第33話 約束の晩


次の日、

真雪が朝霧の屋敷の前を訪れると、昨夜の少女が心細げにひとり佇んでいた。


朔姫のあずかり知らぬことだとは思いつつも、ほのかな期待が熱を帯びて胸の内に灯るようだった。


昨日と同じ、縹色の直衣を身につけたのも、そうすれば同じ夜が過ごせるかもしれないと考えたからだ。


対する少女も、丈の短い袙に袴をはいている。

でもどこか、様子が違うような気がした。


その違和感が何なのか分からないうちに、真雪は話しかけた。



「来てくれたのですね」



少女は肩を震わせ、何も喋らない。

冷たい夜風が頰を刺すようだった。



「ここでは目立ちますから、少し歩きましょうか」



馬に乗ってこればよかったと真雪は思った。

そうすれば、少なくとも馬上で話すこともできたはずだ。

真雪がそう思いながら歩きだそうとした時、

少女はいきなり言った。



「それには及びません」



断定的な、強い声音だった。


真雪は足をとめ、後ろにいる少女を見返した。

咄嗟に言葉が出なかったのは、ただ単純に驚いていたからだ。


それは、昨日屋敷のなかで近くに聞いた声と、明らかに違っていた。



「私は、姫さまの質問を預かってここにいるだけです。佐さまの見た夢とは、どんな夢だったのかと」



ハキハキした口調で、少女はそう言った。

真雪は、やっと最初に感じた違和感のわけを知った。


そもそもが、まったく別人だったのだ。

昨日の侍女は、——おそらく仲間内で、夜の密会を持ちかけられたことを相談したのだろう。


それで別の侍女が、ここに出向くことになったのだ。

裏切られたような気もしたが、それならそれで構わないと真雪は思った。


一介の宮人とはいえ、よく知らぬ男と表で会うなど、警戒して当然のことだからだ。



「昨日の方とは、違う方ですね」



すぐには答えたくなくて、

はぐらかすように真雪はそう言った。



「朝霧さまには内密にしてらありますので、ご安心下さい。でも今夜ここに来たのは、佐さまが分別のある方だと朝霧さまがおっしゃっていたからです。

姫さまの伝言を預かるのに、侍女が誰であろうと全く問題のないことと思いますが」



真雪の言葉に対し、目の前の少女は一息にそう言った。

これはますます別の人だと、真雪はおかしくなった。


むしろ侍女としてむいているのは、この少女の方だろう、と思う。

物怖じしない態度は大人びていて、生意気に聞こえるのに憎めなかった。



「夢については、昨日お話したとおりです。他に何か質問はありますか」


「姫さまは、自分が幼い頃のことをとても知りたがっているのです。どうすれば記憶が戻るかご存知ですか」



間髪入れずに、少女はそう言った。

それは彼女自身の問いでもあるのだろう。

真雪は黙考した。

何か答えがあるわけでもない。

ただ自分の知っていることを話すことがどこかに繋がる気がして、真雪は思いつくままを少女に言った。



「消えた玉かずらの行方が分かれば、あるいは何か思いだされるかもしれません。それは姫君の母上の形見なのですから」



少女が何も答えないので真雪が行こうとすると、

もう一度声がした。



「姫君は、月影神社に行きたがっています。そうすれば、思いだせることがあるかもしれないと」



真雪は振り向いた。

そうすれば、宮司の高麻呂はきっと喜ぶだろう。


しかし、同時に命婦の言ったことも頭のなかをよぎった。

今、月影神社を訪れて大丈夫なのか。

絶対に安全とは言い切れない。


更衣を呑み込んだものが本当に龍穴ならば、そこには戻れない神域が開いてるはずだった。


だが、——自分がいれば少なくとも側近くで守ることはできる。

そう思い、真雪は言った。



「私は右兵衛府に勤めています。姫君の頼みとあらば、月影神社までいつでもお連れしましょう」



それを聞き、少女は驚いたように目をまるくした。



「佐さまは場所をご存知なのですか」


真雪は簡単に答えることにした。


「以前、何度か。そこの宮司と私は知り合いなのです」



真雪は、そこで話を切り上げた。

姫君が御所に移る日は近いだろう。


真雪は夜露に濡れないよう、指貫の袴の裾を持ち上げると、行きに来た道を引き返していった。

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