴んで走り出した。
「何をしている。仕事が残っているぞ!」
「うるせぇな! それを終わらせに行くんだよ!」
望月に負けない速さでアーケード街を駆け抜けた。少し入り込んだ道を駆け、神社に飛び込んで霧の里に帰る。
望月の手は力が強く、私の腕が折れそうだった。その痛みが何故か嬉しくて私は振りほどかずについて行く。
霧に包まれた里に着くと、望月が「おかえり」と言った。私は望月を鼻で笑った。
「何回も返しただろうが」
「────ただいま」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます