ドラゴン転生! 目指すは20歳以下の人間のはずだったのに

深田くれと

第1話 ドラゴンでようこそ

 目を覚ますと、そこはどこかの岩場だった。

 洞穴だろうか。

 見上げれば大きな穴がぽっかり開いていて、温かい日光が降り注いでいる。


「何だこの音?」


 自分が顔を上げると空気が震えるような音がした。

 ぶうーっん、みたいな。

 大きな丸太でも振り回したような音。

 

 何度かやってみた。

 ぶうーっん!

 ぶうーーっん!

 ぶうーーーーっん!

 早く動かすほど音がすごい。

 これって空振っていうやつ?

 火山が噴火したときに遠くの家の窓ガラスが震えるっていう。俺って顔を動かすだけで空振すら操れるじゃん。


「やばい……」


 現実から目を背けて遊んでみたが、やっぱり逃げられそうにない。

 嫌な予感はしてたんだよ。最悪だ。人間ですらない。

 首降って背後に禍々しい尻尾が見えるってどういうことよ。下にはめちゃめちゃ大きな爪が生えている指があるし。

 もう指って言っていいのかもわからない。

 真っ黒で太い。鱗だってあるし。竜鱗ってやつだ。


 頭を抱えようとしたら上半身が地面に崩れ落ちた。両腕を一度に挙げると上半身を支えられないということだ。

 洞窟内に大音量が響いた。四足歩行とは不便なり。


「首なげー。しかも声怖い。あああーー」


 独り言をしゃべると洞穴の中に反響してすごい音になる。

 耳を塞ごうとして、また上半身が地面に落ちた。

 やっぱり首が長い。

 これっていわゆるファンタジー世界のド・ラ・ゴ・ンというやつではないでしょうか。顔は見えないけど。

 首は長いし、太い五本の指には年季の入った爪が生えているし、首を上手に曲げて背後を見れば翼だってありますよ。

 どう見ても人間に見えません。

 それともこの世界では人間フォルムのデフォルトがこれですか。


「俺の転生ライフ、どうしてくれるんだよ」


 ふつふつと湧きあがる怒りと共に、俺はここに至る経緯を思い出した。

 


 *


 うんざりした気持ちで腕時計をちらりと見やった。

 シンプルな三針の白い文字盤が示す時刻は夜8時過ぎ。

 今日も残業だ。先月の休みも2日だけだったのに。


「斎藤チーフ、例のミーティングが十時からだそうです」


 ばさっと厚みのある資料が無造作に机に置かれた。やりたくもない企画のタイトルがカラーで大きく印字され、すぐ下には市場分析の結果がグラフ化されている。


「一応聞くけど二十二時ってことだよな?」

「そう言いませんでしたか?」


 入社して三年目の部下はそそくさと帰っていく。この状況に慣れきってしまっている。終業時刻は十八時なのに一度も実感したことはないだろう。


「もういやだ……」

 

