五章《消えた少女の謎》

#1

 大学附属図書館の司書二年目の春。

 図書館にはいつもの面子が集まっていた。

 大学二年生になった棚本フミハルに帯野アキラ、そしてアキラの彼女であるフミカ。近頃はこの三人と行動を共にすることが増えてきた。

 主にシオリの職場である図書館にやって来てはお喋りに興じるだけなのだが、今まで碌に友人など居なかったシオリにとってその光景は眩しく映った。

 

「あれは注意すべきだよ」


 気配を消して(そもそも気配がない)背後に立つ先輩司書、本田ショウスケ。

 シオリは速まった鼓動を静めるべく大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

 鼓動を落ち着かせてから振り返る。


「脅かさないでください」

「前々から言っているけど。そんなつもりはこれっぽっちもないんだけどな」

 

 困った表情で頭を掻く。

 昨年の一件以来、たまにではあるが、人前にも顔を覗かせるようになった元ツチノコ司書は、事あるごとにシオリをからかう。


「書庫に籠っていれば良かったのに」

「紙本さん!? それはただの言葉の暴力だよ」


 被害者だと言い張るショウスケはどこか楽しそうに笑う。

 シオリよりも幾年月長く生きている――その老いの分だけからかうことに長けている。正確にはシオリがあまりにもからかわれることに対する耐性がない。

 

「からかわれる方にも問題があるのに」

「パワハラです」

「そんな馬鹿な!?」


 カウンターの内側で行われる内輪揉めを三人が見ていた。

 

「司書として模範的な言動ではなかったですね」

「確かにそうですね」


 それに、とタメを作って、


「君の彼氏が嫉妬に駆られて僕に殺気を向けている。仲睦まじいようで何よりだよ。僕もフラれた甲斐があったというものだ」


 無言でショウスケの爪先を踏みつける。

 にょっ、と間抜けな声と共にしゃがみ込んだ。

 三人にはショウスケが突如姿を消したように見えたことだろう。

 どうした? と三人がカウンターに集まってくる。

 カウンターに隠れたシオリの足元では、ショウスケが床をのた打ち回っていた。

 声を上げないのは男としてのプライドか? それとも単に声が出ない程の激痛に見舞われているのか、シオリにはわからなかった。


「何か変な声しましたけど」

「ツチノコの鳴き声」

「ツチノコって、本田さんでしょ? あんまり苛めちゃだめですよ。紙本さん」


 本田ショウスケのツチノコ足る所以を話で聴いただけのフミカがシオリを宥める。

 フミカは、かなりの頻度でショウスケと顔を合わせているので、前々からツチノコという呼び名に首を傾げていた。


「何話してたの?」

「なんでもない」

「そんなはずない!」


 やけに食って掛かるフミハル。

 その様子を傍から眺めていた傍観者二人が囃し立てる。


「やきもち焼いてるね」

「束縛かぁ。棚本、束縛はやめときな」

「だよね。私も束縛してくる男の子はちょっと……ないかな」

「そうよね~。ぼく――私もないと思うわ~」


 最後に新たな傍観者が増えている。

 キャラクターの方向性はきちんと定めてほしい。オネエ系を意識したのか? それにしてはお粗末な出来だ。傍観者カップルが可哀想なものを見るように哀れみの視線を向けていた。

