第17話 野外練習①

翌朝、早朝からの練習に出向いたラシェルは、訓練室にすでにザックが来ていたことに驚いた。


「ザック! ちゃんと来てくれたのね」

「……何だよ、開口一番。俺が来ていたら悪いのかよ」

「う、ううん。そういうことじゃないけど、てっきり、逃げ出したかと……」


 昨日、あんな事があったのだ。短気なザックがよく立ち直ってくれたとラシェルは内心安堵した。


「それに、まさか私より早くに出仕しているなんて、吃驚しちゃって」

「仕方ねえだろ。……あのサイラスの野郎に、『真面目に練習しないと、また特別講師に単独講習をしてもらうことになる』って言われたからな……」

「え……ええっ?」


 特別講師とは、他でもないモルナーのことだろう。

 昨日、モルナーに引きずられて行ったザックだったが、どうやらただお酒の相手をさせられただけでなく、手取り足取り濃密な単独レッスンを受けたようだ。

 その成果が出ているのだろうか。初日は我武者羅に太鼓を好き放題叩くだけだったザックが、今日は的確なリズムを刻むようになっている。


(モルナー先生にはザックをあてがってやる気にさせる一方で、ザックにはそのことをダシにして練習への意欲を向上させるなんて……流石はサイラスさん……)



 思わず感心すると共に、ますますザックが憐れに感じてしまう。


「そんなわけで、これから俺は猛練習するからな! お前も付き合えよ!」

「え、ええ! もちろん!」


 何はともあれ、ザックがやる気を出してくれるのは、騎士団にとってはありがたいことだ。

 ラシェルも慌ててハープの用意をして、ザックの近くに椅子を置いて腰かけた。


「それじゃあ、この練習曲をやってみましょうか。私が伴奏を弾くから、一緒に叩いてみてくれる?」

「いいけどよ、練習曲って短くてすぐ終わっちまうから、つまらねえんだよな。どうせなら、いつもお前らが弾いてる、もっと長い曲をやろうぜ!」


 自信満々に要求してくるザックは、なんだかんだで太鼓を叩くことを楽しいと思い始めているようだ。彼の性に合っていたのかもしれない。


「え、でも、あれは子守歌だから、打楽器は合わせにくいんじゃ……」


 やる気を出してくれているザックの要望を通したいものの、そういうわけにもいかずに困り果てたところに、カチャリと訓練室の扉が開いた。

 振り返ると、そこにはサイラスが立っていた。


「二人とも、集まっていたか。丁度いい。先程、アルベルトが新曲の楽譜を完成させた。これからはこの曲を進めてくれ」

「えっ! 本当ですか?」


 なんてナイスタイミングなのだろう、と喜ぶラシェルに、サイラスが手にしていた楽譜を渡してくれる。

 ざっと譜面を流し読みすると、前回の曲より曲調が早くなっているために、難易度もまた上っていることがわかる。


(でも、何だか元気が良くて、楽しそうな曲……)


 そう思うと、なんだかワクワクしてきた。


「そういえば、団長はどうなさったんですか?」


 てっきり満面の笑顔で元気よく楽譜を持ってくると思っていたのだが、アルベルトの姿は見えない。


「あいつは、昨日やる気を出してまた徹夜で編曲作業をやっていたようだったからな。さすがに寝るように忠告してきた」

「えっ……徹夜って、もしかして……モルナー先生と一緒に夜を明かしたってことですか!?」


 イケメンを前にして色めきだったに違いないモルナーと共に夜を過ごすなど、アルベルトの貞操は大丈夫だったのだろうか……と口を引きつらせたラシェルに、サイラスが肩をすくめて言った。


「心配する必要は無い。むしろ、モルナー殿の方が『疲れた……もう勘弁して……』とげっそりしていたほどだったからな。想像してみろ。音楽を作りたくてたまらないアルベルトのハイテンションに、一晩中付き合わされるんだぞ。変な気を起こす暇があると思うか?」

「う……それは確かに」


 こうなってくると、むしろ、モルナーに同情したくなってしまった。

 きっと今頃、徹夜で編曲作業をさせられて、アルベルト以上に疲労困憊なはずだ。


「ザック・タンブロス。これはお前の分だ」


 サイラスはザックにも楽譜を渡そうとしたが、それをザックが片手で遮るようにして断った。


「要らねえよ。俺は楽譜が読めねえからな。実際にお前らに弾いてみてもらって曲を覚えて、それに合わせて太鼓を叩くだけだ」


 ザックが楽譜を読めなかったという新事実にラシェルが驚いていると、サイラスはほう、と片眉を上げた。


「お前が俺たちに合わせるなどという芸当が出来るとは知らなかった。だが実際、楽譜を読めなくとも、一度聴いた曲を楽器で再現できるような優れた音感を持つ音楽家も居るというからな。お前はそんな人々とは違って絶対音感は持っていないだろうが、野生の勘だけは人一倍持っていそうだからな。好きにするといい」

「お前、今、さりげなく俺のことをけなしていなかったか?」

「そう聞こえたか? 俺は事実を述べたまでだが」


 ふっと意地悪気な笑みを浮かべたサイラスに、ザックがむすっと頬を膨らます。


(相変わらず、犬猿の仲だけど、圧倒的にサイラスさんの方がザックの手綱を握ってる感じがする……)


 だが、サイラスはそんなザックを一向に気にした様子もなく、とんとんと書類をまとめると「それでは練習に励めよ」と言い残して立ち去ってしまった。

 ザックは近くにあった譜面台を荒々しく蹴り飛ばした。


「くそっ……馬鹿にしやがって。いけすかねえ野郎だ」


不機嫌な表情のままサイラスの去った扉を睨みつけながら、ラシェルに投げやりな口調で声をかけてきた。


「おい、ラシェル。今日は中庭で練習しようぜ」

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