 ぼそりと弱音を吐いた。


 会社を出たのは終電を過ぎた時刻だった。おかげでタクシーを捕まえての帰宅だ。残業代も出ないのに無駄な出費だ。

 1DKのこじんまりしたアパートの玄関の戸を開けた。

 入ってすぐに廊下に置かれた大きなゴミ袋が目に入り気持ちが沈む。一週間に二回は回収される生ごみだが、もう二週間も出せていない。

 毎朝そんな余裕はない。

 狭い部屋の中は散らかりっぱなし。水道の蛇口は閉まりが甘いのか、水滴が等間隔で落ちていた。

 疲弊した脳裏に、帰り際に上司に言われた小言がまざまざと蘇ってくる。


『おい、斎藤。また先月の残業そのまま付けただろ? 百八十時間くらいだったか? 二十時間くらいに抑えておけといつも言ってるだろ。こっちで消すからな』


 残業するなというのに仕事はしろと言う。

 でもお金は支払われないと――


「やってられるかっ!」


 廊下を通り抜ける際に思いっきりゴミ袋を蹴ってやった。

 もう知らん。本日付けで退職だ。



 *



 ふと目が覚めた。

 のどの異様な渇きと空腹感がすさまじい。よく考えれば昨日は昼のドリンク以外は何も飲み食いをしていなかった。


「なんか体が軽い……」


 寝ぼけた頭でそんなことを考えた。

 だんだんと意識がはっきりしてくる。よく考えれば床に寝ているような感じだ。

 カーテンを閉め切っているせいか部屋の中も真っ暗だ。

 いや、待てよ。そういえば昨晩は電気を消してなかったはず。


「うおっっ!?」


 あたりを見回せばそこは薄暗い部屋だった。黒い壁、黒い床、何もない部屋。

 そしてこじんまりした椅子にかける女の子。


「ようやく起きましたか」


 寝起きにきつい少々高い声。薄暗くてはっきり見えないが声の感じは幼そうだ。


「ここは?」

「私の世界です。簡単に説明するね! まず、記録によるとあなたは2月22日の2時22分に死にました」

「……は?」


 少女はたぶんにっこり笑ったと思う。よく見えんが。


「苦しむことなくあっさり死んだみたい」

「ちょ、ちょっと待て、じゃあなんで俺がここにいる?」

「だから、それを今説明しているんじゃないですか。最後まで聞いてよ」


 盛大な少女のため息音が耳に届く。


「私もこんなこと初めてなんですけど、こっちの世界は竜歴222年夏の2日なんですよ」


 俺はごくりと唾を飲みこんだ。

 もしかして、転生とかそういう話でしょうか?