 肩を落としてカウンターに戻ってくるショウスケ。

 本当に何しているんだこの人。

 こんな人だとは思っていなかった。


「何しているんですか?」

「場の空気を和ませようかと……思ったんだけど、あんまり意味なかったみたいだね」


 申し訳なさそうに笑うと返却図書を抱えてカウンターを出ていく。


「ごゆっくり」


 そう一言付け加えて足早に書架へと向かった。

 逃げたな、直感的にそう思った時にはすでに彼の姿はなかった。さすがツチノコ。


「逃げましたね。アレ」

「ええ、逃げたわね」

「逃げたな」

「逃げたんですか?」


 それ以降ショウスケは丸一日表に姿を見せなかった。


   ***


 フミハルは素朴な疑問を口にする。


「なんでフミカさん大学附属図書館ここに居るの?」

「なんでって、本を借りに来たに決まってるじゃない」

「部外者だけど借りられるの?」

「もちろん」


 カウンターの中からそりが割って入る。


「大学附属の図書館とは言っても学生――大学関係者にしか開放していない施設ではない。外部の人たちにも開放している。

 むしろ、外部の人の方が本をたくさん借りていってくれる。有難い。司書冥利につきる。学生とは大違い」


 フミハルは焦って弁明する。


「俺は読書ビギナーだから」

「別にフミハルくんの事を言ったわけではないのだけれど」

「あ、そうなの……」

「墓穴掘ったな」

「うるさいよ」

「でも私もアキラ君が居なかったら大学附属図書館ここに来てなかったかも」


 フミカは今までの自身の生活を振り返って話す。


「まあ、学外のお客さんが多いのは確かだけど、利用者数が少ないのは変わらない。大学附属図書館は認知度が低い。それは事実」

「そうかもしれないけど、そこまでハッキリ言わなくても」

「だから集客キャンペーンもしている」


 シオリはカウンター横に置かれたホワイトボードを指さした。

 そこには「新春 プレゼントキャンペーン」と手書きの文字が躍っている。

 

「プレゼントって何があるんですか?」


 アキラの素朴な質問に、眉をしかめてシオリが言う。


「本」


 新春プレゼントキャンペーンというより、最早活字プレゼントキャンペーンと銘打った方がいいのではないだろうか?

 

「このキャンペーンって誰が考えたんですか?」

「私と本田さん」

「館長さんはこの企画許可出したんですか?」

「うん」


 何か問題でもあるのかと言いたげな表情のシオリが頷く。

 図書館からのプレゼントが本と言うのはあまりにも安直ではないか?

 そもそも活字離れの進む昨今の若者向けのプレゼントではない。

 

「もっと他にプレゼント思いつかなかったんですか?」

「他に?」

 

 シオリはアキラの問いに首を傾げた。


「ゲーム機とか色々あるでしょ。数は揃えられないかもしれないですけど、目玉のプレゼントがあれば――」

附属図書館うちにそんなものを買うお金はない。そんなお金があれば外壁の清掃でも頼む」


 アキラは外壁に生茂った緑を思い出して「そうですよね」と引き下がった。

 確かに資金振りはよくなさそうだなと、フミハルも図書館の現状を踏まえてシオリの意見に全面的に同意した。

 しかし、フミハルは一言申したかった。

 否。言わずにはいられなかった。


「お金がないのはわかるし、プレゼントが本だと言うのもまだわかる。でもこのプレゼントはなんだ!?」

「どうしたのフミハルくん?」


 首を傾げるシオリ……可愛い。じゃなかった!!

 フミハルはプレゼントとして示されている本たちに目を向ける。

 全てボロボロ。廃棄間際の本であることは容易に想像できた。

 ゴミの処理費用を浮かそうと言う魂胆が見え見えのプレゼントだ。

 そのことを指摘すると、シオリは憤慨した。


「ゴミなんてことはない! どれもこれも素晴らしい本。選りすぐりの本たち」


 シオリは嘘をついていない。そのことだけはわかった。だが、わかったのはそのことだけだ。シオリには目の前のボロボロの本たちが輝いて見えているとでも言うのだろうか。

 その答えは思いのほか簡単に判明した。


「コレもしかして全部絶版本ですか?」

「そう」


 どこか誇らしげに胸を張ってシオリが答える。

 絶版本。

 一般流通しなくなった本。その入手が非常に困難だと言う。その手の話(本にまつわる話)に疎いフミハルにはよくわからない世界だが、文庫化されていて野口さん一人で購入可能な書籍がウン万円、ウン十万円になったりするのだとか。同じ内容なのになんでそんなに価格が高騰するのか全くわからない。

 ともかく、プレゼントキャンペーンにおいてシオリのセレクトした本は、それなりにいい品であるようだ。

 そのことにシオリと同じく本好きのフミカは気づいた。

 本好きな人間の発想がフミハルにはまったく理解できない。それはアキラも同じようで、絶版本を手に取って見てはパラパラとページをめくってみては閉じ、めくってみては閉じるという事を何度も繰り返している。

 アキラは「これがプレゼント……」と自らの常識の範疇で絶版本の値踏みをしていた。


「やめとけ。俺らにはわからん世界だ」

「そうだな。確かにわからん。きっとこれから先も俺たちはあの二人の感覚はわからんままだ」

「お前、書店でバイトしてるだろ」

「それとこれとは関係ないよ。本はそれなりに読むけど、たしなむ程度だし。二人みたくどっぷり本の世界に浸っているわけじゃないしね」


 絶版本談議に花を咲かせるシオリとフミカを二人は、一歩下がったところから肩を竦めて別世界の話を聞いていた。

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