第30話 二人の騎士

「ニュクス。お客様だよー」


 二階の部屋へと駆けあがって来たイリスの報告を受け、ニュクスは片腕での腕立て伏せを中断し、ベッドへと腰掛けた。開始間もなかったため、汗はそれほど掻いていない。

 ニュクスはルミエール家のお屋敷を出て、昨日からオネット夫妻の経営する宿で再びお世話になっていた。利用しているのは以前と同じ部屋だ。

 林檎園りんごえんの一件でイリスたちの命を救ってくれた礼だといい、オネット氏は無償むしょうでこの部屋を提供すると言ってくれたのだが、流石にそれは申し訳ないからきちんと料金は払うと答えたニュクスと小一時間の押し問答。妥協点だきょうてんとして、正規の金額の10分の1という超格安で部屋を利用することで話はまとまった。金額的には部屋代というよりも、食費分だけは自己負担といったところだろうか。


「お客って、俺に?」

「クラージュ様だよ。下で待ってる」

「あの騎士様が俺に?」


 まさか引っ越し祝いというわけではないだろう。厄介やっかいごとの気配を感じずにはいられなかった。


「待たせたな」

「引っ越し早々すまんな」

「引っ越し祝いに来てくれるとは、俺達の友情も捨てたもんじゃないな」

「茶化すな。誰が客人なんぞと……今日はソレイユ様のつかいだ」

「絵師としてお屋敷に出勤か?」

「残念だが戦力としての出動だ」

「何か事件でも?」

「ヴェール平原でキャラバン隊が消息を絶った。詳細はまだ不明だが、魔物や野盗やとうの襲撃を受けた可能性が高い。治安維持の観点から、準備が整い次第我々も現地へ調査に向かう運びとなった。客人にも参加してもらうぞ」

「了解した。身支度を整えてくる」

「外で待っている」


 素っ気なくそう言うと、クラージュは一足先に扉の外へと消えた。


「ニュクス。もしかしてお仕事?」

「そうらしい。悪いな、午後から一緒に絵を描きにいく約束だったのに」

「私なら大丈夫。ソレイユ様の力になってあげて」

「イリスは偉いな」


 ニュクスはイリスの頭に優しく手を乗せ微笑む。


「子ども扱いしないの!」


 ほおふくらませ、イリスは必死に両手を上下させているが、圧倒的な身長差でその手はニュクスに届かない。


「悪い悪い」


 申し訳なそうに苦笑し、ニュクスは再度イリスの頭を優しく撫でた。


「明日は絵を描きに行こうな」

「うん! 楽しみにしてる」

「いい子だ」

「だから子ども扱いしないでって」

「悪い悪い」


 


「昨日の今日でお呼びたてしてもうしわけありません」


 屋敷の会議室に到着すると、ソレイユが開口一番ニュクスにそう告げた。

 ソレイユはすでに戦闘服に着替えており、上着はニュクスと戦闘した時と同じ蝶の刺繍ししゅうの入ったこん色のジャケット。中には薄い灰色のブラウスを着用し、ボトムスはプリーツの入った白いショートパンツに漆黒のタイツを合わせている。足元も実用性重視の、軽くて丈夫な茶色いレザーのレースアップブーツで固めていた。


 会議室内にはリスやメイドのソール、一部の臣下や使用人が集まっていたが、その中に2人、ニュクスには見覚えのない男女が混じっていた。2人はソレイユの側に控え、真っ直ぐ正面を見据えている。


「クラージュからも聞いていると思いますが、領の南――ヴェール平原でキャラバン隊が消息を絶ちました。キャラバン隊が到着予定だった、カキの村から報告です」

「現地調査だと聞いたが?」

「はい。私を含め、戦闘能力に優れる少数精鋭で向かおうと考えています。魔物にせよ野盗にせよ、調査の過程で戦闘に発展する可能性は十分に考えられますから」

「お嬢さん直々にとは流石の行動力だな。他のメンバーは?」

「リスとクラージュそれとニュクス、あなたです。私を含めた以上4名で現地へ向とかいます」


 リスとクラージュが力強く頷く。2人ともすでに装備を整え出立の準備を完了している。

 ニュクスも宿で用意を済ませており、服装は愛用の黒いフード付きコート。腰には得物えものである二刀のククリナイフを携帯し、足元はお馴染みの仕込み刃のブーツを履いている。不意打ち用のダガーナイフ等の補助装備もコート内に忍ばせており、何時でも、誰でも殺せる完全装備だ。


「一つ聞いてもいいか?」


 出立の用意は整っているが、ニュクスには一つ不安な点があった。


「なんでしょうか?」

「お嬢さんと俺、眼鏡っ娘に騎士様まで抜けたら、リアンの町周辺の守りが甘くなるんじゃないか?」


 先日の飛翔種ひしょうしゅ襲撃の一件もあるし、4人が不在の間に魔物の襲撃が起こらぬ保障はない。

 もちろんソレイユがそのことを失念しているとはニュクスも思ってはいないが。


「その点はご安心を。この二人が戻ってきてくれましたから」


 ソレイユにうながされ一歩前に出たのは、ニュクスには面識のない一組の男女。

 男性の方は刈りあげた黒髪をモヒカン風にまとめており、クラージュ程ではないがかなりの長身だ。年齢は20代半ばといったところだろう。真一文字に結んだ口元と鋭い目つきが、どこか気難しい印象を与える。

 女性の方はウェーブのかかったブロンドの長髪。ソレイユより頭一つ背が高く、こちらもやはり長身だ。鎧と半袖のインナーの隙間から覗く肉体は細身ながらも筋肉質で、日常的に体を鍛えていることが見て取れる。モヒカンの男性に比べると表情は穏やかで、人当りは良さそうに見える。


「ルミエール家に仕える騎士、カジミールとゼナイドです。大規模な魔物の襲撃を受けた東のロゼ領へ応援に出ていたのですが、王都からの増援もあり事態が早期に収束したので、昨晩ルミエール領へと帰還してくれました」


「カジミール・シャミナードだ……」


 端的に名前だけを述べ、モヒカン頭の男性――カジミール・シャミナードは自己紹介を終えた。ニュクスのことを警戒しているのか、あるいは素でぶっきらぼうなのか。その鋭い目つきからは真意は読み取れない。


「ゼナイド・ジルベルスタインです。よろしくね、新顔くん~」

「こいつはご丁寧に。絵描き兼戦力のニュクスです」


 カジミールとは対照的にゼナイドの挨拶は社交的だが、晴れやかな笑顔が妙に胡散臭い。悪意というほど邪悪ではないにしても、内に何やら黒い物を秘めているタイプなのではとニュクスは直感した。


「二人ともごめんなさい。戻って早々にお仕事をお願いしてしまって」

「問題ありません。留守は我らにお任せを」

「ソレイユ様もお気をつけて。近頃は魔物の動きも不穏ですから」


 力強く頷き、ソレイユはメイドのソールから手渡された愛用のタルワールを腰に帯剣した。


「リス、クラージュ、ニュクス。参りましょう」

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