第8話 現代っ子の亜種退治

 詩音はとても優しい娘だ。


 死んだ時期が違うにしても、私と同い年だというのに気配り上手で、健気な娘だ。


 だが夜中になると、とんと姿を見なくなる。


 喉が乾き、水を飲みに部屋を出ると、詩音の部屋の戸が開いているのをよく見かけた。


 布団はきちんと敷かれているのに、寝た形跡がない。


 足音も微かに聞こえるが、すぐに消えてしまう。


 詩音を探しに行ったこともあるが、明け方になっても詩音の行方はしれぬまま。


 彼女はまるで、昼にしか存在しないかすかなもののようだった。


 ***


 霧に包まれた代わり映えのしない日常を繰り返す里で、詩音は今日も望月から、祓い屋の術の手ほどきを受ける。今日は札を書き方から使い方までを教わっていた。外で望月が立てた的に爆破札を当てる修行は上々な出来だ。

 詩音の見事な連発命中に、望月の機嫌はすこぶる良い。



 それに比べて私はどうだろう。

 昨日壊した自分の部屋を、たった一人で黙々と建て直すだけ。昨晩、私が屋敷に帰ってきても望月の態度は変わりなく、なんの合図もなしにまた、冷戦状態に陥っていた。




「やっぱり帰ってこなきゃ良かった」




 詩音にばかりかまける望月に呆れ、私は釘を打ちつけながら呟く。望月の褒めちぎる甘ったるい声も、詩音の純粋な喜びも煩わしくて、私は腹が立ってきた。

 二人の声が聞こえるところに居たくなくて、まだ半分も直していない部屋の修理を放り出し、私は里へとくり出した。行き交う人で賑わう大通りに向かい、八百屋に立ち寄る。


「お富さん、リンゴちょうだい。一つでいいから」


 私は店主のお富に声をかけた。しかし、お富は瓦版を読んでいるせいか、私に顔も向けない。私はもう一度声をかけた。お富はこちらを見もせずに、深いため息をついて瓦版を置いた。


「65円ね」


 無愛想な声が返ってきて私は代金をお富の側に置いた。私と入れ違いに入った客が声をかけると、途端にお富の声が高くなる。さっきまでの愛想のなさが嘘のようだ。

 でもそんなもんか、と私は無理やり納得して、リンゴをかじった。




「ちょっと······」




 何となく現世に行こうと思い立ち、里の門に手をかけたところで、男が声をかけた。

 前に女郎蜘蛛から助けた定吉だった。

 彼はキョロキョロと周りの目を気にしながら私の腕を引く。私も腕を引かれるまま、定吉について行った。


 定吉は私を狭い長屋の陰に連れてくると、周りを確認し、黙って小さな包みを差し出した。


「父ちゃんが、『礼はしなくていい』って言ってたけど、ちゃんと渡さないとって思って」


 父親に比べて律儀な定吉に渡されたのは、ずっしりと重い物が入った包み。ほんのり温かいことと触った感覚から、中身が大体予想出来た。



「お握り······?」

「多分、今望月さんと喧嘩してるのかなって。喧嘩してる時はよくお富さんトコで果物買ってるの見るから」



 ──知ってたのか。というか、見られていたのか。


 確かに冷戦中は食事から何から全部自分でやる。だが、大概冷蔵庫の中身は全て使い切られてしまうので、どこかで買うしかない。

 それなのに、私の給金は望月達に比べるとかなり少なく、毎日飯を買うとすぐに底尽きるのだ。そう考えると、食糧を貰えるのはとてもありがたい。私は素直にお握りを受け取った。


「ありがとう。······あっ。あのさ、蜘蛛の糸引っかかってたりしない? あいつ、気に入ったものに細い糸結んでおく癖あるから」

「糸? んーと······ない。大丈夫」

「なら良かった」


 私は定吉に背を向けて門の方に足を踏み出した。詩音と違って無愛想で、優しくない私とは話したくないだろう。だからさっさと彼のそばを離れたかった。けれど、定吉は少し大きめの声で、はっきりと言った。



「俺、あの詩音っていう子、あんまり好きじゃない。奏さんの方がずっと優しいよ」



 私の背中を撫でたその言葉が、じわじわと心を包み込んだ。こんな嬉しい言葉をかけてもらったのは、何年ぶりだろうか。滅多に得られない温もりに、力が抜けそうになる。甘えてしまいたくなる。だが──




「お世辞ありがとう」




 私はそれを受け取れない。いや、受け取ってはいけないのだ。


 ***


 浄蓮の滝──滝付近の森


 私は耳を澄ませ、神経を尖らせる。聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の音を聴き、慎重に追っていく。

