第29話

「真山さんかい?」


 悪意に満ちた男の声が聞こえてきた。車内映像で成田とやり取りをしていた声に間違いない。やはり千尋と一緒に居るのは郷田だ。


「誰だ?大野の娘はどうした?」

「大野が盗んだ所長のパソコンはお前が持っているんだろ?」

「所長のパソコン?大野の家にあったパソコンなら持っているが――、所長って誰のことだ?それより大野の娘は無事なんだろうな?」

「親父と同じで大人しくしてるぜ」

「大野も一緒なのか?」

「さぁな」


 大野の無事がほぼ確定した。大野はやはり瑞穂ふ頭の倉庫に居る確率が高い。だが郷田がどう動くかはっきりするまで大野の救出に向かうのは待つべきだ。


「誰だか知らないが目的はなんだ?」


 俺はあくまでもとぼけた。できるだけ郷田の証言を引き出したかった。郷田は考えているかのように暫く沈黙した後、言った。


「パソコンを開いてないのか?」


 疑心暗鬼になりかけている。


「パスワードが設定されていて開けなかった。大野の失踪とあのパソコンは何か関係があるのか?」

「元探偵の割には大したことないんだな」


 相手が図に乗ったのがわかったが、それはこちらも慎重にならなければいけないことを意味する。俺は慎重に言葉を選んだ。


「俺は大野と娘が無事に戻ってくれればそれでいいんだ。」

「あんたはもう少し骨のある男かと思ったんだが、期待はずれだったな。まぁいい、パソコンを返してもらおうか」

「パソコンを返せば大野と娘は戻るんだな?」

「娘は返すが大野はまだだ。」

「それじゃあ割りに合わない。こちらの手札はノートパソコンしかないんだ」

「頭を働かせろよ、元探偵さん。あんたに選択権はないんだぜ」


 郷田の病的な笑い声が聞こえてくる。こいつなら天野とうまくやっていけるのも頷けた。


「わかった。どうすればいい?」

「新宿中央公園の公衆便所わかるか?」

「いくつかあるが何処のだ?」

「熊野神社の近くだ」

「十二社側か?」

「そうだ。今夜22時にパソコンを持ってそこに来い」

「せめて大野が無事かどうかだけ教えてくれないか?」

「おいおい泣かせるじゃないか、おまえらそんなに仲良しだったのか?」

「数少ない同期だから気になるだけだ」

「けっ、気持ち悪いな。なにが同期だ。タクシードライバーのくせによぉ!」


 異常なまでの反応だ。郷田の琴線に触れないように話を進めないと千尋が危ない。


「大野は何処に居るんだ?」

「心配するな、まだ生きてるだろうよ。糞まみれかもしれないがな」


 郷田の答えから大野は一人で居ることがわかった。郷田あるいは仲間が大野に張り付いているなら、と推測する言葉は使わない。と言うのはトイレに行くこともできないという意味だ。恐らく食事も取っていないだろう。無事で居てくれるといいが。


「大野を戻してくれるのか?」

「取引が無事に終われば帰れるかもな」

「取引?なんだ?取引って」

「質問が多すぎるな、真山さん」

「一つだけ頼む。大野の娘の声を聞かせてくれ」

「くっくっくっ。ドラマのような台詞じゃないか。まぁいい、そういうのは嫌いじゃない」


「真山さん!」


 すぐに千尋に代わったということは郷田と千尋はやはり一緒に居る。


「大丈夫か?心配するな、必ず助ける」

「ごめんなさい!私、」


 千尋から電話が取り上げられ郷田が言った。


「俺も台詞を言わないとな。警察には知らせるなよ、取引はお前一人で来るんだ。くっくっくっ」


 は――と続けないところが郷田の頭の限界だ。


「わかった」


 俺は電話を終えボイスレコーダーを止めた。郷田と天野が大野の監禁と千尋の誘拐に絡んでいる証拠は撮れた。17時になろうとしていた。家に戻りパソコンを持ち出して新宿に向かうには遅くても2時間後には動き始めなければ間に合わない。


