第6話 敵の首を刈り取るための凶器

 一人の農夫が背に二人の女性を庇いながら、護身用の槍を振り回していた。

町の入り口でニュクスと会話を交わした男性だ。


「く、来るな!」


 そんな精一杯の威嚇いかくに怯むことなく、一匹の魔物が一歩ずつ農夫たちへと近づいていく。

 魔物は、鋭い犬歯の生えたヒヒの顔に屈強な獅子の体、尾にあたる部分からは蛇の頭が生えた合成獣(シメール)であった。サイズは獅子や虎といった大型の獣に匹敵する。


 本来は自然界に存在しない異形の獣――魔物。

 現在大陸内に生息しているのは、500年前に邪神の生き血から溢れるように誕生したという魔物の末裔たちだ。

 邪神が封じられた後も、魔物たちは手つかずの自然が多い地方部を中心に独自に繁殖を続け、個体数は増加の一歩を辿っている。魔物は雑食性で、中でも人肉を好んで食する生態を持つ。集団で町や村を襲撃することもあり、その存在はもはや一つの災害だ。


「この野郎!」


 間近に迫ったシメールに、農夫は及び腰で槍を突きつけるが、その強靭な顎に刃先は噛み砕かれ、槍はただの棒切れへと成り下がった。


「あっ……」


 驚愕する間も与えずにシメールが農夫へと飛びかかり、鋭い牙が喉元へと迫った――


「我が領の民に何をしている!」


 農夫の眼前まで迫ったシメールの首が切断され、残された胴体は勢いよく蹴り飛ばされた。

 シメールの首から噴き出した血液が農夫を直撃したが、幸い体は無傷で済んだようだ。


「ソレイユ様!」


 顔面の血を拭いながら恐る恐る目を開けた農夫の目に飛び込んできたのは、白いブラウスをシメールの返り血で赤く染めたソレイユの姿であった。

 可憐な印象に似合わぬ、刀身の反った片刃刀かたばとう――タルワールを得物としたソレイユは、筋肉質な肉体を持つシメールを一撃で軽々と両断してしまった。


「お怪我はありませんか?」

「はい。ありがとうございます」

「無事でよかった」


 深々と頭を下げる農夫の肩に触れ、ソレイユは慈愛に満ちた声で語り掛ける。


「町の方へと避難していてください。どうやら、これで終わりではないようです」

「……あれは」


 山の方から猛烈な勢いで複数の獣の影が迫って来た。どうやらシメールは一体だけではなかったようだ。仲間を失ったことで本能的に危険を察し、集団で襲い掛かってきたらしい。


「さあ、早くお行きなさい」

「ご武運を」


 自身の無力さを悔いながらも農夫は二人の女性を連れ、急ぎ町の方へ避難した。

 ソレイユの足手纏いにならぬようにこの場を離れるのが、農夫たちに今出来る最善の行動だ。


「ソレイユ様。リスも加勢いたします」


 農夫たちが避難したのを確認した亜麻色の髪の少女――リスがそう提案して一歩前へ出ようとするが、ソレイユは無言で首を振りそれを制した。


「分かりました」


 短く頷き、リスは成り行きを見守る。

 確かにリスが加勢すれば事は早く片付くが、農園にもダメージを与える可能性がある。剣術を得意とするソレイユが近接戦闘で迅速に魔物たちを仕留めるのが今は最良だった。


「屍を晒しなさい」


 冷笑交じりにそう言うと、ソレイユは三体のシメールを正面から向かい打つ。

 一番最初に接触した一体はタルワールの一撃で顔面から両断。

 左右から挟み撃ちにしてきた二体を、右から迫った個体はタルワールを眉間に突き立て一撃で撃破。左から迫った個体はタルワールを収めていた鞘で薙ぎ払って転倒させた。仕留めた個体の眉間から抜いた剣先を転倒した個体の腹部へと突き刺すと、そこから半月状に切り裂き、完全に息の根を止める。

 おびただしい量の血液を浴び、白いブラウスは全体が真っ赤に染まっていたが、不思議なことに、今のソレイユには清楚な白よりも死臭漂う赤色の方が似合っているように見えてしまう。


「お疲れでした。ソレイユ様」


 リスがタオル片手にソレイユへ駆け寄るが、身に浴びた血の量はタオルで拭い去れるレベルを超えていた。

 

「そのままのお姿では領民たちに不安を与えてしまいます。予備で持ってきていたお洋服に着替えましょう」

「そうするわ。こんな血まみれの姿なんて、子供達には見せられないもの」

「お屋敷に戻ったら、浴場でじっくりと血を洗い流しましょうね」

「あら、一緒に入浴してくれるの?」

「ソレイユ様のためなら何時だって」


 和気あいあいとそんなことを語り合いながら、ソレイユは血まみれのブラウスとスカートを脱ぎ捨てて上下水色の下着姿となり、リスから手渡された濃紺のブラウスへと袖を通し始めた。

 着替えのブラウスがこの色だったのはたまたまだが、肌に付着した血液が生地越しに透けないので、今の状況にはピッタリであった。


 〇〇〇


「シメール三体を一分足らずか。想像以上だ」


 事の顛末を木陰から観察していたニュクスは、改めて今回の任務の重要性を理解した。

 町での印象からは想像もつかなかったが、確かにソレイユの戦闘能力は高い。

 例えば自分が三体のシメールと対峙したとして、これだけの速度で仕留めることが可能かどうか、ニュクスにも自信はない。

 無論、戦闘スタイルの違いもあるので一概に比較できるものではないが、ソレイユの高い戦闘能力の証明に、今回のシメール討伐は十分すぎる戦績だったといえる。


 ――タルワール使いのお嬢さんか。面白い。


 女性貴族の愛用する剣は、演武などにも使用されるレイピアか、実用性重視のサーベルが大半だが、ソレイユが使用するそれは切断力に特化し、命のやり取りを存分に行うための無骨なタルワール。

 多くの女性貴族の武装が護身であるのに対し、ソレイユのそれは明らかな殺意が見て取れる。

 彼女にとって武器とは、身を守る術ではなく、敵の首を刈り取るための凶器なのである。

 

 確かに手強い相手だが、ニュクスの心に不安は無い。

 いかに強者といえでも、隙の存在しない人間など存在しないからだ。

 食事、睡眠、情事。

 生理的な行動や欲求の絡んだ行動には必ず一分の隙が生まれる。

 暗殺とは、その隙を見極めるところから始まるものだ。


 ――さてと、暗殺計画でも立てようか。


 木陰に潜むニュクスの姿は、一陣の風と共に消えた。

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