 地面の草を踏む音がうるさい。吹き抜ける風に揺れる葉も鼓膜に響く。それくらい聴覚に力を入れているというのに······──



「痛い! 朝日野さん、気をつけて。この辺りの葉っぱよく切れるよ」

「ねぇ何でいるの」



 私の後ろをついてくる詩音は、歩き慣れないのかあちこちに服を引っ掛けては、きゃあきゃあと悲鳴をあげる。それが気になり、全く以て仕事にならなかった。

 私は詩音の引っ掛けたスカートを外してやり、詩音の肩を掴んで自分に向けた。


「もっかい聞くよ。何でいるのさ」

「もっ、望月さんが朝日野さんについて行きなさいって」



 ──やっぱりあいつか。クソジジイ。


 望月は本当にろくなことをしない。

 私が「酒呑童子が忠告した」、「里に置いておくと危険だ」、「皆を危険に晒せない」と何度も言ったのに、今こうして私に詩音の面倒を見させている。

 聞く耳を持たない師匠は本当に師匠と言えるのか。私は呆れてものも言えなかった。


亜種デミ退治にはまだ早いんじゃない? お前、式神持ってないじゃん」

「朝日野さんは持ってるけど使えないって、望月さん言ってたけど。使わなくても退治出来るコツがあるんじゃないの?」


 なんて余計なことを······──


 いちいち苛立っていても仕方ない。私は再び耳に集中して居場所を探る。遠くで鳴る雑音を拾い、ちょっとずつ近づいていく。

 音が近づいてきた。きっと相手は気づいていない。奇襲をかけて退治する作戦を実行しよう。


 ──そう考えていた時だった。





「はっくしょん!」





 詩音のくしゃみが風に乗って遠くへ運ばれる。遠くの雑音が大きく揺らぎ、そのままとてつもない勢いで近づいてきた。



 作戦変更──本能で動け。



 生い茂る草を切り捨てて近づいてくるカマイタチは、風刃を飛ばして私たちに襲いかかった。私は護符で結界を張り、詩音を遠くへと逃がそうとする。しかし、詩音は頑として動かなかった。


「朝日野さんを一人に出来ない!」

「いいから行けってば! 危ないんだってば!」

「私だって祓い屋の修行を受けたんだもん! 出来る!」


 詩音はそう言って、私の前に出ると、カマイタチに爆破札を投げつけた。奴がひるんだ隙を突いて、退魔の札を投げつけようとしたが、カマイタチが暴れて振った鎌が詩音の脇腹をかすった。

 痛みに顔を歪めてしゃがんだ彼女を狙い、カマイタチの鋭く光る鎌が振り上げられる。私は詩音に手を伸ばした。


 詩音は頭を腕で覆って叫ぶ。私は彼女の襟首を引いて、その鎌を蹴り飛ばした。体勢を崩したカマイタチの頭を狙い、詩音の肩を足場に、更に回転蹴りを叩き込むと、奴は地面を滑って動かなくなった。




「だから言っただろうが! お前がいたら私の力が発揮出来ないんだよ! 足でまといなんだって!」




 私は涙目の詩音を、感情に任せて怒鳴りつけた。

 腹が立つ。イライラする。自分の力量も分からないくせに。己を過信して前線に立つような奴ほど、使い物にならない。

 詩音は頑張って言い返そうとしたが、何も思い浮かばなかったのか、大人しく私の後ろに下がった。私は「そうしてろ」と吐いて、カマイタチを睨みつける。


 ──これでようやく本気を出せる。

 私は両手を合わせ、精神統一してあの一言を放った。



「この度はお悔やみ申し上げます」



 よろけながら立ち上がるカマイタチに、私は煙札けむりふだを投げつけた。相手は風の亜種妖怪だ。すぐに振り払うのは分かりきっている。それでも私は煙札を投げ続けた。奴はうざったそうに煙を払い、私をじっと睨みつける。

 ──いいぞいいぞ。そのまま見ていろ。お前の相手は私一人だ。



「追ってこれるもんなら追ってこい! お前の足でも日暮れには捕まえられるだろ!」



 安い挑発に乗ったカマイタチが、奇声を上げて私に迫ってくる。私は望月との喧嘩で鍛えられた、自慢の脚力で軽快に森の中を駆け抜けて、カマイタチをある所へ誘導する。鬱蒼とする樹木ばかりの空間から、光の満ちた世界へ──


 私が誘導して出た先は川だった。滝の音も近い。カマイタチは私を捕まえられずに怒り狂っていた。攻撃が単調になってきた。私は滝の近くまで誘導する。

 川に体が足が浸る。カマイタチも川に乗った。そうなれば私の勝ち。

 あとは私の十八番おはこを一発決めるだけだ。



「全てを穿て 全てを壊せ

 清廉なる水の祝詞のりと

 邪悪の一切を奈落に流せ」



 水がうねり、待ちきれないように騒ぎ立てた。私が手を浸してやると、水は龍のようにうねり、はねて、カマイタチを包み込む。


「川に流れる水は石も削る 削れた川石はどこに行くや

 川に流れる水は悪も砕く 砕けた悪はどこに行くや

 清めよ清めよ光を纏い 心の臓が冷え切るまで

 安らげ安らげ水の音に 精霊が浄土に誘うまで」


 私は川に唄を捧げ、水の力を増幅させた。水は量を増し、流れを速め、カマイタチを水の球に閉じ込める。激流の球の中でもがくカマイタチからは、削られるように黒い液体が流れ出し、カマイタチの形が無くなる頃には、白い球体になって地に落ちた。



「ご冥福をお祈りします」



 私が手を合わせると、ふと視線を感じた。浄蓮の滝では精霊が不満そうに私を見つめていた。よく見ると女郎蜘蛛もいて、私の方を向いている。

 だが微妙に、見ているその視線はズレているような気がした。

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