第55話 凶行に終止符を

「ソレイユさん。直前にシエル兄さまに向けて叫んでいましたが、僕が内通者だと気づいていたのですか?」


 状況に困惑し放心しているシエルを傍目はために、レーブは声を張ってソレイユへ問い掛ける。

 二人のやり取りを見守るようにホール内は静まり返っていた。姉のペルルはもちろん、職務に忠実な近衛騎士の二人でさえも、この時ばかりは混乱のあまり硬直していた。普段はレーブと接する機会のないソレイユの臣下達も、王族の中に内通者がいたというショッキングな真実に動揺を隠しきれない様子。状況を冷静に受け止めていたのは、ジッとレーブと目を合わせているソレイユと、ソレイユに危害が及ぶ場合は即座に動こうと構えているニュクスとファルコくらいのものだ。


「臣下の一人が些細な違和感を感じていました。コゼットさんが地下書庫へ到着した際、君はペルルに『シエル達がきっと此度のアマルティア教団の襲撃を退けてくれる』と言ったそうですね。ファルコが地下書庫を訪れた際、ぞくの襲撃を告げただけでアマルティア教団関与の可能性には触れていません。つまり君は、周りの誰も賊の正体を確信していない段階でアマルティア教団の名前を出したということになります」

「……なるほど、そういうことですか。迂闊うかつでした」

「私だって何もその情報だけで疑ったわけではありません。現在の大陸の情勢から判断して、自然とアマルティア教団の関与を疑ってしまったという可能性も否定出来ませんから。ですが、臣下からの証言を聞き、自然と君に視線が引きつけられたまさにその時、ふところに光る物が見えました。叫んだのが先だったのか、確信を得たのが先だったのか、それは私自身にも分かりません」

かんの良い人だ。やはり英雄の血を引く人間は違いますね」

「……今回に関しては、勘が外れていた欲しいと思いましたがね。王族であり、幼馴染の弟であるレーブくんがアマルティア教団の内通者だなんて」

「僕をどうなされますか?」

「……このまま見過ごすわけにはいきません」

「言っておきますが僕は全力で抵抗しますよ。僕を攻撃するなら、全てを失う覚悟でお願いします」

「レーブの言う通りだ、ソレイユ」

「シエル?」


 シエルが沈黙を打ち破り、腹部の傷と弟の裏切りに表情を歪めながらも、右手でサーベルを抜刀した。


「……例え内通者であろうとも、シエルはアルカンシエル王国第四王子の地位にある人間だ。下手に手を出せば、貴族や騎士といえども罪に問われかねない」

「だけどシエル、このままじゃ」

「……誰も手を出すな。事態は俺が収拾する。同じ王族であり、兄でもある俺ならば、荒事に発展しても申し訳は立つ」

「いけませんシエル兄さま! そのようなお怪我で」


 兄の身を案じペルルが声を震わせる。シエルが腹部に受けた傷は決して軽くはなく、今も鮮血が溢れ出していた。

 レーブの握る、巨大な獣の爪をそのまま短剣に加工したかのような形状の武器は、共犯関係にあるアマルティア教団暗殺部隊より提供された、魔物のむくろを素材とした特殊な武器だ。レーブの細腕でも軽々と振るえる程の軽量で、対象と接触した際、斬撃の威力を何倍にも高めて切断するという効果を宿す。回避行動を取ったシエルの腹部に、掠めてだけでも大きな傷を与えたその威力。刀身が完全に肉を捉えたなら、一撃で内臓を持っていかれてもおかしくはなかった。

 負傷に加え、心優しいシエルには、内通者とはいえ弟に容赦ようしゃなく刃を向けるような真似はきっと出来ない。対するレーブは殺意剥き出しで異形の短剣を構えている。対格差や戦闘経験込みでも、シエルが圧倒的に不利な状況だ。


「止めてレーブ! 何があなたをそうさせたのかは分からないけど、兄弟同士で争うなんて馬鹿げてる。一度武器を置いて、ゆっくりと話し合いましょう」


 兄を案ずると同時に、愛する弟が裏切ったのだという事実を受け入れることも出来ない。優しさ故にまだ説得が通じる段階だと信じ、ペルルは姉としての表情でレーブへと必死に語り掛けるが、


「ペルル姉さまは本当にお優しい。僕は姉さまのことが大好きですよ。誤解のないように言っておきますが、僕は兄さま達のことも心から愛しています」

「だったら何故こんなことに」

「兄さま達がいたのでは、僕は王になれませんから。僕の意志は固いです。説得など諦めてください」

「……何を言って」

「そういえば、姉さまは知らないのでしたね。僕が父上にとって忌子いみごであったと」

「……あのことを、知ってしまったのか」


 レーブの発言を聞き、何が彼を凶行に走らせたのか、シエルは全てを悟ったようだった。事情を知らされていないペルルは困惑を募らせるばかりで、シエルとレーブの顔を交互に見合わせることしか出来なかった。