 チートいっぱいの楽々物語とかスキルを目いっぱい生かしたスローライフとか、そんな感じが俺にも始まるのでしょうか。


「それで?」


 思わず声が震えた。


「あなたの魂だけが抜けてこっちの世界に入ってきちゃったんですよ。信じられません。こんなことがあるなんて。まあでも入ってきちゃったものは仕方ないですよね」

「そうですよね。……で、俺はどうなるんですか?」

「そこなんですよね。生まれ変わらせることははっきり言ってできません。ってなんでそんなに悲しそうな顔をするんですか?」

「いや、期待した分、ちょっとショックが大きくて……」


 はっきりと生まれ変わりできないって言われました。俺の異世界ライフが遠ざかっていく音がします。


「だって魂だけなんですよ。生まれ変わらせるには肉体を与えないとだめなんですけど、もともと存在しない人間に一から肉体は与えられません。まあ精神生命体なら――」

「それでもいい! その精神生命体でも!」


 提示された微かな可能性に迷わず飛びついた。


「ほんとですか? あなたの世界でいう幽霊とかプラズマとかですよ? ほんとにそれでいいんですね?」


 俺は口をあんぐり開けた。

 異世界ライフは捨てがたいけど、さすがに幽霊やプラズマはない。

 いやいや、もしかして異世界なら最強の幽霊ライフとかできるのか。

 切りつけられても「透過能力の前には無駄の一言」とか言ったりして。

 やっぱりないな。


「まあ、あなたがいいって言うなら構いません。じゃあ早速――」

「ちょっと待ってください! さすがに幽霊は……」


 慌てて少女にすがりつこうとして、足が動かないことにようやく気付いた。いや、そもそも体が形を成していなかった。

 しかも空中に浮いている。

 もしかしてこのフォルムはいわゆるスライム型の……


「今さら気付いたんですか、あなたは魂だけの状態です。動くことはできませんよ」


 ほとほと呆れたといった声の少女は何かカタカタとキーボードを打つような動作をしている。


「話すことはできてるけど」

「会話はしていますけど、声は出ていませんよ。私だから話せるんです。ってそんなことより幽霊は嫌なんですね?」

「嫌です」

「やっぱり人間希望ですか?」

「他だとどんなものになるんですか?」

「そうですね。命があるものならだいたいいけますよ。植物とか」

「嫌です」

「ウミウシとか」

「嫌だ」


 ウミウシってどんなチョイスだ。何食べてるかすら知らん。そもそもそんなレベルの話じゃない。


「魚とか」

「ありえない」

「じゃあやっぱり人間ですね」

「選択肢ってそれだけですか?」

「植物と魚で何種類いると思ってるんですか?」

「……やっぱり人間がいいです。人間でお願いします」

「はあ、分かりました。でもさっきも言いましたけど、一から肉体を与えるのは無理ですよ?」

「一から?」

「産まれるところからってことです。だから条件としては、今生きていて、運命で、もうすぐ死ぬと分かっている人と交代で入る形になります」

「つまりその人の歴史を引き継いで世界に入るってことですか?」

「意外と理解が早いんですね」

「そんなことより、それってすごいお爺さんとかから始まるんじゃないですか?」

「確かに……」


 確かに、じゃないって!

 転生してすぐ天に召されるとか勘弁してほしいんですけど。

 若くに死んで転生したら杖ついて歩くようになってるとか、どんな無理ゲーだ。


「だんだんめんどうになってきたな」


 少女が気だるそうにそんな事を言い出した。

 これはまずい。この子の気分次第で俺の運命などどうとでもなるというのに。ほんとにウミウシにされるかもしれん。


「あの、年齢に条件を付けるってできないですか?」

「条件? できますよ」

「それなら20歳以下とかにしてもらえませんか?」


 人間で20歳以下なら、いきなりの介護生活を免れる可能性が高くなる。


「うーん、まあいいでしょう。じゃあ人間の容姿で20歳以下で……性別は男性と」

 

 再びキーボードを叩くような音が少女の方向から聞こえてきた。

 俺はあと一つ重要なことを確認する。


「あの……」

「まだ何か?」

「転生する世界ってどんな世界なんですか?」

「行けばわかります」


 ですよね。

 さっさと転生させちゃえって雰囲気をひしひし感じるもん。

 でもダメ元で頼んでおこう。


「スキルとか能力にボーナスとか、女神様の加護とか付けてくれません?」

「転生した人のものを引き継ぐから大丈夫です。その人にご家族がいる場合だけは遥か遠くに飛ばしてあげるので安心して。言語も合わせておいてあげるから」

「あ……そうですか」


 ちょっと不機嫌な感じですね。

 魔法が存在するファンタジーな世界だと思っていいのだろうか。

 そんなことを悩んでいた俺の耳に、タンっという小気味よい音が届いた。

 キーボードのエンターキーを叩いたような音は、たぶん作業の終了を示している。


「設定が終わったんでランダムに検索してるの。すぐに結果が出るから伝えるね」

「結果って?」

「転生先の結果に決まってるでしょ?」


 おっ、前もって教えてもらえるんだ。

 意外と親切。前情報をもらえるなら心の準備が少しはできる。どうしようもない結果でも多少はましだ。


「あ、出た」


 少女が何かを覗き込んだ。当然俺には何も見えないし動けない。

 すごくもどかしい時間が数秒過ぎた。


「……あの、俺の転生先ってどんな人なんですか? もしかしてかなり小さい子とか?」


 しびれを切らして問いかけたものの、少女は何も答えず固まっている。

 なんとなく、嫌な予感がするんですけど。


「では、斎藤かなた様。たった今あなたの転生先が決定いたしました」

「は、はいっ!」

「では転生させますので気を楽に。新たな世界を楽しんでいただけるよう祈っております。それでは!」

「ええっ!? ちょっと待てよ! たった今教えてくれるって――」


 悲鳴に似た俺の声を無視し、有無を言わさない少女のエンターキーが再び軽快な音を立てた。

 そして、すぐに俺の意識が薄れゆく。


「あっれ……またエラーだ。これだと条件の意味なくなるなあ」


 なんとか聞き取れた少女の言葉はとても不吉なものだった。



 *



「やり直しを要求する!」


 天上に開いた穴に精いっぱいの大声で言い放った。

 耳に入ってくる音がどう聞いても巨大生物の遠吠えにしか聞こえなかった。

 泣きそうだ。


「これはないわ」


 ちらりと視線を周囲に移した。鹿に似た草食動物っぽいのとゴブリンっぽい亜人が大量にその場所にいる。

 その全員の目がたぶん俺を見つめている。

 

