1-3: X

黒田くろださん、ちょっとそこで見てて下さい」

 ワークステーションの前に座っている黒田くろだ あゆむに、後輩が声をかけた。

「ん? いいよ。何でもしな」

「行きますよ。ほら」

「なに? なにも起きないよ?」

「あれ? ちょっと来てもらえます?」

 黒田 歩は、向かいにあるワークステーションに、二人の後輩が今、使っているワークステーションへと向かった。

「これ、隣のワークステーションを見ててください」

「うん」

 黒田 歩が答えると、 片方のワークステーションのバックグラウンドが書き換わった。

「黒田さんの方、こうなりませんでした?」

「ちょっと見せてもらってもいいですか?」

「もちろん」

 二人の後輩は、黒田 歩が使っているワークステーションの前へと歩いていった。

「いつもどおりのバックグラウンドですね」

「そりゃそうだ」

「なんでだろう?」

 二人の後輩は先程までのワークステーションに戻った。

「やっぱりできるよなぁ」

 後輩の声が聞こえた。

 まぁ、こういう遊びをするのはいいだろう。勉強になる。ただ、この状態はあまりいいものではなかった。

 黒田 歩は再び後輩のところへと戻った。

「なんでもいいけど…… "ls -al" でいいか。それを "less" でも "more" でもいいから見せてくれないか?」

 二人の後輩は各々 "ls -al | more" と打ち込んだ。そこで確認できる範囲で、問題ははっきりした。

「そういう遊びもいいし、場合によってはそれを認めた方がいい場合もあるけど。二人とも、".Xauthority" が存在しないな。消した?」

「いえ。最初からなかったと思いますけど」

「じゃぁ、俺のミスだ。二人が研究室に来た時の設定で足りないところがあった。研究室での配布用のシェルの設定ファイルに落ちがあったな。ちょっと、どいてみて」

 黒田 歩は一人の後輩をどかすと、コマンドを打ち込んだ。もう一人の後輩が使っているワークステーションでも同様の操作をした。

「これで、さっきみたいなことができるか試してみて」

 席を立ち、後ろから後輩の操作を眺めていた。

「あれ?」

「できなくなった」

 二人の後輩は黒田 歩を振り返った。

「うん、できなくした。さっきも言ったように、そういうことを認める必要がある場合もあるけど、基本的にはできると困る。バックグラウンドを他人が勝手に書き換えられるだけじゃなくてね。だから、そのXサーバだったかXクライアントだったかが誰に属しているのか、そのあたりを設定するようにした」

「じゃぁ、さっきみたいなことはもうできないんですか?」

「".Xauthority" を消せばできる。ただ、研究室内に留めること。それに消すと、うちの学科の構成だと他の研究室からもできる。それでだけど、さっきのは誰から聞いた?」

「別の研究室の同級生ですけど」

「それなら他の同級生にも、そのコマンドを実行したり、起動時の設定ファイルに書くように伝えて」

 二人の後輩は頷いていた。

 黒田 歩は自分が使っているワークステーションに戻り、考えた。「俺のミスか?」そうではなかった。ユーザのホーム・ディレクトリはここには存在しない。学科のサーバに存在する。卒検生に渡すファイルは、これまでの設定ファイルに対する差分だった。これはあまりいい状態ではなかった。

 黒田 歩は学科の技官宛に顛末を記したメールを送った。夕方には、技官から問題を解決した旨の返事があった。そして、「ありがとう」とも。それに加えて、「黒田君はこれまでどうだったの?」とも。

 どうやっていたか。こちらの大学の博士後期課程に入った時、以前の大学での設定ファイルを思い出し、自分で書き換えていた。なぜ書き換えようと思ったのかは覚えていない。単に自分で書く方が趣味にあっていたからだった。学科のワークステーションやサービスの内容がわからなかったから、すこしばかり苦労したことだけは覚えていた。

 黒田 歩はその旨の返信をした。

 同時に、どうせなら以前の研究室に残っているはずの私のいろいろなファイルを取って来た方がいいかもしれないとも思った。そこには自前の言語仕様の古いバージョンもあるはずだった。以前の研究室の管理者にメールを送り、ftpでホーム・ディレクトリにアクセスできるようにしてもらうと、さっそく自分のディレクトリにあったファイルをすべてコピーした。ローカルの、それも学科のではなく、研究室のワークステーションのハードディスクに。そこには、いわばルートの特権として、自分の容量が確保してあった。研究用コーパスなどが置かれている外付けのハードディスクにではなく、研究室内のワークステーションに内蔵されたハードディスクに分散された容量として。


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