第20話 初めての任務地③

 魔獣の大きく鋭い爪がアルベルトの身体を薙ぐ。


「だ、団長!」

「アルベルト!」

「くっ……」


 苦し気な声を上げながらも即座に体勢を立て直す。その隙にサイラスが割って入り、魔獣からの次なる一撃を防いだ。

魔獣から距離をとったアルベルトが、振り返ることなく叫んだ。


「サイラス……! 君の得意の横笛で、一曲頼むよ。子守唄にぴったりの素敵な音楽をね」

「こんな状態でやるのか⁉」

「頼むよ」

「ちっ……了解した」


 サイラスからの返事を聞くがはやいか、アルベルトは腰から下げていた棒――女神から賜ったと言っていた指揮棒を手に取り、大きく振り上げた。


「さあ、素敵な音楽会の始まりだよ!」


 軽快に指揮棒を振り始めるアルベルトを見定め、魔獣が再び襲い掛かろうと腕を大きく振りかぶる。


「だ、団長!? 何を……!」


 驚愕のあまり目を大きく見開いているラシェルを尻目に、アルベルトは指揮棒を振り続ける。その動きはまるで虚空に紋様を描いてるかのようにも見える。

 すると、サイラスもまた懐からおもむろに横笛を取り出した。

 その笛を口元まで運ぶと、軽やかな手つきで指を滑らせた。

 美しくも優しい笛の音色が溢れ出す。


「うん、良い演奏だ。さすがだね」


 にこやかに微笑むアルベルトの爽やかな笑顔は、戦々恐々としたこの場の雰囲気に全く似つかわしくない。


 アルベルトの指揮棒が刻むリズムに合わせて、サイラスが音楽を奏でていく。

 次第に、まるで音の粒子を拾い集めるかのように、指揮棒が光り輝き始めた。

 その光の軌跡は、まるで魔法陣の様な形状をしている。

 直後、アルベルトがよく響く声で、音楽に合わせて歌い始めた。


『眠れ 眠れ 猛りし者よ

 眠れ 眠れ 怒れし獣よ

 汝は母の子

 我らは母なる女神の子

 眠れ 眠れ 母の腕の中で

 眠れ 眠れ 心安らかに』


 荒廃した村に響くアルベルトのテノール。観客はただ一人――自我を失った少年のみだ。

 すると、魔獣が急に激しく身悶え始めた。

 魔獣の身体から、じわりじわりと、黒い靄がゆっくりと湧き上がり始める。

 いや。魔獣に取り憑いていた黒い靄――すなわち邪念が、苦しみもがきながら追い出されるように、次第に抜け出してきている……という表現の方が適切かもしれない。


「こ、これは……」


 呆然と見守るしかないラシェルの目の前で、尚も演奏は続く。


『溢れよ光  眠れよ闇

 優しき女神の 暖かき光

 傷つきし汝が子を 癒し給え

 哀しき獣を 鎮め給え

 悪しき魂を 清め給え』


 サイラスの奏でる優しげなメロディーに乗せて、アルベルトが紡ぐその子守唄が、少年を魔性化させていた闇の力を浄化していく。

 やがて、アルベルトが詩を最後まで歌い上げ、満足げに瞳を伏せて息をついた頃には、魔獣となっていたはずの少年は元の人間の姿へと戻り、その場に力無く倒れ伏していた。


「す、すごい……」


 その場で蹲ったまま思わず声を漏らしたラシェルに、振り返ったアルベルトがにこやかな笑みを向けて来た。


「嗚呼、とても楽しい音楽会だったね! サイラス、見事な演奏だったよ。次回は是非ラシェル君も……」


 そこまで言ってから、アルベルトの身体がぐらりと大きく揺れた。

 そしてそのまま――地面に倒れ伏した。


「だ、団長――!?」


 ラシェルが驚いて叫んでいる間にも、サイラスが咄嗟に駆け寄り、アルベルトの様子を確かめる。


「……出血がひどいな。傷が広がってきている」

「え!?」


 見れば、確かにアルベルトの白いマントに、真っ赤な鮮血が滲み始めていた。


「まさか、さっき私を庇った時に……」


 愕然としたまま動けなくなったラシェルに、サイラスの叱咤が飛ぶ。

「しっかりしろ! 今は立ち尽くしている場合じゃないだろう! 今は原因を追究するよりも、一刻も早く戻ってこいつの手当てをする方が先だ!」

「あっ……」


 サイラスの厳しい指摘に、ラシェルは青ざめながらも慌てて頷いた。


「倒れている少年を回収して、祠に戻るぞ」

「は、はい……」


 サイラスの冷静かつ的確な指示に追い立てられるように、ラシェルはふらふらと立ち上がった。

 だがその心の中は、後悔で満たされていた。


(私がもっと、しっかりしていれば……)


 失血で気を失ったアルベルトを馬に乗せようとしているサイラスを手伝いながら、己の手についたアルベルトの血が、ラシェルの心を一層苛んだ。

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