第5話 詩は難解なものか

ある人が言った。

「詩を読むと言う行為は演奏のようなものですから。読むにも才能がいります」


これは僕が描いた詩について言葉が足らなかったのではないか?という疑問を口にした時に帰ってきた答えでした。さらに、


「才能ある読者は、いちいちこれはこういう感じ方のためにこうなったなどの説明や個人の感想がない方が読みやすいということですね」


このように続けられました。確かにくどくどと説明されては詩の余韻もぶち壊しである。古典でも現代詩でもこれは共通していると思う。しかし、読むことに才能がいるとなると敷居が高い、と思われるかもしれません。この才能というのはたくさん詩に触れた経験や感性などの積み重ねで補えるものだから、諦めてはいけない。とはいえ、読解が困難な詩は確かにあるのだ。だから慣れないと意味が解らなくて、詩は得体の知れない謎の文章だと認識してしまうかもしれない。僕自身、そう感じる詩がある。或いは最初から詩情を共有する気のない詩とも言えない作品もあるのだが……それについては違う機会に描いてみたい。

ではそんな難解な詩の世界に分け入るなら、どんな詩がおすすめか。谷川俊太郎や最果タヒなど詩人としては異例の売れ方をしている二人でもいい。または、まど・みちお、なども読みやすく楽しい詩人だ。


「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね」


「黒ヤギさんからお手紙ついた」


この二つのフレーズは大抵の人が知っていると思う。まど・みちお、の作品で馴染み深いでしょう。子どもでも読める、詩がたくさん詩集には収録されています。とにかく詩を書くならば読み手に詩が伝わり、詩情が共有できなければ駄目だと思うのです。個人的見解ですから、異論があれば教えてください。


それで、僕がおすすめしたいのはチェコの詩人パブロ・ネルーダの「ありふれたものへのオード」です。七十年ほど前の詩集ですが、

詩とはパンのようにあらゆる人と分かち合わなければならない、というネルーダの思想から書かれた作品なのだ。


オード、とは賛歌。讃える詩歌だ。ありふれたものとは例えば玉ねぎやトマト、靴下や海、日常的に身近なものである。

玉ねぎというものを豊富な語彙と観察眼で深く洞察しながらも、誰もが想像できる詩に仕上げている。一部、下記に抜粋。


「たまねぎよ、惑星のように明るくて、ピカピカしていることを運命づけられている、揺るぎない星座、 水の丸い薔薇、 貧しい人のテーブルの上の」


如何でしょう?たまねぎと人の関係にまで踏み込みながら、難解過ぎたりしない。興味があれば是非、読んでほしい。また自分でも書いてみるとひとつの物体や現象への理解を深めつつ、言葉の修練にもなるのではないかと思うわけです。下に僕がオードを参考に書いた詩を挙げてみました。


◇◆◇◆◇◆


『生きている』


何者かの手が造形し

極小の生命の群れが

その生命を膨らませ

炎がさらに膨らませ

山に巌となり渦を巻き

歴史の断層の如く重なり

ソフトもハードも兼ね備え

種々雑多なものを包み込み


孤独を癒し欲望を充し

日々誰かの犠牲となる

その身を惜しむ事なく


棚に気持ちよく並び

出迎えてくれる喜び

お前たちに感謝する


パンよ!


ぱりぱり、サクサク、もちもち、カリカリ、

ギュムギュム、ふわふわ、ガリガリ


優しき調べ

腹が鳴るよ


◇◆◇◆◇◆


三連目までがパンの名前を出さずに、作る過程から焼き上げてパン屋の棚に並ぶまでを描いています。会えて答えを出さずに讃えるように言葉を並べて想像力を掻き立てられないか、という試みでした。

本家のネルーダの詩集を一度読まれると、詩の入り口としては悪くないと思います。言葉は洗練されているのに、読みやすいからです。長々語りましたが僕のおすすめの詩人を一人書かせていただきました。


※詩では美しい、をそのまま美しいと描いても共感は得にくいのであらゆる角度から、伝わる言葉を考えるのがひとつのポイントだと思うのです。

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