 みさきがカウンターから出てきた。


「今日はもう店を開けないでおくからここを使って」

「いいんですか?」

「良かったら私にも協力させて」


 成田が口を開けて驚いている。


「よほどこの男が気に入ったようだな」


 みさきは少し頬を赤らめて成田を睨みつけた。


「成田さんの尻ぬぐいを手伝うのよ、感謝しなさい。瑞穂ふ頭に監禁されている方を助けに行くんでしょ?ごめんなさい、全部聞こえちゃってたの。私、看護師の資格を持っているの、役に立てるわ」


 大野は恐らく相当衰弱しているはずだ。看護師が居てくれると助かる。だがもし倉庫に大野を監視している者が居れば危険だ。


「すいません、申し出はありがたいんですが危ない目に遭わせてしまうかもしれません」


 みさきは暫く考えた後、言った。


「それで、これからどうするの?」


 まるで俺の話を聞いていなかったかのようだ。芯の強いみさきの目は有無を言わせなかった。成田が首を振って俺を見ている。みさきは言い出したら聞かない性格のようだ。


「今夜22時――今から5時間後に新宿で郷田と会ってノートパソコンと大野の娘を交換します」

「あいつらにパソコンを渡すのか?」


 成田が大声を上げた。


「大野と娘は郷田に捕まっています。あなたの体裁と天秤にかけることじゃありません」

「そ、それはそうだが」


 この期に及んで成田はまだ自分の事だけを考えていた。一体そこまでして守る体裁とはなんなのか?


「そんなに奥さんにバレるのが怖いなら最初から浮気をしなければいい」

「そ、そうじゃないんだ。女房にバレるのは構わない。もう仮面夫婦を続けて久しい。あいつに対する愛情はもうない。それはあいつも同じだと思う」

「だったら何をそんなに恐れているんですか?」

「仕事だよ。今の地位だ。離婚は人事査定に響く」

「くだらないですね」


 俺の言葉にみさきが笑ったように見えた。


「お、お前のようなタクシー運転手にはわからないだろ!これまで私がどれだけ苦労してきたか」

「わかりたくもないですね。私はタクシー運転手ですから。しがみつくものは何もない」

「す、すまない。言い過ぎた」

「これだけは言っておきます。一度金を払ったら奴等はあなたが破産するまで強請り続けますよ。覚悟を決めた方がいい。浮気をバラされる前に自分から奥さんに言うんです。奥さんは今の生活レベルを落としてまで別れようとは思わないはずです」

「そんなこと……何故言い切れるんだ?」

「浮気の結末をたくさん見てきたからですよ。金があるうちは離婚はない。あとはあなたがどこまで説得出来るかです。それに――、動画のバックアップなんて簡単に取れる。パソコンを取り返したところでなんの意味もない」


 そう言って俺は動画のバックアップが入ったUSBメモリーを成田に見せた。


「あんたって人は……。本当にタクシー運転手か?」


 呆れたような顔をして成田が笑った。俺も釣られて笑って言った。


「タクシー運転手も捨てたもんじゃないでしょ?」


 成田が立ち上がって頭を下げた。


「すまなかった、私の浮気が原因であんたや友達を巻き込んでしまった」

「俺の友達には直接謝ってください」


 言外に大野を助け出す協力をしてくれと含んで言った。


 不思議な感覚だった。梅島、成田、みさき。いつの間にか俺は周りとの壁を取り払いつつあった。その穴を最初に開けたのは大野と千尋なのかもしれない。”探偵”として俺を頼ってくれたことが俺を変えたようだった。


 かつての俺は安っぽい正義感だったかもしれないがプライドを持って依頼人の為に探偵という仕事をしていた。俺は結局、誰かのために動くことが好きなのだ。いがみ合うのではなく笑顔を見ることが好きなのだ。


 成田が、直帰すると会社に電話を入れると、みさきが腕まくりをして言った。


「一戦交える前に何か作るわね。お腹空いちゃった」


 カウンターに入ったみさきがBGMのボリュームを上げた。ビル・エヴァンスのSome Day My Prince Will Come が流れてきた。


「王子様にしては歳食ってるな」

「お互い様じゃないですか」


 俺と成田は顔を見合わせて笑った。

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