「……レーブ様に斬りかかるおつもりですか? 状況が状況とはいえ、厳罰は免れませんよ。最悪、死罪だって」


 静かに武器を抜こうとするカプトヴィエルを案じ、コゼットは彼の右手首を取って制した。


「……自分がどうにかするとはおっしゃったが、お優しいシエル様のこと。きっとレーブ様を攻撃することなど出来まい。このままでは一方的にやられてしまう。私はシエル様の近衛騎士だ。あのお方を守るためならば、この命惜しくはない」


 口には出さなかったが、カプトヴィエルはシエルだけではなく、ソレイユの身も案じていた。シエルを救うためならば、ソレイユはきっと容赦なくレーブを止めにいく。そうなればソレイユが罪に問われることとなる。彼女がシエルにとってとても大切な存在であることは承知している。シエルにはソレイユが必要だ。カプトヴィエルはソレイユよりも早く行動に移すことで、先んじて罪を犯そうとしていた。


「……私だって同じ気持ちです。仕掛けるならば、せめて二人で参りましょう」

「二人揃って罪に問われる必要もあるまい。後のことは頼んだ。お前はこれからもシエル様を支えてやれ」

「……カプトヴィエル」


 近衛騎士として先輩であるカプトヴィエルの覚悟のわった瞳を目の当たりにし、コゼットは目を伏せたまま、制する手を静かに引いた。


「シエル兄さま。あなたに与えられた選択肢は、僕を殺すか僕に殺されるか、その二択だけですよ。どちらをお選びになられますか?」


 冷笑を浮かべたまま、レーブは再度シエル目掛けて異形の短剣で斬りかかった。回避するには足元が覚束ず、シエルはその場でサーベルを使って刀身を受け止めたが、特殊効果により破壊力の高められた斬撃は、少年の細腕とは思えぬ圧を放った。受け止めた瞬間にシエルの体は大きく後退、衝撃が体へと響き、腹部の傷口からさらに出血した。


「……何て威力だ」

「反撃しないと死んでしまいますよ?」

「……俺は」


 シエルは迷いを断ち切ることが出来ず、サーベルの握りに上手く力を込めることが出来ない。自己防衛のためとはいえ、相手が賊と内通した裏切り者とはいえ、可愛い弟と戦う決断をこの短時間で固められるはずもない。弟を斬るくらいなら、自分が斬られた方が何倍もマシだと、そんな風に考えてしまう。


「騎士王子ともあろうものが情けない。やはり僕の方が王に相応しい!」


 鋭い殺意を宿したレーブの凶刃がシエルへと迫る。迷いが行動を鈍らせ、回避行動が間に合うかは難しいところ。もう一撃を受ければ、命の保証は出来ない。


「シエル!」

「やらせない」


 ソレイユよりも早く、カプトヴィエルが二人の間に割って入るべく駈けるが、

 

「何っ?」


 鋭い風切り音と共に、カプトヴィエルの真横を矢が通り抜けていった。次の瞬間、


「あっ――」

「レーブ?」


 突如飛来した一矢は、シエルに斬りかかる直前だったレーブの胸部へと吸い込まれた。激痛に揺らいだ華奢な体は凶器を手放し、シエル目掛けて力なく倒れ込んだ。


「レーブ! レーブ!」


 虚ろな目をした弟の体を抱き上げ、シエルは必死にその名を叫んだ。


「……レーブ、愚かなを許して」


 レーブを射抜いた射手が、激しい後悔の念と共にその場に膝から崩れ落ちた。

 レーブはきっと説得などでは止まらない。シエルの命を救うためには、命を奪う覚悟でレーブを止める他なかった。

 

「……クリス姉さん」


 レーブを抱くシエルが視界に捉えたのは、ホールの入り口で弓矢を手放し、感情剥き出しで泣き崩れる長姉の姿であった。


「……レーブ」

「……どうして、こんなことに」


 シエルの腕の中で、レーブの顔からどんどん血の気が失われていく。

 二人の下へ駆けつけたペルルは今だに事態を理解しきれず、茫然と立ち尽くすことしか出来なかった。親友を気遣い、ソレイユがその肩を抱いて支えている。


「……ごめんなさい、レーブ」


 足取りの覚束ないクリスタルが、コゼットの肩を借りてレーブの下へと到着した。顔中を涙で濡らし、虚ろな目をしたレーブの顔を覗き込む。


「……母さま……どう……して……」

「母だからです……あなたの過ちを……止めなくては……そう……思って」


 最期の時はクリスタルの胸の中で迎えさせてあげるべきだ。そう判断したシエルがレーブの身をクリスタルへと委ねる。


「母さ……寒いよ……」

「ごめんなさい……レーブ」

「……手を……握って……」

「ええ……」


 弱々しいレーブの右手を、クリスタルは温もりを分け与えるように力強く握った。


「……ずっと……握って……」

「ええ、握っているわ」

「……暗い……よ……」

「……母はずっと側にいます……怖くないわ……ゆっくりとお眠りなさい……」

「……母――」


 不意にレーブの手が脱力し、クリスタルの手からすり抜けた。

 光を失った瞳は虚空を見上げ、呼吸、鼓動と共に停止する。

 レーブ・ジェモー・アルカンシエルはこの瞬間、10年の生涯を終えた。

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