第16話 昔語り


ここ数日、身辺に気をつけていたが、

「月読」が真雪の行動を逐一監視しているとは思えなかったし、あの社が隠密を囲っているというのも不自然な話だった。

あの時、真雪はたまさか姿の見えない「月読」と出くわしたのだ。

そうとしか思えなかった。


その証拠に、以前辿った道を馬で駆けていくさなかにも追手はかからなかった。

かちではなかったことと、一度訪れたことのある場所だっただけに、到着は早かった。




馬を木の幹のひとつに繋げた後、鳥居の先に、ひとつの人影を見て真雪は立ちどまった。

竹ぼうきで落ち葉を掃き清める音が、静かな山のなかに響いている。

相手も真雪に気づいたようだった。

宮司は、真雪を前に軽く会釈して言った。



「確かあなたは、前にもここに来られた……」



あの時、世話になった人だと分かると、真雪も頭を下げた。


右兵衛佐うひょうえのすけ真雪と申します」



正体を偽ることも忘れて、真雪はそう言った。

宮司は、供人もつけずに山中の社を訪れたのが、宮人と知り驚いたようだった。



「どうしてまた再びこのようなところへ……」



真雪は、単刀直入に話を切りだした。



「聞きたいことがあって訪ねたのです。この社ゆかりの更衣をご存知ですか」



その言葉に覚えがあるのだろう。

宮司はしばらく沈思した後に言った。



「なかへお入り下さい。狭いところですが、それでもよろしければ」




***



「そなたが言ったのは、『白珠の更衣』と呼ばれた方ですね」



通されたのは、前と同じ家屋の一室で、座に直るなり宮司は口火を切った。

真雪が頷くと、宮司は続けて言った。



「その方のことは、よく存じております。何でも、類まれなる寵愛を受けられたとか」


「その方には五つくらいの姫君がいたのです。それはご存知ですか」


「実際にお姿を拝見したことはありませんが……伯母上おばうえが生きていれば、どんなに喜んだだろうと思います」


「伯母上というのは……」


「大分年が離れているのですが、私はその更衣の従兄弟いとこにあたるのです」



もしかしたら血縁の者がいるかもしれないと思ってはいたが、この人は姫君の遠い親戚なのだ。

それならもっと詳しい話を聞けるかもしれないと思い、真雪は踏み込んで言った。



「何でも、ここにあった玉かずらを献上されたとか」


「あの玉かずらは、拝殿の神座かみくらに古くから祀られていたものです」



宮司はそう言ったきり、何かを考え込んでいる様子だった。だんだん西に傾く陽の光が、格子の隙間から斜めに漏れている。


宮司はしばらくすると、また口を開いた。



「今更になって申し上げにくいのですが、あの玉かずらは、本来この地に奉納しなければいけないものなのです。

更衣の君が病の床に伏されたと人づてに聞いた時、私は神罰が下ったのだと恐れました。

玉かずらに宿る、月代つきしろの大蛇の怒りを買ったのだと」



——月代の大蛇。


朝霧の女房も、そう言っていた。

それが玉かずらに宿る神霊だと。




「もう取り返しのつかないことだということは分かっています。でも、あなたが力になって下されば、どんなに心強いか」



真雪は何も言わずに、視線を受けとめた。

宮司は、やや強い口調で言った。



「どうか、かの玉かずらを見つけてはくれませんか」


「しかし、今どこにあるのかは……」


宮司は首を振った。


「分かりません。それは誰にも分からないのです。しかし私は、更衣となられた方が姫君に託したのではないかと思っています。その姫君なら、その在り処を知っているのではと」


「しかし、その姫君は……」



行方不明なんだ、と言おうとするよりも先に宮司は続けて言った。



「その姫君は、数年間ずっと大原に近い屋敷で住んでいました」



思わぬ告白に、真雪は一瞬耳を疑った。

大原というと都からは大分北の方だが、馬で駆ければ行けない距離ではない。



「しかし、今は『月読つくよみ』という者に匿われています。詳しいことは、知りようもありません」




『月読』——

真雪はその名を、ふたたび胸にとめた。



「その者がここを訪ねたことはあるのですか」



先日の一件を思い出して真雪は尋ねたが、宮司は首を振った。



「誰が『月読』か、知る者はおりません。よしんば訪れていても、私には分かりますまい。

そのうち姫君は、都へ向かうでしょう。そうなれば、白珠の更衣の二の舞になってしまう。

私は、それだけはどうしても避けたいのです」



真雪は押し黙った。


それがもし真実であるならば、

『月読』は、宮人の——おそらく位の高い誰かなのだろう。


その玉かずらは、もともとすめらぎへ献上したものだ。

それをここの神座に納めるということは、既に禅譲した朱雀帝の本意に反することになる。

もとは、かの姫君に興味を抱いた照臣——強いては、仄めかされた主上の思いを致してしたことに過ぎない。



しかし——いつのまにか、

真雪は、その姫君を救いたいと思っている自分に気がついた。

引き返そうと思えば、いつでも引き返せただろう。

その選択を否とした時に、

真雪の心はもう決まっていた。



「その姫君と、玉かずらの行方を追いましょう」



宮司は、感無量の面持ちになって言った。



「申し遅れました。私の名は、讃岐高麻呂さぬきのたかまろといいます。

今、姫君のいる場所は分かりませんが、良ければ大原にあった屋敷を訪ねて下さい。姫君の侍女が、まだそこにいるかもしれません」



真雪はうべなった。



「きっとそうしよう。最後に聞きたいことがあるのだが、その玉かずらとは、どういうものなのだ」



宮司——高麻呂は、わずかに声をおとした。



「嘘か誠か、その玉かずらには、回春かいしゅんや延命の力があるという言い伝えが、古くからありました。

この社の月影という名も、古来から信じられた月の霊力に依るものと言われます」



「もし——その力を使ったら、どうなるのだ」



真雪に対し、

高麻呂は厳かに告げた。



「それは人としてののりを越えることです。

その力を誤って行使したあかつきには、すべての記憶がなくなると言われています。今までのことを、すべて忘れてしまうと」


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