第154話 かすかな希望と――


「……ジュンヤくん……」

 少女は涙を落とす。しかし、彼はもう戻ってくることはない。

 白髪の青年、ラビが言う。

「とりあえず、先生たちに報告に行きましょう。やることはやりました」

 その隣に座る神官の少女チェシャも、珍しく沈痛な表情で頷く。しかし、ふと何かに気がついたようで、ベッドに眠る少年、純也の懐を探る。

「……ねえ、これ見て~。なにかおかしくな~い?」

 彼女が取り出したのは、純也の冒険者カードである。

「……なにがです?」

 ラビが聞くと、チェシャは口角を上げながら答えた。

「HPの欄。死んでたらゼロのはずでしょ?」

「本当だ。満タンになってるです!」

 冒険者カードには特殊な魔術がかけられている。

 それは、登録者の現在の能力や生命力、魂の記憶レベルなどをリアルタイムで計測し、数値として可視化する、という、数年前にとある異世界転生者が開発した超高度な魔術だ。

 生命力を現すHPがゼロ以下になるなどして死んでしまえば、即座に死んだという情報が表示される。死んでいたとすればHPが満タンということもありえないのである。

 完全に回復した生命力。それがあらわすのは、つまり。


「まさか、ジュンヤくんは、生きてるの……?」


 嘆いていた少女、アリスはかすかな希望に瞳を輝かせた。


 **********


(俺が、生きている……!?)

 孤独にあがいていた俺は、その言葉を聴いた瞬間、驚愕に目を丸くした。

(生きている……ならば、ここはどこなんだ!)

 死後の世界ではないことだけはわかった。しかし、それならばこの空間の正体が逆にわからなくなる。

 神様も仏様もなんにもいないこの不可解な状況。縛り付けられ、仲間たちの悲しみや苦しみをまざまざと見せ付けられる。この地獄にも思えるような空間。

 一体、誰が、どうして、どうやって?

 しかし、謎が増えた代わりに、希望が見出せた。

(体が生きているのなら、ここから抜け出して元の世界に戻れるかもしれない!)

 死んでないのなら、生き返れる。そもそも死んでない。ここがただの夢なのならば、目覚めればいい。

(――それならば、目覚めたい)

 確信的な希望。

 俺は願った。そして、足掻く。

 足掻き続けた。


 **********


 彼女は地獄を見た。

 表彰台のあったところには巨大にして局所的な竜巻。それを中心として、周囲は赤く紅く染まっていた。

 命の潰しあい。本物の戦場がそこにはあった。

 和気藹々とした、先ほどの表彰式の面影など、もはや無に等しい。そこは、まさしく地獄であった。

「お姉ちゃん!」

「リリス! これ、どういうこと――」

 聞く間すらもなく、巨大な狼型魔獣ウルヴェンが彼女を襲い――金属音が響く。

 躍り出た騎士の少年は、背後の少女たちを守る。

「ラビ!」

「ここはいったん逃げて、戦う準備を。まったく、嫌な予感が当たってしまって、嬉しいやら悲しいやら……はあッ!」

 そう言いながらも、彼は右腕につけた盾で魔獣の爪を弾く。

 そのまま、左腕に持った槍を投擲。それは魔獣の首筋に突き刺さり、また地面を赤く上書きする。

 ラビは跳躍し、槍を引き抜きながら叫ぶ。

「さあ、早く!」

「――うん。また後で」

 アリスは憂いを帯びた表情を一瞬見せ――後ろを向いて走り去った。


「なんで逃げないのです、チェシャ」

「私は聖職者だからね~。そんなに準備は要らないのよ~」

 そういって、ラビの背後で笑う少女の格好は、明らかに戦場には不似合いの、白を基調としたセーラー服。この場には恐ろしく不似合いな格好である。

 対するラビの格好は同じく制服。学ラン姿なのである。それに右腕に盾をつけ、左の手に槍を持っているのである。

「そんな格好で無茶している馬鹿なリーダーを放ってはおけなかったってのもね~」

「う、うるさいです。というか、お互い様ですよ、それは」

「あはははは~、それもそうだね~」

「笑ってる場合じゃないですよ……」

 ラビは苦笑して、チェシャは大笑い。戦場だとは思えないほどの朗らかな空気が一瞬流れ。

「でも、とりあえずみんなを助けなきゃね~」

「ええ。そのために、僕たちに出来ることを探しましょう!」

 二人は駆け出した、その瞬間――新たな悲鳴が響く。


 アリスは魔法を放つ。

光矢エナジーボルト爆発光矢ボム・ボルト風刃斬ウインド・スラッシュ……」

 続けざまに放たれるそれは、彼女を囲む魔獣たちの命を削っていく。屠っていく。彼女は前に進む。

 しかし――もはや無限に沸き続けているとも思わせるような、魔獣たちの群れ。それが彼女の行く手を阻む。それを彼女は、魔法でどうにかなぎ払う。

 だが、それにもいつしか限界が訪れる。すなわち。

「……もう、MP切れ……?」

 体内に宿る魔法を使うための力には限界があるのである。

 それでも必死に抵抗しようとする彼女を、倦怠感が襲う。

 必死に魔法を繰り出そうとするが、出ない。

 魔獣たちはここぞとばかりに彼女を襲う。

 今にもその華奢な体を噛み千切らんと口を開く魔獣たちに、少女は悲鳴を上げた。

 そのときである。


 その顎が、剥き出しの牙が、真っ二つに切り裂かれた。


 崩れ落ちる肉塊の後ろに立っていた少年の姿に、少女は顔を緩ませ、涙を流す。


「ぜえ……はあ……。大丈夫か、アリス……」


「ジュンヤくん……!」


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