 もしかしてここは彼らの住処でしょうか。

 でも洞窟の大きさを考えると広すぎるよな。個室じゃない大部屋だもん。

 なんとなく斎藤かなた改めドラゴンの住む場所に寄生する魔物達って感じかな。

 ただ、ゴブリンっぽい亜人は怖い。特にその目が。俺には何を考えているかわかりません。

 ここで「お前たちは誰だ?」って聞けば教えてくれるだろうか。

 待てよ。

 確か一からの生まれ変わりは無理だって言われたぞ。となるとこのドラゴンの体を俺が乗っ取った可能性すらあるのでは?

 部外者は思いっきり俺では?

 ――やってしまった。

 意味なく首降ったり、つんのめって倒れたり、あげくの果てに大声で喚いてしまった。

 知り合いが突然奇声を発してばたばたすれば恐怖だわ。


「気にするな。ただの運動だ」


 静かな口調を意識して彼らに言ってみた。自分の顔がどんな状態なのか分からないのですごく不安だ。怖い顔なのだろうか。


 反応はない。


 だよね。無理あるよね。

 むしろすごく疑っているように見えるんですけど。

 視線がすごく痛い。

 そもそも通じないのか。言葉は合わせるってあいつ言ってたよね?

 そしてゴブリンさん、武器を持った手に力を入れませんでしたか? その色々ぼろぼろの刃物を向ける相手は俺じゃないですよね?

 ドラゴンの視力を舐めてはいけない。全部見えているのだ。

 戦うつもりなの?

 俺ドラゴンなのに? 殺っちゃうよ?


 そんな緊迫感の中、静寂をぶち壊す足音がいくつかある穴の奥から聞こえてきた。

 ドラゴンの聴覚はすさまじいようだ。

 遅れて鹿がびくりと耳を立て、ゴブリンが全員同じ方向を向いた。


「えっ? なになに? 何がくるの?」


 またも空間に反響する自分の声。当然、咆哮にしか聞こえません。

 ナニガークルノー、ってね。


 だんだん大きな声も聞こえてきた。

 野太い男の声だ。少し耳をすませて聞き取ってみる。


「全員抜刀しろ! あっちから鳴き声が聞こえたぞっ! ようやく発見だっ!」

「「「おーっ!」」」


 聞こえない、聞こえない。何にも聞こえない。

 鳴き声って誰の? この辺で誰か鳴いたっけ?

 鹿もゴブリンもじっとしてたじゃん。


「って俺かっ!」

 

 やばいやばい!

 近付く人間って俺を目標にしてるのか。ナニガークルノーとか言ってる場合じゃない。

 呼び寄せたの俺じゃん。

 ごめん。鹿とゴブリンの皆さん。

 でもでも、もしかするとこの洞窟で迷った亜人や動物を保護しに来てくれたとか。

 ないな。

 さっき「抜刀しろ」って言ってたもんな。


「やばいじゃん!」

 ヤバイジャーン!

 

「ここだ!」


 とうとうフルアーマーのリーダーらしき男が洞窟内に姿を見せた。その片手には鋭利な剣が旗印のように掲げられている。

 続いて同じような格好の騎士っぽい感じの方々がご来室。

 その誰もがとても友好的には見えない目をしている。リーダーが掲げた剣の先を俺の鼻づらにびしりと向けた。


 そして、

「ようやく見つけたぞっ、邪竜イハリス! 人類の敵め。今日こそ駆逐してやるっ!」


 ――邪竜イハリス?

 

 俺は目を見開いて衝撃の言葉の意味をぼんやりと考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る