冬恋・2


 馬車は小さな馬に曳かれていた。

 ムテ人の女が馬車を操れるというのは、大変珍しいことだ。男でもこうはいかず、乗合馬車の御者はリューマ族がほとんどである。

 ウーレンの保護下にあるムテでは、許可を得てムテで生活できるリューマ族の数は少ない。重宝がられている反面、下品で粗野な種族として軽蔑されている。だが、馬を扱えるということで、それなりに裕福な暮らしをしているのが、ムテのリューマ族だ。

 彼らに金を払わずとも馬を扱えるというムテ人は、とても貴重な存在だろう。

「まだ、あまり慣れてはいないんですけれどもね」

 といいながら照れくさそうに笑うリリィには、どこかなまめかしいほどの色気を感じる。こんなに艶っぽい人だったかと、サリサは三年前の彼女を思い出そうとした。が、思い出せない。

 死にかけた子供を抱いて必死になっている姿は、とても艶っぽいとはいえないものだった。

 あまりにも違いすぎた。まるで別人である。

 せっかくのいい天気なのに、マリは馬車の後ろでいじけている。どうも、先ほどのサリサと母の抱擁に気分を害しているようだった。

 何度か母親は声をかけたが、マリは返事すらしない。

「何だか……難しい年頃になっちゃったようで……」

 と、母親は苦笑した。



 冬の日暮れは早い。

『椎の村』に着いたのは午後であったが、もう夕方の様相であった。

 リリィは村はずれの『乗合馬車屋・カシュの店』と書かれている家の前に馬車を止めた。

 防風のために植えられた木がさわさわと鳴る。その向うの柵にお客に興味を持ったのか、馬が何頭も連なって耳を立てサリサを見つめている。

 馬は知っているが、こんなに並ばれて見つめられたら、さすがにたじろいでしまう。

 しかし、リリィもマリも慣れた様子だ。マリが走り寄って柵の入り口を開け、リリィが馬を馬車から外し、柵の向うに馬を放した。リリィだけではなく、マリも馬を怖がる様子はない。いや、むしろかわいがっているようだった。

 その音に気がついたのか、建物の中から赤茶けた髪の男が顔を出した。中年のずんぐりがっしりとした色黒の男だった。

「よう、お疲れさん」

 やや割れた地響きのような低い声である。いかにもリューマ族だった。

「ただいま」

 リリィはひょこりと頭を下げた。礼儀正しい挨拶だが、ただいま……ということは、よほど親しく付き合っているのであろう。

「客か? 何処へ行くつもりだ?」

 男のガサツな物言いに礼儀の礼も感じない。だが、どこか素朴な感じで不愉快でもなかった。

 サリサは丁寧に頭を下げ、男の質問に答えた。

「蜜の村まで急いでいます」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、マリがさささ、と前に出た。

「そうだよ、あたしたち、蜜の村に急いでるの! すぐに出かけるんだからね!」

 どうもマリはこの男が嫌いらしい。

 物言いに問題があるマリだが、それでも言葉に憎しみが込められていることはない。世間を知らないから、口の聞き方を知らないだけだ。だが、この男に対しては間違いなく憤りが込められていた。

 リリィが困ってマリの肩に手を乗せた。男はその様子をちらりと見、そして空を仰いだ。

「ダメだな。今夜は風が悪い。急いでいるならここに泊まって、明日の朝、出ればいい。俺のところは宿もやっている。部屋も空いて……」

「部屋なんかいいよ! サリサはあたしたちのところに泊まるんだから!」

 男の言葉が終わらないうちに、マリが叫んだ。

「マリ!」

 リリィが反射的に怒鳴った。

 敵意にも似た男の視線がサリサに突き刺さった。はっとして男の顔を見た。が、男の強い眼差しはみるみるうちにしぼんで弱くなる。

「ねぇねぇ、せっかく久しぶりにあったんだよ? ねぇ、もっと一緒にいたいよ。ねぇ、サリサ? そうしようよぉ!」

 マリが、わざとらしいくらいに抱きついてくる。

 ……なんとなく。悪い感じ。

 サリサはチラチラとマリと男を交互に見た。

「でも、やはり……」

「さっき、お母さんに『会いたかったよ、いとしい人!』っていって、抱きしめたじゃない!」

「うっ!」

 これは、最悪かもしれない。

 おまけに顔に血が上ったのがわかる。たぶん、湯気が出るくらいに赤くなっていることだろう。

 男はふっと背中を向けた。

「わかった。明日、朝一だな。晩飯は用意する。お客さんもいっしょにどうぞ」

 客からお客さんに格上げになったが、なぜかかすかに棘を感じる。

 ……どうも、複雑な人間関係に巻き込まれてしまったような……。

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